番外編2 親愛



 ――――あの日から、数年が経った。


 自分の名前すら憶えていない幼子は、成長し十代前半くらいの少年となった。少女のような可愛らしい容姿だが、その能力は底が知れない。隠しているつもりだろうがその身体能力も、知力も含め、人並み以上の才能を兼ね備えている。


 他の者たちとは違い、自分の境遇に対して不満もなく、ただ静かに俺の身の回りの世話をしているそいつは、その外見の特徴から『白き龍の民』に間違いないだろう。


 あの日、賊に弄ばれそうになっていた幼子を守った白い光。大の大人を吹き飛ばしてしまうほどの力。俺たちとは別格の存在である『名無し』は、自身が何者かも知らないままここにいる。


 俺に救われたと恩を感じているようで、それならそれで都合が良かった。


 警戒していちいち拒否されるよりも、今の状態の方が話も通じるし、言うこともちゃんと聞いてくれる。他の奴らもその外見に騙されて、こいつは弱いから手合わせをしてもつまらないと思い込んでいる。しかし実際は、そうではない。


赤瑯せきろう兄さん、もう、いいですか? 俺、あんまりこういうの好きじゃないです。兄さんだって俺なんかと手合わせなんてしても、つまらないでしょう?」


 臙脂の衣を纏う、白銀髪の少年。赤い瞳は大きく、声変わりをしてもまだ少し高めの声。幼い頃から見てきたが、相も変わらず童顔で細身。


 初めてこいつに会った奴らは、その裸を見てもこいつが男だなんて信じないのだ。なんなら変な気を起こす馬鹿もいたので、沐浴させる時間を変えた。


「お前がいつまでも本気を出さないから、たしかにつまらないな」


「俺はいつだって全力で、本気ですよ?」


 ぼそぼそと名無しが呟きながら眼を逸らす。実力を隠しているの、知ってるんだからな。軽く流して終わらせようという魂胆が見え見えなんだよ。


「そんな怠け者のお前に、初仕事をくれてやる」


「仕事、ですか?」


 すごく嫌そうな顔をして、木刀を下ろして俺を見上げてくる。


 いつもの雑用ではなく、暗殺者としての仕事だと察したのだろう。いつもと違う雰囲気にすぐに気付いて、なにか言いたげだった。


「ひと月後、第一皇子の花嫁探しの儀式が行われる。その儀式に潜り込み、皇子を暗殺しろとの命だ。よう妃直々の命だから、失敗は赦されない。お前なら花嫁候補として潜り込んでも問題ないだろう? まあ、初仕事が大仕事だから、他にも何人か忍び込ませるが、」


「····どうして、俺なんです?」


「皇子の周りは護衛だらけだ。今回の計画は二段構えでいく。ひとりは直接的にわかりやすく堂々と命を狙い、残りは退路の確保。お前はその騒動に乗じて皇子の信頼を得て、花嫁候補に残るのが任務だ。後は王宮内に潜り込ませている仲間の指示に従えばいい。皇子を殺す時宜じぎはこちらで判断する」


 これが、表の計画。


 裏の計画は、名無しを本来いるべき場所に帰すこと。皇子が今の名無しの姿を見て、自身が捜し続けている白煉はくれんだと気付くことができれば成功するが、正直どうなるかは賭けだ。


「断ることは、できないんですよね?」


「頭領のめいは?」


「······絶対、です」


 なかば強制的に行かせることとなるが、お前にとっても良いに決まっている。いつ沈むかもわからないこの船に乗っているよりも、ずっと安全なはず。すごく不服そうな顔をしているが、今回は甘やかすのはなしだ。


 数日後、王宮のとある場所でよう妃と顔合わせをし、偽の計画の内容を話すと、よう妃は満足げに微笑んだ。必要な所作を学ぶようにひとを寄こし、女たちに混ざって名無しが慣れないことをしている様は、愛おしさとおかしさで腹がよじれそうだった。


 ひと月後、無事に花嫁探しの儀式に臨む名無したち。結果は、予想以上のものだった。青藍せいらんは名無しが誰か、すぐに気付いたようだ。名無しは青藍せいらんを庇って毒を受けたが、なんとか治療を受けることができたようだ。以降、客人として傷が癒えるまで居候することになったらしい。


 蒼夏そうかよう妃が開くお茶会に同席するという知らせを受けた。なにかあれば助けると言っていたので、不本意だったが任せることにした。


「あの子が、あの時の子なんだよね? 俺、あの子のこと、もっと知りたいと思ったよ。それくらい、面白い子だった。赤瑯せきろうは保護者として、どういう気持ちで送り出したんだ?」


 あの蒼夏そうかさえも名無しに興味を持ったようだ。他人にまったく興味のない、色々と歪んでいるこいつさえも、あいつの前では絆されてしまう。名無しには不思議な魅力があった。本人がなにかを考えてそうしているわけではなく、周りが勝手にあいつに惹かれてしまう。


 変な虫が湧いたように寄ってくる。それらを蹴散らせるくらいの力はあるが、本人は無自覚でやっているので、それに気付かないのが唯一の心配の種といえよう。


 青藍せいらんが定期的な市井しせいの視察で王都にやってくるようだ。その期を逃すまいと、正確な日時を蒼夏そうかから情報提供してもらった。目的は接触。名無しは毒の影響で、一時的なものらしいが記憶喪失になってしまっているようだ。


 そもそも記憶がないのに、さらに俺たちのことも忘れてしまったってことか? ややこしいな。


「逢ってどうするの? あなたのこと、あの子は知らないんでしょ? だったら思い出さない方が逆にいいんじゃない?」


「それでも、あいつに伝えてやらなきゃなんねぇことがあるのさ」


 皇子の花嫁になる?

 そんなことになれば、素性がバレた時に苦しむのはあいつ自身だ。


 暗殺者集団に属していたことを皇子が知らないまま、いつまでも隠し通せるわけがない。記憶がないなら尚更だ。その手が穢れていないことを知る必要がある。どこまで憶えているのか、確認する必要もあった。


「ふうん。まあいいけど。俺は俺で色々とやることもあるし。お茶会の一件以来、あのひとの考えがいまいち読めなくて。最近は自室にこもりっきりなんだよね、」


 だとしても、俺にはまったく関係のないことだ。


 よう妃からはあの日以来、なんの連絡もない。仕損じた件で責められてもおかしくないはずだが。まあ、なにもないならそれでいいさ。


 久々にあいつの顔を見た。市井しせい青藍せいらんの横に並んでいるあいつは、なんだか別人のようだった。このまま記憶が戻らない方が幸せなのかも? そう思ってしまうほどに。


 けれども顔を合わせた時、あいつは俺の名を呼んだ。記憶が戻った? そんな都合の良いことがあるだろうか。青藍せいらんの剣を奪い、仲間たちを倒したあいつは、確かに俺の知っている名無しだった。


「行ってきます、兄さん」


 そう言って微笑んだあいつを、俺はただ見つめていた。大切にしてきたつもりだった。ずっと、傍に置いておきたい存在だった。


 そんなあいつが、俺の許を離れ、自分が選んだ場所に帰っていく。まるで、雛が巣から飛び立っていくかのように。


 拠点に戻り、あいつの荷物を整理していた。ほとんどなにもなかったが、俺が記憶がないことに悩んでいた幼いあいつに提案した、日記。毎日欠かさず書いていたそれが大切にしまってあった。


「····これは、」


 ぱらぱらと勝手に日記を開いて中身を確認する。あいつの不安やここでの生活に対する想い、心の支えにしていた夢の話がそこには綴られていた。


 俺はある決断をする。もう一度、逢わないといけない。そして、本当の意味であいつと訣別する必要があると確信する。


 いずれにせよ、この国での仕事もそろそろ終わる。別れは、いつか来るのだ。あとは、あいつが幸せになれるように、ただ遠くで祈るだけ。


 親愛。


 それが、俺があいつを想う気持ちの正体だと気付いた。本当の家族のように、弟のように想わせてくれた。それは、かけがえのない時間。ひとを殺すことしか知らなかった俺がもらった、大切な気持ち。


 だからこそ、俺だけがしてあげられることをしよう。それが、俺からの最初で最後の餞別だ。




番外編2 親愛 ~完~


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