立派な整備士
「あの……実は相談したいことがあるんです」
瀬奈さんは真剣な表情でそう伝えてきました。これは……仕事の予感です!
緩んでしまった表情を引き締め「はい、なんでしょうか」と尋ねます。
「最近、MSUの操作性が悪い?と言うよりも体にフィットしていない?って言うか……そんな感じで。何か悪い所があるんじゃないかって気になって相談したいんです」
「分かりました。場所を移しましょうか。ここは往来もありますし」
私は瀬奈さんを整備室へと案内し、温かい紅茶を入れます。これはリラックス効果があるブランドらしく、私のお気に入りなんです。
「MSUに違和感があるとのことですが、もう少し詳しく教えてください」
「ええと。例えば攻撃を避けようとして体を横に動かすときに、かくかくっと引っかかる感覚がするんです」
「なるほど、では……」
ところで皆さん、整備士にとって一番重要な物って何だと思いますか? 整備士がイメージし辛いなら医師や歯科医師でも良いでしょう。どんなスキルが求められるでしょうか?
診断に関する知識? 治療に関する知識? 治療に際しての手先の器用さ?
もちろんそれらも重要です。ですが、もっと重要な事があると私は思っています。
それは問診のテクニックです。つまり相手から症状の詳細を聞き出す事。どれだけ知識があっても、相手から話を聞き出せないと何もできません。
そんな時に使えるゴロ合わせがOPQRSTです。元は医師の為の問診テクニックのゴロ合わせですが、それを少しだけ変えた物となっています。
OはOnsetは発症様式と経過です。いつから発生し、それが現在までどういう経過をたどっているのか聞きます。
「そうですね、気が付いたのは二週間ほど前ですかね。それがちょっとずつ悪化している気がします」
PはProvocation、つまり症状が悪化する要因です。それと併せて症状が良くなる要因も聞いておきましょう。
「ええと。戦闘が始まって暫くはそれほど違和感がない……気がします。ですが暫く戦っているとだんだんひどくなってくる感じです。一度休憩を挟むと少しマシになります」
「そうなんですね。それはとても不安ですね……」
QはQuantity/Quality、つまり質と量って意味です。その症状がどの程度で、どれくらいの頻度で起こるのか。それを尋ねます。
「戦闘出来ないって程ではないですが、出来れば治したいなって感じです。頻度については、ほぼ毎回の出撃時に起こってますね」
RはRegion、つまり場所です。
「体全体に違和感がありますが、強いて言えば腰のパーツ……ですかね?」
SはSecondary、つまり二つ目の症状です。「他に気になっていることはありますか?」って事は絶対に聞いておくべき内容です。
「いえ、特には無いです」
Tは
ええと、対処って言うのはつまり、違和感に対して自分で何かしたり、他の整備士に掛ったかどうかを尋ねます。
「家の近所の整備所で診てもらいました。その時は『熱による変形』と言われて、クーリンググリスを注射してもらいました」
これが整備士の問診方法です。覚えましたか? OPQRSTですよ。
これだけで、もうおおよその原因は分かりました。ですが、現時点では断定出来ないので、機体の診察と参りましょうか。
「それではアクティベートして頂けますか?」
「はい。MSU、アクティベート」
ピカーッと瀬奈さんの体が光り始めます。するとどこからともなくロボットスーツが出現します。きゃあー! かっこいいー!
「それでは診ていきますね……。続いてスキャンしますね……。続いて……」
幾つかの検査を行って、症状の原因を把握する事ができました。これは『熱膨張性関節症』と『汗結晶性関節炎』の合併のようです。
ざっくりと言うと、熱膨張性関節症は「熱膨張によってパーツに変形が生じて関節が上手くかみ合わなくなる状態」で、汗結晶性関節炎は「汗に含まれる塩分が結晶化した物が関節に挟まって滑りにくくなる状態」です。
特に
クーリンググリスを処方された人のおおよそ100人に1人が薬剤性汗結晶性関節炎になるので、クーリンググリスを処方するのは少し危険なんです。特に新陳代謝が激しい若者では注意が必要です。
私も執筆に関わった「熱膨張性関節症診療ガイドライン」には「20歳以下の若者にクーリンググリスを処方する場合、三日以内に再診を行う事を強く推奨する(推奨度:強・エビデンスレベル:A)」と規定されています。
という事を、今から瀬奈さんに説明しようと思います。ただ、ここで注意しないといけないことがあります。
それが「ああ、これはクーリンググリスが原因ですね。あなたが行ったという『近所の整備所』とやらはダメダメですねwww」というような悪口っぽい発言をしてはいけないという事です。
このような言い方をすると、彼女の中で整備士に対する信頼が薄れてしまい、いつかは私すらも信頼されなくなります。悪口を言う人間なんて、信頼できないでしょ? つまりそういう事です。
いつ何時たりとも淑女であれ。それが私の思う、立派な整備士の在り方です。
その後の事を軽く紹介しておきます。
熱膨張性関節症について、クーリンググリスを辞めて別のタイプのお薬を処方しました。
汗結晶性関節炎については、パーツが炎症を起こしていたので抗炎症薬を処方し、暫く安静にするように言いました。MSUのパーツはただの金属ではなく生体金属とも表現すべき物でして、ヒトの体のように炎症を起こすんです。
一週間後くらいにもう一度診た時にはすっかり良くなっていました。もう運動しても大丈夫ですよ。もし違和感を感じられましたら、すぐに言ってくださいね。
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