額を育てる男
越後屋鮭弁
額を育てる男
6歳になる娘がいます。一人っ子です。
4月から小学生になりました。
驚きと喜びに彩られたこの7年間は彼女あってのものと常々感じます。端末の写真ファイルには、様々な表情の彼女に満ち溢れています。
気付いたのは、ごく最近の事でした。
夕刻、彼女は自宅でピアノのお稽古をしていました。私は音楽の類いとは縁遠く、小さな指が奏でる旋律にいつも感心しておりました。しかし、彼女にしては、どうしても上手く弾けずにいたのでしょうか。虫の居所が悪くなり始めました。眉間に皺を寄せ、楽譜を見詰めたまま、指を止めてしまいました。年長さんの終わり頃、お昼寝の時間が無くなり、少し眠気もあったのかもしれません。
娘のご機嫌取りは私の仕事です。妻のご機嫌取りも私の仕事なので、家中のご機嫌を伺う私は家族内のピエロと言えました。
どうしたの?とか疲れちゃったかな?などと月並みな台詞を発しながら娘に近づきました。先述した通り、音楽は私の領分ではありませんので技術のアドバイスは出来ません。池中玄太80キロの如き心境です。
眼尻に涙を湛える彼女のある一部に心が撃たれました。彼女はピアノが上手く弾けない理由、考察を彼女なりに垂れ流していましたが、そんな言葉は耳に入りません。そんな事は今、重要ではない。
問題は、八の字に垂れた眉の上に生じた窪み。
その尊さに胸が高鳴りました。気付けばいつも彼女のおでこを目で追っていたことに、その時気付いたのです。感謝の意を表明し、掌を合わせ祈りたい衝動が湧き上がりました。私の神は、あの僅か数センチの額の上にいらっしゃったのだと感動しました。
娘は前髪を纏めて髪を後ろに結んでいるので、おでこが良く映えます。笑顔のおでこには皺一つなく、まるで焼きたてのクリームパンの様に艶艶しく輝いて見えるのです。これがまた尊い。きっと風呂上がりに私が塗布し続けたヒルドイドの効果かもしれません。いびきをかいて寝ている時のおでこも弱々しく何処か儚げで美しい。世界を敵に回しても護りたいとさえ思います。世界を敵に回すおでことはなんだと云う気もしますが、何かしら護りたいのだから仕方のない事でしょう。父は家族を護りたいのです。
残念ながら、この想いを、娘に伝えることは出来ません。きっと気持ち悪がられてしまう。本当は分かち合い共に喜びたいのが本心ですが、それを上手く言語化する自信が私にはありません。また伝えることで、やがて思春期を迎える娘が、恥ずかしがって前髪を下ろす可能性もあります。それは駄目だ。
万が一、私に何かあった時、この文章が妻と娘に見付からないことを切に願います。パパは気持ち悪くない方が、娘はきっと嬉しいと思うから。
額を育てる男 越後屋鮭弁 @mitojun0310
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。額を育てる男の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
LOVE17【完】実話小説/のん
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 281話
アザと/雪見 白雪
★4 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます