5-6 兄弟の絆



 膝までの長さの赤い上衣と黒い下衣。長い黒髪はそのまま背中に垂らしているため、動く度に闇夜に揺らいで見える。餞別だなんて言うわりに、赤瑯せきろうはまったく手を抜く気がない様子だった。


 彼が扱うのは刃の広い刀剣。片刃だが見た目通り剣戟においてその攻撃は重く、それを片手で自在に操る赤瑯せきろうの技量は計り知れない。一方、白煉青藍せいらんから授かった剣は両刃の細身の剣で、彼が得意とする捉えどころのない剣技において最適な武器だと思われる。


白煉はくれんは回避と防御が主で、スキルは表示された時に三つの中から最適なものをひとつ選択する必要があります。制限時間内に選ばないと、こちらが攻撃を受けてしまう恐れもあるのでお気を付けて』


 ぶつかり合っていた剣をお互いに弾き、左右にそれぞれ飛んで違う屋根の上に降り立つ。白煉はくれんはまだ全力を出していない。それは赤瑯せきろうも同じだろう。口元に浮かんだ笑みが月明かりではっきりと見えた。


「名無し、いや、白煉はくれん。お前は一度として、本気で手合わせをしたことなどなかったな。いつもそうやって攻撃を受け流して、自ら攻撃に転じることをしない。相手には逃げ腰だと思わせ、弱いと思い込ませる。そうやって、あいつらに目を付けられないように上手く立ち回っていた」


 おそらくその通りで、白煉はくれんの癖なのか、基本は攻撃を躱したり受け流してばかり。赤瑯せきろうが攻撃をしてこない時は、その様子をじっと観察しているのだ。


 そういう時は回避か防御の二択が表示され、スキルの選択肢は出ない。感覚としては、身体が勝手に動いていて、その目を通してふたりの戦いを見ている感じだ。


 選択肢が出るのは決まって、赤瑯せきろうが攻撃をしかけてくる数秒前。たった三秒ほどの制限時間内に選択する必要があった。所謂、QTE(クリックタイムイベント)というシステムで、その間は相手の攻撃がスローモーションになる。


 回避と防御以外に表示される技は三つの選択肢になっていて、ナビが言うように俺自身が瞬時に選ぶ必要があった。


「····あなたの知る白煉はくれんは、違うとでも?」


「当然だろう? 何度も手合わせしているのだから、本気がどうかなんてすぐにわかる。お前は自分の実力を隠して、俺の後ろで静かに控えているようなやつだった。だが今回は、そんなつまらないことはしてくれるなよ?」


 赤瑯せきろうは視線だけで「ついて来い」とでも言うように、白煉はくれんに背を向けた。俺はその派手な赤い衣を目印にして月明かりの下、彼を追った。屋根の上を次々と飛び移りながら王宮を出て、やがて市井しせいの外れまでやって来ると、その足を止めた。


 そこは竹林に囲まれた場所で、風が吹く度にさわさわと無数の笹の葉が擦れる音がして、頭上がやけに騒がしかった。


「この前は、俺の前から失せろとか言っていたのに、なんでまた逢いに来てくれたんですか、赤瑯せきろう兄さん?」


 これが隠しイベントの後半で、白煉はくれんの記憶を取り戻すためのイベントということは知っている。赤瑯せきろうたちがこの国から出る準備をしているということも、聞いた。よう妃がこれ以上暗殺者たちを使うことはないだろうと踏んで、必要とされる場所へ移るのだということも。


 だから、最後に逢いに来てくれたのだろう。

 手合わせというのは、口実でしかないと。


「渡しそびれた物がある。だが、タダでやるのは惜しい。だから、逢いに来た」


「だからって手合わせの必要が?」


「奪い取ってこそ、意味があるからな」


 刀剣を向け、赤瑯せきろう白煉はくれんを見据えた。


「そんなの、俺は欲しくないです」


「なにかも聞かずに欲しくないだと? 少しはやる気を出してもらわないと困る」


 言って、赤瑯せきろうは左手で懐からある物を取り出し、目の前に翳した。その手の中にあったのは、古い書物のようだった。


「お前が俺の許にいた時に書いていた日記だ。読み上げてやろうか?」


「ひとの日記を読み上げるなんて、悪趣味です」


 あの頃の白煉はくれんがなにを書いていたのか。その日記こそが、この隠しイベントで手に入るという、記憶の欠片の半分なのだろう。


「ここには、お前が幼い頃に時折見ていた夢のことも書いてあるぞ。察するに、あの皇子サマとのことのようだな? この時のお前はまったくわかっていないようだが、」


 き、気になる····。

 その夢って、ふたりの大事な思い出なんじゃないかな? いったい、なにが書いてあるんだろう?


「兄さんが返してくれれば済む話です。やはり、戦う理由にはなりません」


「さっきは欲しくないと言ったくせに」


「せっかく持って来てくれたんだから、持ち主に返すのが道理です」


 赤瑯せきろうとの距離はたった三歩ほど。白煉はくれんの素早さなら日記だけ奪って逃げきれる気もするけど····そう簡単には済まないみたい。


「だから、本気で戦えといっている」


 取り出して見せた物を再び懐に戻して、赤瑯せきろうはにやりと笑った。それは戦うのが楽しくてしょうがないひとの顔に見える。白煉はくれんと本気の手合わせをするために、日記まで持ち出して。白煉はくれんよりもひと回り以上も年上なのに、まったく大人気のないひとだ。


『隠しイベントは手合わせに勝つことで終了し、記憶の欠片が手に入ります。言葉で説得するのは無理でしょう』


 わかってるけど····できることなら戦いたくはないんだよね。

 さっきのQTEもかなりぎりぎりで難しかったから。今回のイベントは今までと違って難易度がおかしい気も。


「仕方がないですね。兄さんがそうやって意地悪をするというなら、自分で取り返すことにします」


「言ったからには、全力でかかって来いよ?」


 再び、ふたりの剣の切っ先がお互いを指した。ひらひらと笹の葉が舞い散る中、ある一枚の葉が合図となり、赤瑯せきろうが強く一歩を踏み出したのとほぼ同時に、白煉はくれんも前に出た。ふたりの動きがスローモーションになり、俺の目の前にはスキルの選択肢が。


(風に舞う華の如く、自由気ままに変則的な攻撃を繰り出す剣技【風華円舞・絶】、これに決めた!)


 途端、白煉はくれんの赤い瞳に光が宿ったかのような演出と、剣を器用に素早く目の前でくるくると回して、持ち直し構える姿が俺の目に飛び込んできた。


 それはさながらゲームの画面を見ているかのようだった。俺自身が動いているというのに、不思議な感覚。白煉はくれんの周りに旋風つむじかぜが巻き起こり、正面から向かってきた赤瑯せきろうと目が合う。


 それは一瞬の出来事だった。


 赤瑯せきろうの重い刀剣から振り翳された剣技と、白煉はくれんが遠心力を使って繰り出した、変則的な剣圧がぶつかり合い、ふたりの周りを舞っていた無数の笹の葉がそれぞれ真っ二つになった。


 同時に、咄嗟に刀剣を盾にして剣圧を半減させた赤瑯せきろうの身体が竹林の方へと吹き飛ばされ、五本ほどの竹を犠牲にしてなんとか止まった。


 白煉はくれんはその様子をじっと見つめ、赤瑯せきろうが立ち上がるのを待つ。正直、内心はどきどきしていた。白煉はくれんの本気がすごすぎる。まさかあんな強力な技だとは、想像もしていなかったのだ。


 白き龍の民が風の力を操れるというのは本当のようだ。まるで中国時代劇の侠客たちの戦いのような、迫力のあるシーンだった。


 赤瑯せきろうは片膝を付いて咳き込みながら、刀剣を地面に突き刺して支え代わりにし、口元をつたう血を拭った。


「大丈夫ですか?」


 少し心配になった俺は赤瑯せきろうの方へと駆け寄り、思わず声をかける。自分でやっておいて「大丈夫ですか?」もおかしな話だが、その後のことなど考えていなかったので仕方がない。


「····まったく、これだから手放すのが惜しくなる」


 ははっと子供のように笑って、赤瑯せきろうは俺を見上げてきた。なんだか胸の奥がじりじりする。俺の中の白煉はくれんが、なにか想うところがあるのかも。そっと左肩に手をおいて、俺はその場にしゃがみ込んだ。


「それは、困ります····」


 同じ位置に視線が交わり、赤瑯せきろうが口元を緩める。


「馬鹿か、冗談に決まっている。お前のようなお人好しは暗殺者には向いてねぇよ。ほら、持っていけ。お前の物だ」


 言って、赤い衣の懐から取り出した書物で俺の頭をぺしっと軽く叩いた。瞬きをして、俺はおずおずと赤瑯せきろうからそれを受け取ると、『記憶の欠片を入手。隠しイベントクリアです』とゼロの声が頭の中で響いた。


赤瑯せきろう兄さん。たとえ離れてしまっても、あなたは俺の兄さんです。あなたにもらったもの、なにも返せていないけれど····許してくれますか?」


「阿呆。別に俺はなにもしちゃいない。許すも返すも元からない。ないものをどう返す? なにを許せというんだ?」


 本当に、このひとは。


 俺自身が彼との思い出があるわけじゃない。過ごした時間も俺のものじゃないけど。それでも、こんなにも離れがたいと思うのは、白煉はくれん自身の気持ちなのかもしれない。


「俺たちの間に、貸し借りなんてない。去る者は追わん。引き留める理由もないしな。まあ、依頼なら格安で受けてやってもいいぜ。いずれは皇子の妃になるんだろ? 殺したい奴がいたら、俺を呼べよ?」


 赤瑯せきろうは冗談を言いながら俺の頭を撫でて、にっと不敵な笑みを浮かべた。またそうやって、子ども扱いする····って、白煉はくれんが心の中で言ってそう。ふたりの過去も、記憶の欠片が揃った今ならわかる。


「····必要ありません。みんないいひとたちなので」


 少なくとも白煉はくれんは、赤瑯せきろうのことが好きだったのだ。血は繋がっていなくとも。家族として。兄弟として。過ごした日々が走馬灯のように頭の中で再生される。気付けば、涙が頬をつたっていた。そこまでの想いを、白煉はくれんが抱えていたとは思わなかった。


「泣くな、白煉はくれん。お前の幸せが、俺の長年の夢だった。まさか本当に皇子の花嫁になるとは、夢にも思わなかったが、」


 涙をそっと拭って、赤瑯せきろうは優し気に金色の眼を細める。


「末永く幸せに、な。間違っても出戻って来るんじゃねぇぞ?」


 うん、と俺は頷き、ゆっくりと立ち上がる。


「兄さんも、あまり無茶はしないで? 元気でいてくださいね、」


「····お前もな、」


 さよなら、はいわない。

 逢えなくても、かまわない。

 これが最後の関りだとしても。


『報告します。隠しイベント終了。恋愛イベントの発生時期が確定しました。イベント発生は三日後です。また、発生場所の変更を確認しました。発生場所は――――』



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