第72話 Ride on Time(1990年)Black Box
平成2年10月 頃
わたしが掲載されるという学校の広報用のパンフレットの写真撮影は三田の校舎だった。
大きな銀杏の木や、レンガ造りの図書館の前などで撮影するという。
その日の午後、山手線の田町の駅を降りると、目新しい大きなビルが建っていた。
最近完成したばかりの、日本電気(NEC)本社ビルが駅近くにドーンとあった。
田町駅周辺はそのビルで働く多くのビジネスマンで賑わっていた。
ちょうど真ん中あたりに風穴があいていて、斬新なデザインだ。
三田の校舎は田町駅から徒歩で10分ちょっとである。
学生街らしさより、この日本電気本社ビルに通うビジネスマンで、オフィス街のような趣になっている。
学生向けの安い食堂が消え、ビジネスマン向けの飲食店が増えているような感じである。そしてイタメシ屋(イタリア料理店)も増えている。
駅の反対側の芝浦側でも開発が進んでいるらしい。
撮影では衣装が用意されていた。メイク担当もいた。
これが、学生の受験生向けのインタビューなのか?
キャンパスでの学習している姿を撮影するのじゃないのかよ?
一緒に歩く姿を撮るための男子がいるぞ……
ひょっとして、この人は学生じゃなく、本職のモデルなんじゃないか?
大学のエンブレム入りのリングバインダー、テキストをブックバンドに挟んで、
とかいろいろ注文された。都会のオシャレな学生風に。
半年前までは、新潟から出てきた田舎の小娘に何をさせるんだよ。
結構撮影に時間がかかっている、もう疲れてきた。
広告代理店の担当はノリが軽い感じ。腰に服の袖を巻いて縛っている……
大学案内ってホントにこんなのでいいんだろうか。
「ハイ、カット!」とか言っちゃってさ……
「一応、今日の撮影はこれで終わりなんだけどさ」
「なにかまだありますか?」
「いや、ちょっとキミ、連絡先を教えてもらえないかと……」
「はい?私的なものですか?それはお答えできかねます」
「キミ、モデルとか興味ない?」
「興味ないです、すみません。私、学生です」
広告代理店
「うーん、そう?興味ない?(今どきの子はすぐに飛びつくけど、田舎から出てきたといっても、なかなかスタイルもルックスも良いこじゃないか。モデルとかに口説き落としたい感じだ)」
「じゃ、まじめな話。将来の就職の希望はなに?」
さっきの話は真面目じゃないのか!
「わたしはジャーナリストが志望です」
「テレビ局なら知り合いがいるんだけどさぁ」
「それが、なにか就職に有利にでもなるんですか?私は地方紙か、それともローカル局が第一志望なんですけど」
「それだったら、なんとかなるかも。俺の名刺を渡しとくから、あなたの連絡先も教えてちょうだい」
ドサクサに紛れやがって……
「怪しいことはありませんよね。私的に連絡もらうのは好きではないんですが」
確かに撮影担当は大手広告代理店だと大学側から説明あったのだが。
「じゃ、キミ、アナウンサーとか興味ない?慶應でしょ?リクルーターも紹介するし、マスコミ関係が載っている企業ガイダンスを、キミんちに送らせてもらうからさぁ」
「ホントにそれだけですよね?就職案内を送るって」
「ホントだって、信じてよ。ウソじゃないから」
ここで粘ってもしょうがないと思い、「マスコミの就職案内を送るという」話はウソでなさそうだった。
後日、その広告代理店の担当の話はウソではなく、私のマンションに企業ガイダンスが送られてきた。
「東大、早稲田、慶應のマスコミ志望学生用」と表紙に書いてあった。
なんか……学校を絞ったガイダンスかよ……
封を切って中身をみると、たしかにマスコミ関係の企業はもちろん、大手広告代理店、映画関係、映像製作などが満載だ。
その会社に送るための専用はがきが付いている。
うわ、えげつない……ここまで露骨に……
このはがきを送れば、これらの大学の学生から、会社の人事担当に直接届く仕組みだ。マスコミとか広告代理店はこういうルートで入社面接を受けるのか、と。
東京には裏がある、なにか世の中の世知辛さを知った感じがした。
◆◆◆
わたしは夜にバイトから帰宅し、学校の課題のレポートを書いていた。
ノートをみながら、富士通OASYSで清書していた時だった。
バイトで疲れて、液晶のバックライトが目に眩しく、目がチカチカとしていた時だった。
トゥルルルルル……電話のベルが鳴った。
留守番電話の設定のままにしてあった。
「ガチャ……はい星です。ただいま留守にしています。ご要件のある方は発信音の後にメッセージをどうぞ……ピー……」
「もしもし?おれ……留守……」
あ、恭平の声だ!
橘恭平の声だとすぐわかった。
急いで電話をとった。
「あ、ごめんなさい、留守電にしてたままだった……」
「あぁ、よかった。夏美、久しぶり。元気してる?」
「ええ、元気。あなた、いま寮から掛けてるの?」
「うん、寮の公衆電話から」
「ああ、深夜料金の時間か。恭平も、元気?」
「俺も元気。きみんちの大学は楽しい?」
「うーん。夏休み開けてから課題がたくさん出たっけん、遊んでばかりいらんないし」
新潟弁に戻った……(笑)
「夏美は、真面目らもんね」
恭平も新潟弁が出ている……
「あなたもそうでしょ」
「はは、長岡には遊ぶ所なんて何もねぇの知ってるろ?……牛さんの鳴き声だ。ひたすら勉強らこって。いいバイトといっても家庭教師もだし。長高のヤツら、生意気でさぁ。そっちはどう?」
高校時代はこんなに新潟弁で話してたか?
戻そう……
「近くの、つつじヶ丘駅の近くの喫茶店でバイトを始めたんだ」
「夏美がバイトかよ!怒って客を蹴ったり、お盆で頭を殴ったりしてないよね?」
「そんなこと、するわけないでしょ!」
「そうか、それは良かった、けが人が出ないで」
「なにがじゃ?都会に来て大人しくしてるわよ」
わたしはサークル活動とか、大学案内パンフのモデルを頼まれたとか、そんな話をするのは気が引けた。苦学生の彼に……
そうしているうち、電話の向こうからテレホンカードの残り度数が少なくなったことを知らせる、ピー、ピー、ピーという音が聞こえてきた。
彼が次のカードを挿入しようとする恭平の様子を受話器越しに感じた。
彼は、なけなしのお小遣いでテレホンカードを買っている
それに比べて、こっちときたら遊び呆けているように感じた。
「もう(テレフォンカードの)度数が少なくなったでしょ?いつもこの時間には居ると思うから、また掛けてね」
「ああそうするよ。もうすぐ(テレフォンカードが)1枚終わっちゃうし」
「じゃあね」
「じゃ、ま……」
ガチャッとテレフォンカードの度数がなくなり、自動的に電話が切れた音がした。
私は机の上のOASYSを見つめた。画面が明るく光っている。
書きかけて、分からなくなって、途中で止まったレポートの文章……
私も彼みたいに真剣に勉強して4年間を
◇◇◇
平成2年10月
東京は
このような秋雨は新潟にはなかった。
私(原智子)は洗濯物がなかなか乾かない東京の秋の長雨に辟易し、着回しの服に苦労していた。
新潟は冬には雨、雪が多いが、秋は晴れの日が多いのだ
塚山(越路町)は稲刈りは終わって、お米の出荷の時期だろう。
島峰から誘われた、車でのドライブデートは明日。
私も車の免許を取ったばかりである。
実家に帰省して、長岡市の関原自動車学校に通った。
親の会社のツテということもあるが、この自動車学校を選んだのは理由があった。
高校の同級生、橘恭平が通う、長岡技術科学大学のすぐ近くにあるからだ。
もしかしたら、彼が夏休みにこの自動車学校に通っているかもしれない、と考えた。
しかし、橘恭平に会うことはなかった。
長岡技科大生にその自動車学校で会って、彼を知っているかを聞いたが、よくわからないという人が多かった。どうも高専から編入でやってくる学生が通っているようだ。
やっと1年生を見つけて聞いたら、彼はまだお金を貯めている最中だ、という。
30万円近い教習費がかかるから、彼は高校時代から使っている自動二輪車で過ごしているらしい。
わたしは彼に会えずじまいで残念だった。
すぐ近くに大学があるから行けばよいものを……と思ったのだが、
夏美と付き合っていた、彼のところにノコノコ出ていくのは良くない……と感じ、一歩、足を踏み出せなかった。
長岡で橘恭平に会えるかも、という淡い期待は儚く消え、そしてまた東京に戻ってきた。
◆◆◆
島峰と約束の日。私(原智子)は大学の15号館のロビーで彼を待った。
そして彼は約束の時間どおりにやってきた。
新目白通りの都電荒川線早稲田駅の近くの駐車場に車を停めたと言っている。
私は彼に連れられて、駐車場に歩いて行った。
「ねぇ、ドライブってどこに行くの?」と聞いた。
「海を見にいこうかと思ってる」
「海ね。今日、明日は休みだし、アナタは多少は軍資金はもっているのかなぁ?」
「一応ね」
「じゃいいわ。私もバイト代が入ったばかりで、少しはあるから」
新車のRX-7だ。しかし来年あたりにフルモデルチェンジするという噂で、少し安く買えたらしい。しかし、ロータリーエンジンとは、コイツ走り屋か……
「あなた、免許を取ってまだ初心者でしょ?」
「まあそうだけど、大丈夫さぁ」
ホントに、大丈夫か?こいつ。
彼が運転席に乗って、私は助手席に座った。
新車のにおいがする。
内装は黒でとても良い感じだ。
イグニッションキーを回す。ドルルルルル……とエンジンがかかる。
レシプロエンジンと違ったロータリーの良い音だ。
ふふふ……私の血が騒ぐ……いい音だ……
島峰はカッコをつけている様子……
わたしは彼をジッと見た
クラッチを踏み込み、シフトレバーを入れる……
ブーン……ギアが入ってないで、ニュートラルじゃないか!エンジンが吹け上がる……おいっ!
「あれ?」
「あれ、じゃないわよ!ギアが入ってないじゃん!」
「あ、そうだ……」
そして彼はなにか勘違いして、サードギアに入れてクラッチをつないだ
ガクッとして、エンスト(エンジン・ストール)した。
心許ない……ホントにやばいぞ、コイツ……
「ちょっと!私を殺す気!運転代わりなさい!」
「え、大丈夫だよ……」
「大丈夫なもんですか!いいから、かわんなさい!」
「はい……智子さん、免許を持っていると言ったよね」
「こんなことだろうと思って、私は免許を持ってきたわよ!」
車はすこしも走らないまま、運転を代わらせた。
ミラーが
こんなん下手くそで、良く「ドライブに行く」なんてこと言いやがったな、こいつめ
しかし、このロータリーエンジンの音は心地いい。
「ねえ、海ってどこの海に行こうと思ったの?」
「茅ヶ崎とか」
「ふーん……茅ヶ崎ねぇ……」
このまま、この車を運転し続けたい気持ちだ。
神奈川の方は混んでいるだろう
「あれ、智子さん。どっちの方向に行くの、神奈川はそっちじゃなく、新目白通りを北に向かって、そっちは埼玉の方……」
「あなたは海に行くと言ったでしょ?」
「え、でも湘南はそっちじゃない……」
「海と言ったら新潟の海よ」
「はい?に・い・が・た・・!うそー!」
「ガソリン満タンでしょ。ケケケ……昼過ぎには海に着くから、さあ高速をぶっとばすわよ!」
「ひえー」
車は練馬インターチェンジに入り、発券機から黄緑色の高速券を取って、彼に渡した。
「智子さん、運転うまいね……」
「ええ、私、車が好きで。あなたに言ったっけ、私の父はF1のメカニックなの。スピードメーターを作ってる会社の……」
「まじかー!!!!お父さん、F1のメカニックだって!!!!」
「ええ、マクラーレン・ホンダの」
「はい!!!!まじかー」
(しかし、コイツはいつまで女の子に運転させる気なんだ、代わろうか、くらい言え!)
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