訓練、そして苦悩〈三〉
階段を降り、二階の仮眠室へ。簡易的なシングルベッドと背もたれのない丸椅子だけが置かれた部屋に入ると、玲はどっかりとベッドに腰掛ける。そして深く深く息を吐き出し、呼気に紛れ込ませるように「ごめんね」と囁いた。
「何が?」
「気を遣わせて。……駄目だなぁ、リーダーの俺が仲間に迷惑かけるなんて」
玲はガシガシと頭を掻く。わたしは首を傾げた。
「リーダーが迷惑かけちゃいけないなんて決まりはない。……ないよね?」
「……まぁ、明文化はされてないけど」
「なら平気でしょ。いつも迷惑かけてるなら話は別だけど、玲はそういうタイプじゃなさそうだし」
大丈夫大丈夫。軽く言うと、玲は大きく脱力する。そして彼は顔を上げ、気が抜けたように笑った。
「本当に、音島さんを見てると気を張ってるのが馬鹿らしくなるよ」
「うん、それでいい。わたしを見てると……って言い方は気になるけど、必要以上に気を張っててもいいことないよ」
「あはは、正論だ」
普段通りの笑みに戻った玲が、再び真顔に戻る。三度深呼吸をすると、彼はわたしを呼んだ。聞いてほしい話がある、と。
「聞くよ。何?」
「……ここの上層部、代表と四大幹部について」
きっと知っておくべきだから。玲は呟く。わたしは丸椅子に座り、話を聞く体勢を取った。
「俺たちの組織は、代々異能者が生まれやすい家系――通称〈
「ごけ?」
「五つの家と書いて五家。構成は、
「え、辻宮って、玲の……」
恐る恐る尋ねると、玲は頷いて「お察しの通り」と苦笑する。
「俺は〈五家〉の人間だ。本来であれば四大幹部の後継者とされる身の上でもある」
「本来であれば? 実際は違うってこと?」
「あぁ」
玲は再びため息をついた。苦々しい顔をして「俺の両親がね」と語り出す。
「ある罪を犯したんだ。さんざん〈五家〉に迷惑をかけて、そのくせ勝手に逃げ出した。だから、辻宮は四大幹部の座を剥奪されかけているし――俺は新たな当主としての役割を期待されている」
ふざけた話だよね。玲が自虐的な笑みを浮かべた。わたしは黙ったまま、ぽたぽたと彼の頬が濡れていくのを見つめる。
「子供が親の尻拭いをするなんてさ。……俺は、親が迷惑をかけた人たちの隣に平気な顔で立てる人間じゃないのに」
「……玲」
「ごめんね、こんな話をして。でも音島さんは兄さんが身元を保証してるみたいだし、聞いてくれるかなって思ったんだ」
玲は右の口角だけを引っ張り、笑顔のようなものを作った。無理に笑う必要はないと思うのだが、今の彼は「笑顔じゃないとやってられない」状態なのかもしれない。
わたしは玲を呼び、気に病まなくていいし、無理をしてまで笑う必要はないと伝えた。
「わたしでいいなら、いくらでも話を聞く。できることはそれしかないから」
「……ありがとう。音島さんっていい人だよね、真顔でとぼけたこと言うけど」
「それがわたしのいいところ」
いえーい、真顔でピースサインを作る。玲は「怖いよ」と言いながらくすくす笑った。その表情はもう普段通りの笑顔だ。
「他の幹部とやらが文句を言ってるのか知らないけど、親が悪いことしたからって玲が責任を感じる必要はないと思うよ。玲には玲のいいところがあるんだし、自信持って」
「……そう、だね。俺が親の罪を全部背負い込むことはない。俺にできるのは『辻宮家』の名誉を挽回することだ」
玲が大きく頷く。その目に決意を秘めて、覚悟を口元で引き結んで。そこにいるのは「〈三日月〉第二班のリーダー」ではなく「辻宮家の若き当主」だった。
「ありがとう、音島さん。おかげで覚悟が決まった気がするよ」
「特に何もしてないけど、役に立てたなら何より」
二人で微笑みを交わした瞬間、わたしのお腹の虫が大きく抗議した。正面の微笑みが大笑いに変化する。
玲の気が晴れたようなので、わたしはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで、気になったこと聞いてもいい?」
「もちろん。何かな?」
「さっき玲が言ってた『兄さん』って……もしかして千秋のこと?」
怖々問いかけると、玲は「そうだよ?」と当たり前のように肯定する。わたしは勢いよく後ずさろうとして、丸椅子をガタッと鳴らしてしまう。
「な、玲……え、千秋の弟……? つまり千波も……?」
「あぁ、兄弟ではないよ。俺と大崎の二人は従兄弟なんだ。昔から『兄さん』『姉さん』って呼んでるから、今更変えられなくて」
「へぇ……そうなんだ……」
わたしは返事をしながら冷や汗をだらだらと流していた。先ほどの適当な電話を聞かれていたかもしれない。親しい「兄さん」を雑に扱う奴として認識されてしまったら、仕事に支障が出る可能性だってある。
「だから、音島さんと会う前に姉さんから話を聞いてたよ。信じられない量のご飯をあっさり平らげる人だって」
「わたし、初対面の時点で玲に大食い人間だと認識されてたんだ……」
「ふふ。兄さんからは正直者だって言われたし、面白い人が来るんだなって楽しみにしてたよ」
玲は小さな子供のように笑いながら立ち上がった。その頬はもう濡れていない。
「さて、戻ろうか。葵君と結ちゃんが帰ってきてるかもしれないからね」
「そうだね」
わたしも続けて立ち上がり、仮眠室を後にした。
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