オートクチュールに花束を



「まてロア!こらロア待てったら!」


少し、目を離した隙に。

幼女はふらふらと先に先に進む。

無論体格や身体性能的には追いつけない訳はないのだが、ふと一瞬目を離した隙に、さっきまでいた場所に居ない、というのはとても心臓に悪くなるものだ。ヴァンの心臓は動いてはないのだが。


「なんだあいつ、くそ、元気すぎるぞ!」


息切れこそせずとも、どこかしこで疲労が溜まる気がする。それほど少年はその動きに翻弄されていた。ぴょん、ぴょんと飛び跳ねてこちらに来るようにアピールするフルマスクの幼女、ロア。魔物が本当に時たまいるので単独行動は避けてほしいんだと言った直後の事だった。


「おい。さっきも言ったけどなあ、オレが守れなかったら困るんだし、もっとゆっくり進んで…」


追いついて、苦言を呈そうとしてから。

ロアの指差す方向を見て、その言葉が消えていく。代わりにヴァンはぐっ、と手を握り歓喜の声を上げた。


「人だ!人がいるぞ!ようやく人を見つけた!そっか、それがいたからお前は教えてくれたのか!偉いぞ!すごいぞ、ロア!」


ぐっ、と。

力強いガッツポーズを返すロア。

彼女は聾唖のようで、一言も喋らないが、しかし感情がなかったりその表現が出来ないわけではない。むしろ感情は、人一倍あるようでこうした感情の疎通を、ジェスチャーで嬉しそうに行う。

脇に手を通して高い高いをするような戯れ合いをしてから、さてどうしたものかと首を捻ることになる。


「さて…人がいる事だしまず話しかけたいんだけど。まあ間違いなくオレらが話しかけたら逃げられるよな?」


問われた幼女はこくこくと縦に2回頷く。

それはそうだ、とわかっていたようにため息。

彼らは、短い旅の中でも自ら達がちゃんとばけものであることは分かっていた。普通の人間がいるなら、これらの存在を避けなければいけない。そのような存在だと分かっていた。


迷った挙句。まあ少なくとも見失うわけには行かないと、どうコミュニケーションを取るかという問題点だけを先延ばしにしてその人物を背後からこっそりとつける二人。困った状況の中、追跡の最中楽しそうに身体を動かすロアを羽交締めにする少年の姿は不審者そのものだったと言える。もしくは、面倒見のいい兄妹か。


さて、そんな風にしているとその追跡した人影はある街の中に入っていく。街とは言えど壊れた建物に着かない電気、廃墟と化しきり風化した建物に捨て置かれた自動車、整備の無い街路樹。ただ滅びたあとの場所と言われて仕方ないものだろう。

そうしてから、漸く気付く。

人はいる。だがまるで、活気が無い。

否、活気は無いのはこう陰鬱とした世界なら当然かもしれない。だがそこに無いものは、なんというか。



(……生活感が、無い?)


そうだ。そこに人が暮らしているならば、ゴミや排泄物、何かと争った跡や何かしらが絶対にあるはず。

だがそこにはそういったものが存在しない。

ここに住まい始めたばかりなのだろうか?しかし、さっきまで追跡していた人物は手慣れたようにここに入っていた。


うーむ、どういうことだと思う?と、懐にいるはずのロアに問いかけようとした時。そこに姿がない。

ぎょっと探せば、ロアの姿は建物の方へ遥か遠く行っていた。必死に追いかけて止めようとしたが。



「誰だ、お前はっ!」


時は既に遅く。

着けていた男性は懐からナイフを2本取り出して此方に警戒と殺意の視線を向けてくる。咄嗟に、背の鉄パイプを抜こうとしてから、あわあわとそれを放り捨てた。慌てて手を挙げ無害をアピール。横で見よう見まねで、ロアがばんざいをした。


何か格好つく言い訳でもしようとしたが、そうしたところで疑いを強めるばかりであることと、何より慌てた姿を見せてからじゃそれをしてもダサいだけだと思いそのまま素直に投降をした。



「ちが…違うんだ!オレはその、えっと、旅してて!この子を途中で拾ったから、預けなきゃと思って人のいる所を探してたんだけど、その、声をかけたら怖がられると思って!」


横でこくこくと必死に頷くロアと、片方しかない腕で必死にジェスチャーをして間抜けに事情を話す姿。

それを見たか、というよりは、その男はむしろヴァンの失われた左腕の根本をじっと見て。そこから流れる黒い血を見てほっと息を吐いた。



「……なんだ、お前も同類か。

しかし…二人ともまだ若いのに可哀想に。

本当にこの国は腐り切ってやがるな」


目を瞑り、首を振る男。髭面のその男性は打って変わって、柔和な顔付きで言い訳をする少年たちに手を伸ばした。


「安心しな、にいちゃん達。正体を隠す必要もなきゃ怯えることもねえよ。俺はお前らと同じだし…普通に喋って言い訳する知能があるんならまあ、手荒いこたしねえよ」


『同じ』。

その言葉が表すことは、こうして人を探していたというわけではなく。境遇や性別とかそんなものでも当然なく。


「……あんたも、オレとこの子と同じ?」


「ああ。所謂ダークナイトって奴さ。

ほんっと、ダサいったらありゃしねえ名前だ」


ダークナイト、という名称を聞いて格好いいじゃないかと思ったこと、直後にそれがダサいと言われたことに釈然としない気持ちになりながら。そんなことはどうでもいいと疑問を放つ。



「ま、待った待った!

その…オレ達、ダークナイトってのはそんなに、そんなに溢れるほどいっぱいいたのか!?それにあんた正気じゃないか!正気なやつもいるのか!?ていうかオレもしかしてその正気なの殺したのか?いやいや、えっとまず聞きたいことは…!」


「うっるせえなガキ!何も知らねえってんなら説明してやるから落ち着け!何はともあれ、俺らんとこにくるといいさ」


くい、と親指で廃墟を指す髭面の男。

まだ罠ではないか?という疑念も含めて。

あんたの名前はと問う。

そうすると男は平然と答える。



「俺はテッドっつうモンだ。ちと前までは探索者をしてたんだが…ハ、今やこんな馬鹿みたいな生物兵器の端くれさ」


「テッド…テッド?」


ふと、懐かしいような名前を聞いた感覚。

頭を捻るが、当然その理由はわからない。


「んだよ。そんな変な名前じゃねえだろ」


「いや、聞いた事あるような気がして…まあ、気のせいか?あんたと絶対初対面だもんな」


「そりゃそうだろうよ。えーと…

お前たちはなんつんだ」


「……二人とも、覚えてない。

から、俺はヴァニタス。

ヴァンって呼んでくれ。こいつはロアだ」


「記憶の障害か。そりゃ難儀だな。

…しっかし、その名前のセンスは…」


「なんだよ!文句があるなら言えよ!?」


少年を嘲笑うような顔をしたテッドに、ぶつくさと小言を言おうとする少年と、その髭面にぽこぽこと殴りかかるロア。彼女なりに、その名前は気に入っていたようだ。





……




まず、彼らの存在がダークナイトと呼ばれる生き物であること。人工的に、後天的に人体を改造、生み出された存在ということ。彼らが生み出された理由は、世の淵に発見されたもう一つの世界を、できる限り汚染と破壊をしないまま侵略するためであるということ。

それらを知って、少年はひたすらに困惑し続けた。


「…………その…なんだ?テッド。

変な冗談ってわけでも、ないんだよな」


「こんな状況でんなこと言うかよ。アホみたいな状況だが本当だ。んで俺たちは全員稼働するまでコールドスリープ?だかしてたはずなんだが…何やら新しい聖女さんが一人をわざと逃したとかなんとか言ってな。それ以降ずっと、起き上がって、動いてたんだよ。理性もなくして」


信じがたいような情報が次々と出て頭が痛くなるようだったが、横にいるロアですらそうだと首を縦に振り、一層それの信ぴょう性は確かだとわかり、途方に暮れる。


「えっと、それじゃ今のオレたちはなんだ?

理性を無くしてるわけ、じゃないよな」


「それが俺たちにもよくわからんでな。

ほら、今ぁこの世界どう見ても滅びかけてんだろ?」


「まあ…そうだな」


「それのせいでか、俺たちもどこかリミッターが狂ったのか、人格に蓋してたとこが壊れたんだな。意識を無くしてここの生物を何でもいいから殺そうとする奴と、俺たちみたいな…」


「…そうなる前の意識を取り戻す奴に別れた、のか」


「そういうこったな。まあ俺も噂の噂のそのまた噂で聞いただけで、それが本当なのかは知らねえが」


なるほど、通りで。

自分があんなとこに居たのも、こうして正気を取り戻す前に何か歩き回っていたからなのだろうか。と、思った。


「じゃあ、ここにいるのはそんな正気をちょっとでも取り戻した奴らの溜まり場ってことなのか?」


「まーそうだな。

最初は俺が勝手に集落っぽくしてただけなんだが、だんだん色んな奴らが入ってきてんだ。…食べるのも寝るのも、まともにしなくていいような身体ではあるが。それでも一人は寂しいんだろ」


「それは…

……オレもわかるよ、テッド」



そうして、ロアの顔を横目で見た。


最初に辺境で目が覚めて、誰にも何にも生き物に逢えないで歩き回っている時、気が狂いそうだった。沈黙と静寂が絶望を増幅させて、ただ脳を埋め尽くしていって。だから、壊れた世界を嫌というほど見た時には目的もなく、死んでもいいかと自らの首に手を掛けかけた。

そこで、出会った彼女。

彼女は喋らない。だけど一緒にいるだけで気持ちが救われた。一緒にいるだけで、自分が人らしくあれた気がした。

ロアのその爛漫さは、彼の心を救っていたのだ。

きっと、ロアにとってもそうだ。

彼の視線を受けてぐっと、手を胸元で合わせた。



「そういう、どうしようもねえ奴になって全部から逃げてきた先。落伍者の集まりが、ここさ。だからまあ、人でなしなダークナイトしかいねえし、まともな奴も随分減っちまったが」


「減る、って…そりゃまたなんで。自殺か?」


「理由は二つ、一つは…俺たちみたいなのもいつタイムリミットが来て、理性がなくなっちまうのかがわからないってのと、もう一つは…」


「……魔女に、狩られているんだと」



魔女?

聞き覚えがあるような、気がして聞き返す少年。その聞き返しを、怪訝なそれと思ったらしく恥ずかしげにテッドが首を振る。


「俺だって何言ってんだ、って思うわ!だけど実際、何人も何人も殺されてるんだから仕方ねえだろ!」


「ああ、いやいやバカにしたわけじゃないんだ。魔女って言葉は覚えてるぞ。どういうのかも、不思議と分かってるが…」


だがそれ以降を思い出そうとすると、霞がかかる。脳に白い膜がかけられてるように、何も思い出せなくなる。



「ああ、クソ。オレの役立たずめ!

どういうやつだ?そんな悪魔みたいな奴は…」


「……だけどまあ、そんな奴がいるなら尚のことロアはここに…なあテッドさん。お願いがあるんぐえっ」


くぐもった悲鳴で、語末が消える。ロアが言おうとしたヴァンの首元に回り込んでぐいと締めるように引っ張っていた。おんぶのような状態で、ぐいぐいと首に手が極まってしまっている。



「くくく、がははは!『やだやだ、一緒に行きたい』か、もしくは、『一緒にいて欲しい』だとよ、小僧!」


「苦しい苦しい!んなこと言ってもしょうがねえだろロア!?オレと一緒に居ても危険なだけだしさ!」


「いいんじゃねえかよ、ヴァンよ。お前別にやる事はねえんだろ。せめて記憶が戻るまで、ここでゆっくりしていったらどうだ?俺もお前さんのこと、なんだか気に入っちまったよ」


「ぐえ……だけど」


「それらについては二人で話し合えよ。

俺みてえなじじいはどっか行ってらあ」



そうして、テッドも消えた中。

消えかけた電灯の下で二人は向き合った。

片方は、聾唖。フルマスクでもある。

だから何を話すわけではない。表情を読み取るわけでもない。だけど二人はそのままの状態でしばらく居た。



「……少しだけ残ってる記憶があるんだ」


ぽつり、と話し出したのは何がきっかけというわけではない。ただ、人知れず。


「ひどい記憶なんだ。他人事みたいだけど、オレも大変な目にあって。だけどそれがどうでも良くなるくらい、オレの隣にいる可愛い子も酷い目にあってるんだ。本当に、酷い目に」


「だからそんなことされたことにムカついてて、この世界に向けての復讐!なんて思ってたんだ。なんだけどさ…」



諦観。逃げた先。

テッドは落伍者の集まりだといっていた。記憶からも使命からも、逃げてきた自分に言われたようで、焦燥感があった。

天井を今、眺める。廃墟。

壊れた石畳。


二人で一緒に外に出る。

空を、光景を見る。

どこもかしこも暗い世界。

生き物も木も何もかも死に絶えている。残った生き物も、狂ったダークナイトが殺していっているそうだ。

それをみて、はあ、とため息をついた。

諦めと疲れの息。



「……なあんか。

もう滅びちゃってんなら、もういいのかな」


「もうここで、お前と一緒に死んでもいいのかな」



そうして、少年はロアの手を握った。

幼女はただ、その手を握り返して。

ぶん、ぶんと強く上下に振った。





……



少しだけ、心を整理させて欲しい。

そう言ってヴァン少年は一人で何処かへと行った。


そうして一人の夜の中。

先まで握られていた手を、ロアはもう片方の手でぎゅう、と大切にするように抱きしめた。


彼女の中にも、わからない感情がある。この夜空はそれに向き合うことに適した空だった。

彼女を助けてくれた。

それはただ、狂った黒騎士から身を助けてもらえたというだけでなく、誰も居ない壊れた世界で、二人でいることが出来たという事。そうしてまた、自分の為に歩みを止めてくれたことの嬉しさ。自分が止めさせてしまったことの罪悪感。


それら全てを、胸に抱き締める。そうして、心がつくつくと可愛らしく痛むそれが何なのか、わからないままに。きゅっと。



「こんばんわ。

可愛いダーク・ナイトさん」


びくり、とかけられた声に、驚く。

心の底から、それに恐怖をした。何も恐ろしいものはない。むしろ可愛げのある、涼やかな花風のような声というのに。



「ごめんね。

私、少し、探し物をしてまして」


「だから、ここの案内をお願い出来ませんか?」



その、微かに桃色の髪が数本混じった少女の笑み。

可憐な華が咲いたようだった。血を吸ったメイスが視界に入ったから、恐ろしく思ったのか。きっと、違う。


綺麗な華には、毒がある。

人であるならば、一層に。

そうした根源的な恐怖を感じる綺麗さなのだろう。

この、背後の女性は。



フードの下から覗く笑みは。

ただ、聖なる物に見えるほど無謬的。

それでいて、酷い罪と過ちを犯している。


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