3-5 ひと安心



 

 ――――二日後。


 海璃かいりくんにお姫様抱っこをされて運ばれてきたハクちゃん。どうやら寝不足と知恵熱が原因だったみたい。傷の悪化や毒の影響でなくて本当に良かった。翌日の朝には熱も下がって、ひと安心。


 何があったのか色々と突っ込んで訊いてみたら、なんとハクちゃんはあの白兎はくとくんだったって言うじゃない!


 イーさん、どういうこと?

 転生者は他にはいないって言ってなかった?


『確認できないと言っただけです。いないとは言っていません』


 え? そうだったかしら?


 でも不思議。どうしてハクちゃんは自分が転生者だってバラしても強制排除されなかったんだろう? もしかして、本当はそんなルールないとか?


 じゃあじゃあ、私や海璃かいりくんもお互いにバラしても平気ってこと?


『あなた方が同じように自身のことを明かすのは危険かと思われます』


 ふーん、そうなんだ。

 ハクちゃんと私たち、何が違うんだろうね? ハクちゃんのナビゲーターと会話とかできないのかな? ナビゲーター同士の認識もできないの?


『ナビゲーター02に関してはそれが可能と断言できますが、基本的にはナビゲーター同士での会話は不可です。情報交換はデータとしては可能ですが。しかしながらこのルートのヒロインである、白煉はくれんというキャラクターの中に存在するだろう転生者。それを補助しているナビゲーターに関してはまったく認識できないのです』


 それもおかしな話よね?


 いや、そもそも今のこの状況もだいぶ普通じゃないのよね。乙女ゲームに転生って、夢でも見てるみたい。それでもこうやって動じずにいられるのは、イーさんが色々と説明してくれるからかもね。海璃かいりくんやハクちゃんも同じなんじゃないかな。


 でもこの三人が同時に同じ場所に転生しているという事実は、すごく気になるところよね? イーさんはそれについてはなにか知ってる? そもそも、イーさんたちナビゲーターって、このゲームには本来存在しないわけじゃない?


 私や海璃かいりくんが制作に関わっている、あの時点ではまだ世に出回ってさえいないフリー乙女ゲーム、『白戀華はくれんか~運命の恋~』に転生したという、とんでも展開。同じ時間同じ場所で事故に巻き込まれたこと。そういう偶然が色々重なって、このセカイに転生したと考えるのが普通だけど····。


『すべての答えは、エンディングを迎えることで明かされます。私はそれを手助けするために存在する案内役。そしてあなたが途中退場しないように軌道修正することが、本来の私の役目でもあります』


 うん。つまりは、私たちにBADエンドは存在しないってことかしら?


『はい。そちらを強くお望みであれば、私たちの忠告をすべて無視して進めることで可能となるでしょう。このセカイの創造主は、あくまでも皇子とヒロインの願いを叶えるためにこのセカイを用意したと、そう、私は聞いておりますが』


 創造主って、つまり、神サマってこと?


『それに関しての詳細説明は、私には許可されておりません』


 なんだか話が大きくなってきた気が····怖いから、これ以上は訊かないことにしよう。


 私は「はあ」と大きく声に出して嘆息し、寝台で静かに眠っているハクちゃんの額に手を置く。うん、もう大丈夫そうね。明日にはまたたくさんお話が聞けるかも。


 それよりも····。

 私はちらりと自分の右側に視線を移し、少し引きつった表情で訊ねた。


「ええっと····青藍せいらん様? 今夜はいつまでここに居座るおつもりですか?」


 この二日間、ハクちゃんが眠っている時間を見計らってやって来ては、そうやって寝台の横に椅子を用意して陣取り、飽きもせずにじっと寝顔を見守っているのだ。


(話には聞いていたけど、すごい執着心。こういうのってなんて言うんだっけ?)


 看病をしてくれるのはありがたいし、このふたりの絵面は私の目の保養にもなっている。

 けれども!

 正直、これは重すぎるよ、海璃かいりくん!


雲英うんえい、君はもう休むといい」


「そうするつもり満々なんですが、ハクちゃんの貞操を守るという義務もあるので、青藍せいらん様が自室に戻ってくださると気も休まるのですが」


「て、ていそ····っこほん! ハクの同意もなしに、私がそんなことをするわけがないだろう!」


「ふーん。じゃあハクちゃんが同意したら、迷わずしちゃうってこと? ふーん?」


 海璃かいりくんは顔を真っ赤にして絶句していた。いや、まだまだ恋愛イベント残ってるよ? 青藍せいらんとしての白煉はくれんへの好感度がおかしなことになってない?


 あ、でも白煉はくれんの方はまだ50なのね(笑)


 うんうん。早くくっつかないかなぁ。

 でも、複雑だよね。


青藍せいらんを好きになってもらうためなら、なんだってする。そう、決めたんだ。もう、絶対に傷付けない。なにがあっても守るって、約束する」


 そっか、決めたんだね。


 私たちはハクちゃんに本当のことは言えない。それでも海璃かいりくんは、ハクちゃんに青藍せいらんを好きになってもらうために頑張るんだね!


「なら、安心してお任せできそうです。ハクちゃんをよろしくお願いします。私は隣の部屋にいるので、なにかあったら呼んでくださいね」


 攻めの重たい愛も大好物なので、個人的にはまったく問題ないわ!


 あとはハクちゃんにその気になってもらうように私が助言すれば、自ずと好感度は上がっていくんじゃないかな? それに次の恋愛イベントは、上手くいけばふたりの距離がかなり縮まるはずだから、気合入れて臨まないとね!


 同じ部屋の中にある隣の部屋が私の自室。本来は従者が待機する部屋だけど、このくらいの広さが丁度いいのよね。狭くはないけど広くもない。寝台と机と椅子、それから多目的で使える棚がひとつ。


 椅子を引き、机の上に紙を広げる。紙質はざらざらしていてあまりよくないが、何度か練習を重ねたおかげでちょっとずつだが慣れてきた。


『これは····あまり他人に見せない方がよいかと思われます。モデルは青藍せいらん白煉はくれんでしょうか?』


「もちろんよ! だって、このセカイにいるキャラは、ぜんぶ私が生み出したものだもの! その私が同人誌を描いたって、別に問題ないでしょ?」


『同人誌、ですか?』


 イーさん、困惑してる。

 まあ、わからなくはないけど。


 机の上に広げているのは、あのふたりが際どい絡みをしているイラストや、同じ趣味のひと以外にはまず見せられない、描きかけの漫画の原稿。


 現実セカイにいた時の私は、自分で貯めたお金でイラストや漫画の専門学校に通い、SNSを利用して絵師としても活動していた。自分で言うのもあれだけどそれなりに人気もあった。


 実家暮らしなので衣食住には困らず、絵師の仕事がない時は短期のバイトなんかをして、両親に迷惑はかけないようにしていた。家族は両親と妹がひとり。妹は海璃かいりくんたちと同じ学校に通っている。


 両親は学校に行くためのお金は出してくれなかったけど、別に反対していたわけではなくて。私が好きなことをするために頑張る分には、ちゃんと応援してくれた。


 そんな時に、この乙女ゲームの絵師として声がかかる。それは、オタク仲間であり親友である"渚砂なぎさ"ちゃんからの、弟の告白を手伝って欲しいというお願いでもあった。


「ふふ。海璃かいりくんのハンドルネームが"渚"で、お姉ちゃんの名前も"渚砂なぎさ"。咄嗟に思い付いた名前がそれしかなかったんだって」


 もう、渚砂なぎさちゃんにも逢えないんだよなぁ。

 死んじゃったんだもんなぁ。

 なんだか寂しくなってきちゃった。


「今更そんなことを考えても仕方ないよね。それに紙と筆さえあれば、絵は描けるし。好きなこと、止めなくていいのは嬉しい。ありがと、イーさん」


 イーさんは、ルールの範囲内なら『華南わたし』としての居場所を作っても良いと言ってくれた。絶対的な規則にも抜け穴はあり、他人に見られなければ好きなようにしても良いのだということを教えてくれたのだ。


『次の恋愛イベントは少し危険が伴います。油断は禁物ですよ、カナン』


 イーさんは照れているのか、機械音声なのにどこかぎこちなかった。


市井しせいデートかぁ。楽しみだなぁ。ハクちゃんにとってはちょっと試練って感じだけど····また改変されないとも限らないわよね?」


 今までの流れから考えて、ひと悶着起きそうな予感。次のイベントは 雲英うんえいも一緒なのだ。この部屋以外の場所に行けるのは息抜きにもなりそう。基本的にここが拠点なので、そろそろ刺激が欲しいと思っていたところだった。


「と、その前に。この原稿を進めないとね~」


 ふっふっふっ。


 目の前の原稿に向き合い、私はにやにやしながら筆を滑らせる。

 誰に見せるわけでもない漫画だが、完成した暁には海璃かいりくんにプレゼントしてあげよう!


『それは····止めておいた方がよい気がします』


 イーさんがなにか呟いていたけど、まあいっか。


 原稿は二枚ほどだが進んだ。慣れない筆で、しかもこの紙質の粗い紙に描くのってなかなか難しいのよね。


 ふたりの恋の行方が、この漫画のように進展してくれたらいいなぁ。


 そう、願うばかりである。

 


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