第11話 Papa Don't Preach(1986年)Madonna

 高校1年生の中間テストがおわったその日から、わたしは彼と付き合い始めた。


 付き合う、という言葉の前に、笠島漁港の防波堤で思いっきりキスをしたのが切っ掛けだから、順番が逆というものだろう。


 彼はいつも夕方に、長岡高校からほど近い長岡市中央図書館に行って本を読んでいる。


 勉強ではなく、彼はその図書館にたくさん置いてある岩波文庫を手当たり次第に読破したい、と言っていた。


 彼の父親は小学校か中学校のどちらかの算数か数学の教師だという。父から読め、と言いわれたのか。彼は新潟大学付属長岡中学校以来、その中学校の近くの長岡市中央図書館に通っていた。

 

 わたしは、夕方にその図書館に行けば彼に会えるとわかっていた。だから放課後にその図書館に行った。そして彼はいつも岩波文庫の書棚の前の椅子に腰掛けて本を読んでいた。彼との待ち合わせはいつも図書館だった。

 そこで落ち合ったあと、2人して長岡駅に向かって家路についた。

 そうすれば長岡高校や長岡大手高校の生徒達に見られて、冷やかされたり、噂になったりするリスクがないワケである。

 

 北陸の梅雨は短い。五月から六月にかけて、気持ちいい天候の日がつづく。


 梅雨が明ける頃に期末テストがある。

 それが終わると夏休みになる。8月の2日、3日に長岡まつりの花火大会があるので、夏休みに入るまでが勝負だ。


 何が勝負だと言えば、カレシカノジョがいなければ、部活、サークル仲間でつるんで見にいくしかない。カップルで見に行くかが、夏休みに入るまでが勝負なのだ。


 原智子は、なんとなく、わたしと彼、橘恭平の仲が怪しいことに気がついている。

 智子はラグビー同志会の1年生のマネージャーになっていたが、その仲間に罍秀樹もたいひできという男子がアプローチしてくる、と言っていた。


 それで、智子はわたしと橘恭平の仲を「しれっと」と探ろうとしていた。


 それは7月の初頭、期末テストの前、朝の通学の電車の中で聞いてきた。


 橘恭平は、電車でわたしの近くにつり革につかまって立っている。彼はいつものとおり、つり革にぶら下がってウトウトしていた。


「ねえ、夏美。もうすぐ長岡の花火でしょ?誰と行くの?」

「え、誰と行くって……」

「ふーん、高校の部活仲間じゃないのね。カレシでも出来たの?」

「……え?あ、は?さあ、何の話なのか……」

「ははぁ、ねえ、橘クン!」

 智子はつり革につかまってウトウトしている橘恭平カレシの背中を「ドン」と勢いよく叩いた。


「え、は、何か?原さん、どうかしたの?」

「ねえ、橘クン、花火を一緒に見に行きましょうよ。夏美も一緒に。橘クン、同志会に罍ってヤツいるでしょ?彼が私を花火に誘っているんだけど、2人だけでいくのはちょっとだし。だから橘クンと夏美も一緒に来ないかなー」


 こいつ、智子はわたしと橘クンとの関係に絶対に気がついているに違いない。絶対そうだ。


「オレはオッケーだよ。原さん。星さんも一緒にどうかなー?」


 なんて白々しい男だ。もう智子に感づかれているのに。


「よし、決まり!」

「決まりって、もし期末テストでオレが赤点だったら、花火どころじゃないけど……親父に何を言われるか……」

「じゃ、ちゃんと勉強すればいいじゃん」

「まあ、そうだけど」


 それはわたしも同じだ。西ドイツにいる父親はちょくちょく国際電話を掛けてくる。

 「夏美は勉強しているか」、「悪い虫がついていないか」、と母親に聞いている。

 わたしは橘クンは悪い虫だとは思わないが。


◇◇


 7月最初の週末の土曜日。授業が終わったあと、私は長岡市中央図書館に行った。いつものように橘クンは岩波文庫の書棚の前で本を読んでいた。


「ねえ、『数学I』で分からないところがあるんだけど、教えてくれない?長高ちょうこう(長岡高校)の方が数学の授業の進みが早いんでしょ?」

「ああ、そうだけど、オレに教えられるかな?」

「なにをトボけて……今日、橘クンも塚山駅まで自転車で来ているでしょ?」

「ああ、そうだけど、それが何か?」

「帰りに私の家に来て!」

「君んに?」

「おじいちゃんとおばあちゃんは、松之山温泉に湯治とうじに行ってるし、お母さんは仕事、夜勤だって。今日の夜、私は家で1人なの」

「それは……良くないんじゃない?」

「チャンスよ」

「何がチャンスだよ!」

「だって、橘クンのお父さん、週末、土曜の午後から小出町こいでまちの実家に帰るんでしょ。あなたも1人じゃない?」

「だって……」

「私の成績がどうなってもいいの?」

「西ドイツにいるお父さんに怒られて、ドイツに連れ戻されるて言ってたよね……」

「じゃ、決まりね」

「決まりって強引だな、おまえは……」


 ◇◇


 わたしは塚山の実家に彼を呼んだ。夏の始まりの暑い日だった。


 彼は乗ってきた自転車を隠すように家の裏に停め、

 だれもいない私の家に上がるとき、丁寧に「お邪魔します」と言って上がった。


 私は制服のまま、上着はブラウス。タイは外している。

 彼はジーンズに薄手のシャツを着ていた。


 わたしは家の冷蔵庫に入っていたスプライトを、氷を入れたグラスに注いだ。

 部屋に彼を招き、机でなくてテーブルの上に置いて、わたしは教科書を広げた。


 部屋の壁にはBOØWYの布袋寅泰ほていともやすのポスターが貼ってある。

 彼は、ふーん、という雰囲気でそのポスターを見つめた。


 彼はわたしの横に座り、わたしが示した数学の教科書の問題をノートに記している。


 さすがだ。すらすらと問題を解いていた。

 途中、「わかる?」と聞いてきた。

 わたしはその質問で、彼にすり寄って、「うーんと」と言いながら彼の頬に頬が触れるくらいに顔を近づけた。


「おまえ、近すぎじゃね?」

「そう?気のせいじゃない?」

「何が気のせいだよ。物理的に近いだろが。ちょっと!この問題がもうすぐ解けるから……」


 彼は脂汗を浮かべて、スプライトを口に含んでゴクンと飲んだ。

 喉仏を降りていく様子がみてとれた。


「なんかおまえの魂胆が分かったような気がする……」

「そうよ、この家に二人きり……」


 わたしは彼の頬にキスをした。

 彼はわたしに顔を向けた。

 わたしはブラウスの制服を着たまま、彼を抱きしめた。

 彼もわたしの背中に手を回して、ギュッと抱きしめた。


「来週期末テストだろ?」

「少しの『息抜き』くらい、いいんじゃない」


 彼の口をふさぐように、わたしはキスをする。

 スプライトの甘い味がした。


 わたしは口を離して、そしてブラウスのボタンを上からひとつずつ外していく。

「おまえ、本気か?」

「ええ、本気よ」

 彼のシャツのボタンは、わたしが外す。


 彼はラグビーのバックス。シャツの下からは、引き締まった胸と腹筋が現れた。

 肌と肌が触れあう。

 彼の胸はとても温かい。


 そして彼はわたしを抱き上げて、ベッドの上に導いた。


 わたしの「初めて人」が、とても素敵な人で良かった。


 彼もきっと、わたしが初めてなんだろう。


 わたし達、何時間、抱きあっただろうか


 彼の温かい胸に抱かれて、とても気持ちいい。


 気がついたら、もう周りは暗くなっている。


「オレ、帰らなきゃ」

「帰るって、どうせ官舎に帰っても、誰もいないでしょ」

「君のお母さんが、帰ってくるんじゃ……」

「帰ってくるのは明日の朝の9時頃よ。わたしの夕食と朝食が用意してあったし……ねえ、橘クン、帰らないで」


「……わかったよ。って、俺たち、期末試験の前に何をやってんだろ……」

「セックス」

「ハッキリいうなよ!夏美!」

「あ、夏美と言ったわね。これからあなたのこと『恭平』と呼ぶからね」

「原さん達の前で、下の名前で、絶対に言うなよ!」

「さあ、どうかしらねー。長岡花火はあなたと行くことで決まりね」


「ああ、いいよ、夏美。キミと一緒に行こう」


※スプライト 1980年代、コカコーラボトラーズが圧倒的シェアの時代のレモネード風の炭酸飲料。現在はシェアは低下している。

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