5-2 渚の正体



 十五分ほど前。青藍せいらんの部屋の扉を叩く者がいた。まだ寝る時間には早く、誰かが訪ねてくるには遅い時間だった。もしかしたら、白兎はくとかもしれない。俺はそんな期待を込めて扉を開いたのだが。


青藍せいらん兄上、こんばんは」


 大きな青色の瞳。可愛らしい顔。小さなお団子を作ってハーフアップにした、肩にかかるくらいの長さの薄茶色の髪の毛。青藍せいらんより頭ひとつ分低いその人物は、第三皇子の碧青へきせいであった。


「あ、もしかして、愛しの白煉はくれんだと思った? 残念でした~」


 こいつ····。


 確かに扉を開ける前の表情と、現在の表情はわかりやすく違っていたことだろう。そもそも、なんでこいつが青藍せいらんの部屋に来るんだ?


「今日のこと、弁解しに来たんだ。兄上のことだから、もうわかってるかもだけど」


「必要ない。もちろん驚かなかったといえば嘘になるが、おかげで上手くいったのも事実。そもそも、お前は自分の役割をわかっていなかったろう?」


 あんなことを言って場を乱した、碧青へきせいの役割。よう妃にしてみれば白煉はくれんの素性を明かすため。蒼夏そうかにとってはよう妃の企みを皇帝陛下の前で晒すため。そのどちらの役割もこの皇子は担っていた。


「まあそうなんだけどね。でも俺、ちょっと感動したんだよ? あの子、大人しそうな顔してあんな大胆なことするんだもん。青藍せいらん兄上が羨ましい。俺ももう少し早く出会ってたら、あの子を花嫁にしてたかもね。母上も気に入ってたし」


「そんなことを言いにわざわざ来たのか?」


「まあ、それもあるけど····本題はこっち」


 碧青へきせいは白い単衣の上に青い衣を纏う、かなりの軽装でやって来たようだ。おそらく長居をする気はもとよりないのだろう。左の袖に右手を突っ込んでごそごそとなにかを探る動作をし、目当ての物を手に取って俺に差し出した。


「はい、これ。蒼夏そうか兄上から渡すように頼まれたんだ。市井しせいでも人気の潤滑剤? らしいよ。いい香りがするんだって。精油かな?」


 お前、意味わかって言ってんのか? いや、その様子だと絶対それ・・の用途は知らないんだろう。

 蒼夏そうかの奴、碧青へきせいにそんなもの持たせるとか、なに考えてんだ⁉


 碧青へきせいは俺の手を取ってさっさと手渡すと、くすりと嫌な笑みを浮かべた。


「なんて、ね。ホント、蒼夏そうか兄上ってばお節介。青藍せいらん兄上は白煉はくれんが男だって知ってたわけだから、同衾どうきんの時はもちろん使ってるに決まってるでしょ」


 前言撤回····このマセガキ、俺以上にそっちの知識があるっぽい。


「どうきんってなに?」


「そんなことも知らないの? 親しい間からのふたりが一緒に寝ることだよ。気分次第では最後までしちゃうのもあり····って、なんだ君か」


 さあぁあと一瞬にして血の気が引く。

 俺の視界には入口の扉に隠れて姿が見えなかったが、その声はもしかしなくても。


「今日はごめんね。悪気はなかったんだ。そういう風に言うように蒼夏そうか兄上に指示されていただけ。他意もない。もちろん、許してくれるよね?」


「許すもなにも、本当のことで····碧青へきせい様はなにも悪くないです」


「だよね! じゃあこの件はこれ以上お互いに干渉しないってことで!俺はさっさと退散しまーす。ふたりの邪魔をするつもりはないから、ごゆっくり~」


 言い終えると白煉はくれんの両手を無理やりきゅっと包むように握り、とびきりの笑顔で碧青へきせいは微笑む。同時にばさり、と何かが落ちた音がした。


「あ、なにか落ちたよ? 俺がとってあげるね。一国の皇子が床に落ちた物を拾ってあげるんだから、感謝しなよ?」


「すみません、ありがとうございます」


 碧青へきせいは床に落ちたそれを手に取り、はい、と白煉はくれんに手渡した。感謝もなにも、自分が無理矢理白煉はくれんの手を握ったのが原因だろうに。まあ、拾ってあげただけでもマシか。


 賑やかしい奴が嵐のように去り、俺と白兎はくとのふたりだけになった。俺は思い出したかのように受け取った小瓶を、素早く衣の袖に隠す。


青藍せいらん様······えっと、海璃かいり?」


「うん。そっちも聞いたんだな」


 あの時、微妙なタイミングで碧青へきせいが訪ねて来なかったら、白煉はくれんの部屋に行こうと思っていたのだ。どうやら、白兎はくともナビゲーターから聞いたのだろう。制限が解除されたことを。


「中で話そう? 話したいこと、たくさんあるんだ」


 うんと頷き、白兎はくとは書物のようなものを胸に抱いて俺の横をすり抜けていく。扉を閉めその後ろ姿を見つめていると、姿は間違いなく白煉はくれんなのに、うっすらと白兎はくとの影が重なって見えた。


雲英うんえいさんがこのゲームの絵師のキラさんだったの、海璃かいりは知ってた? ここが"白戀華はくれんか"っていうまだ発売されていないフリーゲームの、しかも隠しルートの中で····」


「うん、」


海璃かいりが····"渚さん"、なの?」


「そうだよ、」


 何年も騙していたこと。秘密にしていたこと。あの日、ゲームのことも含めて告白しようと思っていたのにできなかった。本当は、自分の口から明かしかった。白兎はくとが気付く前に、言いたかったけど。


 振り返った白兎はくとの、その赤い瞳の奥。なんだか思っていた感情と違う。裏切られたとか。噓つきとか。俺が覚悟していたはずの非難の色が、ひとつも浮かんでいなかったから。


 それどころか、みるみる白兎はくとの色白な肌が赤く染まっていく。瞳が逸らされ、俯いたまま、なにも言ってくれない。俺はゆっくりと近付いていき、その頬に右手を伸ばす。そっと触れた時、一瞬だけ瞳がふるえた。


「でも····俺が乙女ゲーム好きなの、なんでわかったの? あのサイトで出会ったのは偶然? 俺のために作ってくれた、の?」


白兎はくとの家に行った時、スマホの画面が目に入った。そこであのサイトを目にして、別人として接触した。これってストーカーと変わらないよな····けど、そこで交わした会話はぜんぶ、俺の本当の気持ち。嘘はひとつもない」


 白兎はくとがすすめてくれた乙女ゲームをプレイした。好きなキャラのことを話し合ったり、あのストーリーがいいとか、こんなゲームがあったらいいな、とか。ぜんぶ、"渚"として俺が交わした真実。


白兎はくとは隠したいみたいだったけど、本当は"渚"としてじゃなくて、俺自身が一緒に話したかった。好きなもの、一緒に共有したかった」


「でも、どうしてそれで乙女ゲーム作ろうって思考になるのか····いや、本当にすごいと思うし尊敬するけど、普通、そんな発想にはならないよ?」


 まあ、確かに。あの時の俺は勢いで始めたようなものだったからなぁ。


「ぜんぶ白兎はくとのためって言ったら噓になるかな。でも、これは俺なりの告白でもあったから」


「告白?」


「そう。俺たちが好きなもの、好きだっていってもいいんだって。隠さなくてもいいんだって、そう伝えるための」


 白兎はくとが俺をじっと見上げてくる。

 告白の意味、伝わったかな?


「教えて欲しかった。白兎はくとの好きなもの。教えたかった。俺が好きなものも」


海璃かいりが好きなのって、BL?」


 直球で訊いてきた白兎はくとのくもりなきまなこ。実はちょっと興味津々なのかも? 上目遣いでそんな風に訊いてくるので、俺は不覚にもどきどきしてしまった。


「····そうだよ。 姉貴がいうにはそういうの腐男子っていうらしい。BL好きな女子が腐女子っていうのは知ってるだろ? その男子版。でも俺が好きなBLは白兎はくとが今想像しているのと違うからな?」


 BL=エロい本というイメージが、BLを読んだことのない一般人には多いはず。けど、BLってあらゆるジャンルがあるんだぜ?


 まあ、もちろん自分の性癖を補ってくれるエロを求めて読むひともいるけどさ。


「····俺も、海璃かいりが好きなもの、知りたい」


「無理しなくていいって····言っても、このセカイ自体がBL仕様だからな····白煉はくれんは攻略対象だから、すでに体感してるわけだけど」


 それに、このゲームの中にBL本はない。


白煉はくれん白兎はくとを、青藍せいらんは俺を基に作られたキャラだから、かなり私情が入ってるしな」


 ゲームを作るにあたって関わってくれたひとたちは、俺が誰のために乙女ゲームを作ろうとしているのかを知った上で、参加してくれたのだ。


「このゲームは、俺が白兎はくとに告白するためのもの。こんな形になったのは予想外だったけど····俺は、ずっと白兎はくとが好きだった」


 はじめて会った時から、ずっと。

 嫌いなところなんてひとつもない。


 それくらい、白兎はくとだけが俺のセカイ。


 頬に触れていた俺の手に、白兎はくとの手が重なる。白兎はくとは俺が好きな、どこまでも柔らかい笑顔を浮かべて目を細めた。


「俺も、好きだよ」


 言って、胸に飛び込むように抱きついてきた白兎はくとを受け止めて、俺たちはお互いの温度を確かめ合う。白煉はくれんとしてでも、青藍せいらんとして、でもなく。俺たちとして。俺たちの気持ちを伝え合った。


 そんな余韻に浸っていた俺の視界に、とんでもないものが飛び込んでくる。


 床に落ちた書物が弾んでひっくり返っていて、あるページが捲れていた。白兎はくとは俺にしがみ付いていて気付いていない。


(マズい。あれって、もしかしなくても····)


 俺の脳裏に、キラさんが片目を閉じて親指を立てている姿が浮かんだ。


 白兎はくとの足元に落ちているそれ・・は、間違いなく····。



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