第15話 Breakout (1986年) Swing Out Sister
平成31年 春の頃
俺(
日本海に太陽が沈もうとしている春の暖かい日だった。
零細企業の会社の名前だけかかれた、バン。これは親会社というかその上の会社の信○化学工業の営業車の廃車寸前の車を払い下げられたポンコツで、ナビもなくカーラジオからはFMからSwing Out Sisterの曲が流れていた。
プラスチックの安っぽい内装にはところどころホコリがあり、トランクにはネットワークケーブルの束や、テスター、LAN検査機などが積まれている。
助手席には目新しいノートパソコンが入った自分のバッグがある。
先ほど、息子から聞いて思い出した名前「星夏美」
昔のカノジョの名前で、ずっと心の奥底に封印していた名前だった。
思い出してしまった。
古いオートマチックの燃費の悪いこのバンのエアコン暖房からはカビ臭い風が吹いている。
直江津方面に走る夕方の車も増えて、直江津港の大きな火力発電所の煙突が見える頃には渋滞が始まっていた。ただ頭の中は昔のカノジョのことが思い浮かぶ。
高田の市街に入り、町家の中にある会社のガレージに停めた。
もう他の社員は帰路についている。この吹けば飛ぶような零細企業の二階には事務員でシングルマザーの田鹿さんがこどもと一緒に住んでいて、帰社すると鍵を開けてくれた。
ちょうどこどもの夕食を作っている時だ。
「どうしたんですか?顔色が良くないようですけど、取引先で何かありましたか?」と聞いてきた。
俺は彼女から自分の自家用車の鍵をもらい、社用車の鍵を渡して言った
「いや、取引先とは順調で仕事も順調に進んでいる。仕事は問題ない」
「そうですか、それならいいんですけど。橘さん、優秀だから。でもホントに顔色悪いですよ。よくお休みになってください。家には綺麗な奥さんが待っているんですし」
「ありがとう」
そう言って俺は、自家用車のエンジンを掛けて、直江津の住宅街の自宅に帰った。
家に帰って玄関を開けると、奥からは「おかえり」という妻の声がする。肉じゃがの醤油で豚肉とジャガイモを煮込んだ新潟風の良い香りがした。
ダイニングでは妻が夕食の支度をしている。
「あなた、先にお風呂に入ってきて」
妻の香代子はそう言った。
「沙希は」
「部屋で勉強しているか、オンラインゲームでしょ?」
「そうか、ちょっとメールをチェックして入るから」
そう言って俺は自分の部屋に入った。
自作のデスクトップパソコンを立ち上げると、ふと書棚に昔のアルバムが目に入った。
アルバムには、抜かれて空白になったスペースがあちらこちらにある。
プロバイダのページを開きWEBのメールのページをクリックする。
高校の同級生だった原智子からメールが来ていた。
開くと何気ないメールだったが、久しぶりで珍しい。
俺が夏美のコトを思い出したのを気がついたかのように、突然のメールだった。
たわいもないメールだったが、どうして俺の周りの女の子はカンがいいのだろう。
不気味なくらいだ。いや、俺の気のせいかもしれない。
夕食の時に、沙希が部屋から降りてきた。寝間着のスエットとTシャツ姿である。
直江津中等教育学校の高学年で一輝の一つ下の歳である。
成績は良く何も言うことがない娘だ。
ただ、俺に対しては口が悪い。
沙希は肉じゃがを食べながらこう言った。
「お父さん、なんか顔色、悪くない?」
コイツもカンが良い。
昔から不思議ちゃんで、霊が見えるという。
「いや、なんにも。普段と変わりないけど」
「そう?なんか良くないことでもあったの?まあ仕事のことじゃなさそうだけど」
コイツは恐ろしい娘だ。
「うーん、悩みくらいあるさ」
「普段、脳天気なくせにね。オンラインゲームで撃墜されまくっていれば・・・あ、ま、どうもそれとは違うみたいねぇ」
「ちょっと沙希、この前の模試の結果は返ってきたの?」
香代子が思い立ったように突っ込む。何気ない雰囲気を取り戻すかのように。
「まあ、いつもの通りだったけど」
「あ、そう……じゃいいわ」
香代子のツッコミもこのくらいだった。
そう、オンラインゲームでの戦闘機ゲームで、いつも俺を見つけては、狙いを定めてくる最凶のプレイヤーは、俺は沙希だと薄々感づいている。
チャットのメッセージで「このハゲ、HAHAHA」というイカれた書き込みをしてくるヤツが沙希だと思う。
なぜネット対戦で、「ハゲ」と言ってくるのか、それが怪しい。俺はハゲている。
俺のなにか、パソコンの中身をハッキングしているのではないか?油断も隙もあったもんではない。
成績も極めて良くて、俺が大学をでて就職してから、職場と取引先から資金をだしてもらってカリフォルニア工科大学の大学院に留学し、パサディナに滞在していた経験もあって、沙希は中等教育学校を卒業したらアメリカの大学に行きたいと言っている。
日本の大学じゃつまらない、親父に対抗して、マサチューセッツ工科大学とか、スタンフォード大学とかそういうところで学びたいのが沙希言い分だ。
俺の月給じゃ厳しいから、自分で奨学金を獲得できるなら、とは言っている。
という、話をしていると、やはりふと「星夏美」のことを思い出した。
目の前の妻は申し分のない、俺にはもったいない妻の顔が目に入る。
この人を裏切るワケにはいかない、と頭の中で浮かび上がった夏美を忘れようと思った。
沙希は「何か隠している」という不審のまなざしを俺に向けていた。
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