これが普通の恋なら良かった。

櫻沢 錫夭

失恋



からんっと、鈴の転がる音がした。

誰かが落としたんだろうな。ずっと鳴ってるし。


「うわ、」


身体に小さく衝撃が伝わる。誰かがぶつかって来たのだ。


「ん”っ、す、すみませんっ」


頭を抑えながらゆっくりと此方を見上げてくる少年は、背丈は小さいが俺と同い年位だった。

落とし物を拾う細い腕を見て、直ぐに折れてしまいそうな小枝みたいだと思う。


「……え」


驚いた様に目を見開いている。

___そういえば、この人何処かで見た気が。

誰だっけなぁ。



そんな事が、前にもあったな。



・ ・ ・ 



あおゆい……唯先生来てるぞ。起きろ」


勢い良く羽根布団が剥ぎ取られ、太陽の光を直に受けた瞼が黄色く染まる。


嗚呼、朝なのか。


まだ慣れていない瞳をゆっくり開くと、いつも道理の見慣れた天井が視界に映った。


「ぐーたらするんは良いけど、しゃきっとする時はちゃんとせい」


ぺしっと後頭部を軽く叩かれ、少し苛つきながら痛む場所を撫でる。


大体、僕の部屋なんだから勝手に入らないで欲しい。


窓の方に目をやると、呑気に鼻唄を口ずさみながらカーテンを結んでいる兄が居た。

そうか、今日はこいつがいるんだ。

昨日、普段は実家で神社をしている七歳差の兄弟が、今僕が一人で住んでいる父さんから与えられた大きすぎる一軒家に帰ってきて、謎のおせっかいを焼かれている。


「何、もう来てるの?」


パジャマを脱いで洋服を籠から漁る。洗濯し忘れたのか、皺が出来てしまっていた。


「うん、何ならリビングで十分位待ってくれてる」


「じゃ急ぐね」


「そうしてくれ〜」


後ろで階段を下る足音が聞こえたので、お茶でも入れに行ったのだろう。

此方も早く準備しなくては。

先生が今下に居る、その事実だけで気分が高揚する。こんな髪の毛ぼさぼさの寝起き姿見せる訳にはいかない。


そう思い、鏡の前に座り櫛を手に取った。





「先生、おはようございます」


身支度が済み、一階へ降りて行くと、ソファに腰掛け紅茶を飲んでいる人影を見つけた。


「蒼君、おはよう。良く眠れたかな?」


にこやかに微笑み、穏やかに答える人物。

五島 唯いつしま ゆい、長年の担当医だ。

僕は喘息持ちで、深夜に呼び出したり、外出中発作が起きたりと何度も迷惑をかけた事がある。


「はい、ところで何か用事ですか?」


今日は問診日では無い筈だ。


「ま、そうだね」


明るい笑顔が、緊張している様に見える。大事な事なのだろうか。


「あのね、私……」


左手の銀色の指輪がきらりと光った。

嫌な予感がする。





「“結婚するの”ってさぁ〜、……」


「あのさ蒼、そろそろ執拗いんだけど」


「きょっすー冷たい、悲しい」


「その渾名で呼ぶな」


「…響佑」


駅前の喫茶店で珈琲に口を付けながら、本を読んでいる友達に愚痴を零す。

ずっと好きだった人なんだ。

小学二年生、出会った時から高校一年の今迄。


だけど、結婚が決まったようだ。

僕の気持ちは伝わらないまま、別の人の所へ行ってしまう。こんな辛い事はない。


「良い人居たんだろうが、喜んでやれよ」


やれやれとでも言いたげに溜息を吐かれる。


「響佑にはそりゃ分からないよ、好きな人いないんだから」


「もう新しい恋始めれば」


「簡単に言うよね、僕がどんな人間か知ってる癖に」


「そうだな、まず学校に来る事から始めようか?」


「簡単に言うよねぇ」


「簡単な事だからなぁ」


(なわけないじゃん、)


そんなに難易度が高くないならもうとっくに行ってる。

でも、駄目な物は駄目なんだ。


「ならマッチングアプリやってみる?可愛い女の子いっぱい居るから、適当に気になった子と遊んでみりゃいいじゃん」


「お金目当てだったらどうする」


「蒼、そんな奴に騙されないっしょ?」


「案外僕引っかかりやすいの、知らないの。幼なじみのくせに」


「折角受験受かったくせに、高校来ないんだな」


「今その話関係なかったくない?!」


「元々はその話だっただろ」


額をテーブルに付け唸り声をあげる。どんな事を言ったって此奴には敵わないんだ。


テラス席の軽やかなBGMが流れる空を見上げると、悠々と散歩している鶯が目にとまった。

もう、春なんだな。

そう実感させられ、何故か少し寂しい気持ちになる。


ちりん、と腕に紐で巻き付けられた鈴が鳴った。


「……気になってたんだけどさ、その鈴何なの?なんかの宗教?数珠的な?」


「手貸して」と言いながらそれをいじり始める。

くすぐったい。


「御守りなんだって、うちの。よく分かんないけど、癖で気が付いたらつけるようになったんだよ」


気が付いたら。

いつだったかは忘れたけど、兄さんがくれた物だ。出掛ける時は勿論、家に居る時でも肌身離さず巻いている。

意味や理由があるのかは不明だが、どうやら兄さんも誰かから貰ったようで「俺はもう必要なくなったから蒼にやるよ」とわけの分からない言葉と共に放り投げられたのを覚えている。


「え、もしや鈬木だから鈴?駄洒落?」


げらげら声を上げて笑う響佑。

人を馬鹿にする嫌な奴だ。


「……なぁ、これ、願い事したら叶う?」


「は?」


何を言い出す。

馬鹿にしようかと思ったが、此方を見詰めてくる目はやけに真剣だった。


「だってさ、お前の家神社だろ?」


「関係ないよ、そんな事」


「やってみないと分かんないだろ」


「…………別に良いけど、」


どうやって願うつもりだろう。

賽銭箱みたいに小銭投げてくれるのかな?五円十円じゃそんな意味ないか。

でも一円を笑う者は一円に泣くっていうし。


そんな事を考えていたが、予想は大幅に外れた。


「え、?!ちょ何?!」


ぎゅ、と鈴を付けた左手が響佑の両手に包まれる。

そのまま、目を閉じ黙りこくってしまった。





「じゃ、俺塾だから帰るな」


「お〜」


軽快に手を振り、屈託のない顔で笑う響佑は少しだけ子供に見える。

願い事は何だったのだろう。気になって聞いてみたが、「巨乳の超絶美少女と付き合えますように」という馬鹿馬鹿しい回答しか返って来なかった。

本当にそれだけの事だったのか、先程の表情から疑ってしまう。


(まぁ教えてくれないもん聞いても意味ないか)


そう割り切れるのが僕の良い所だと、兄さんは言ってくれた。

考えたってどうにもならない。彼奴の思うことなんて知ったこっちゃないし。


だんだん遠ざかっていく背中を眺めながら、回れ右をして家の方向へ向かう。

今日はもう一人でゆっくりと時間を過ごせる。洗濯物が溜まってるやら勉強は少しでもした方が良いやらとやかく言う男はもういない。

明日から今迄通り仕事に追われて過労するんだろう。

インターホンが鳴り、誰だろうと思って出てみるとアポ無しで突撃して来た時の目のくまは凄まじかった。怒る気にもなれないほどに。

何ていうか、もう可哀想だった。絶対にあんなのにはなりたくないと改めて思った。


「ぉわッ」


誰かと肩がぶつかり、倒れそうになる。

結び目が緩くなっていたのか、御守りが硬いコンクリートに落下して音を立てる。

小さな鈴は、僕が拾おうとする前に又違う誰かに蹴られてしまう。


(あ、やばそっちに行ったら、)


転がっていった先は急な斜面が入口となる商店街だった。

そこを駆け下りてしまったら、店の中へ入ってしまう。そしたら手に負えなくなるだろう。

止まってくれ。そう思ったが、そんなのただの鈴に通じるはずがなかった。


「積んだぁぁっ」


丸い鈴は坂に差し掛かりスピードを増す。足が縺れそうになり転けないよう注意しながら全力で走り出した。

嗚呼、周りの目視線が痛い。

買い物を終え店から出て来た主婦、パイプ椅子に座り接客しているおばさん、地べたにあぐらをかき煙草を吸っている不良達。

とにかく「何してるんだ此奴」的な目で見られている。辛い。軽く泣きたい。


すると、急に目標の動きが止まった。


「うわっ」


スピードを落としきれず誰かに衝突してしまい、反射的に目を閉じる。コンクリートに突っ伏して倒れたみたいだが、身体に痛みはなかった。


しばらくして目を開けた時、それは人間を下敷きにしていたからだと分かった。


「す、すみませんっ!」


御守りは丸くへこんでいる謎の穴にすっぽりはまっていた。

それを拾って今日叩かれたばかりの場所に追撃をくらい、再び痛む頭を抑えながら顔を上げる。

はい、積んだ積んだ。

先生は婚約して響佑に馬鹿にされ体力を消耗し変人になりこの誰かに迷惑をかけた。


(恥ずくて死ねる……)


なんてことを考えていると、


「………え」


と、驚いたような声が小さく聞こえる。


「すず……?」


「、え?」




これは俗に言う、ボーイミーツガールだったのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

これが普通の恋なら良かった。 櫻沢 錫夭 @suzu_sakusawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ