1-2 それは、叶わぬ恋だった



 駅前に到着し、辺りを見回す。夏休みということもあり、駅前は賑わっていた。ロータリーから直通の百貨店や家電量販店、雑貨屋にカフェと様々な店が並んでる。いつもの店、というは駅前のカフェのことで、ちょっと高いけど内装がお洒落なチェーン店である。


 俺は先に着いていた海璃かいりの姿を窓際のカウンター席越しに見つけ、少し離れた場所から手を振ろうとしたその時、自分の目を疑った。


 白いシャツとゆったりとしたカーキー色のズボン。背が高くて顔も良い海璃はどこにいても目立つ。テレビで観る若手俳優のような爽やかさもあって、そんなモテ要素しかない彼に浮いた話が今まで一度もなかったのは、たぶん、周りに気を遣っていたのかもしれない。


 視線の先、海璃のすぐ隣で笑っている髪の長い女性。年上だろうか。すごく美人というわけではないが、落ち着いた雰囲気の可愛らしい大人の女性だった。もしかして、海璃が相談したいことって、そのひとのこと? 好きなひとができたから紹介するよ、みたいな?


(俺になんか相談しなくても、海璃ならきっとうまくいくに決まってるよ)


 じっと遠くから見つめていたら、俺に気付いた海璃が笑顔で手を振ってきた。その横にいる女性も小さく会釈をしてくれたのだが····。


 俺は疎外感を覚えて思わず俯き、肩に掛けていたトートバッグを抱きしめて、ふたりに背を向け猛ダッシュ!


 しかし太陽が照り付けるこの暑い日に、体力もない俺が長時間走れるはずもなく····。数分後にはふらふらになってしまい、立ち止まってなんとか息を整える。眼鏡を外し、流れる汗を腕で拭った。


 俺はこの顔が嫌いだ。幼い頃、この顔のせいで揶揄われた。眼鏡をかけるようになったら、それもいつしかなくなった。誰とでもなんとなく付き合える、明るくもないが暗くもない、普通の性格。そんななんの特徴もない自分が、海璃みたいな人間の隣に相応しいわけがない。


「ちょっと待って! なんで逃げるんだよ、白兎はくと!」


 げ⁉ と俺は慌ててかけ直そうとしたが、汗で手が滑り地面に眼鏡が放り出される。逃げたいのに、眼鏡も大事で、余計にあわあわとしてしまった結果、放り出された眼鏡が地面に落ちてしまう。


 お約束の如く、地面に転がった眼鏡は路を歩いていた見知らぬ男のひとに踏まれ、無残な姿となって俺の目に映っていた。


 同時に、なぜか俺を追いかけてきた海璃に腕を掴まれ、そのまま引き寄せられる。


「危ないって······信号、ちゃんと見て」


 あ、と俺はそこではじめて自分が横断歩道を少し渡った所にいたことに気付く。あと数歩前にいたら、クラクションを鳴らされていたことだろう。赤に変わった信号。目の前で車に轢かれて変形していく眼鏡。散々な有様に、顔が上げられない。


(やばい、泣きそう····)


 すでに横断歩道を渡ったひとたちが反対側の道を歩いて行くのが見える。行き交う車は街中と言う事もあってそんなにスピードは出していないため、等間隔で目の前を通り過ぎて行く。


 信号を待つ音が鳴る中、海璃を追いかけてきたのだろうあの女性が、息を切らしながらこちらに近付いてきた。薄いピンクの長いスカートに、腕の部分がひらひらした白い可愛らしいトップス。背中まである長い茶色の髪の毛を後ろでハーフアップにしている彼女は、膝に両手を付き息を整えながら、俺の方をじっと見上げてきた。


「はあ、はあ······やっと追いついた! 君、なにか勘違いしてない?」


「え?」


「勘違い? ってなにを?」


 その問いに対して、俺と海璃が首を傾げたその時だった。


 少し離れた所で大きなブレーキ音が響き、短い悲鳴が上がる。なにかにぶつかる金属音や、鈍く低い音、その度に上がる悲鳴、どよめき。それはどんどんこちらに近付いて来て、なにが起こっているのかを確認する間もなく、回避する余裕もなく、俺たち三人の目の前に飛び込んできたもの。


 言葉を発することすらできないまま、目の前が真っ暗になった。強い衝撃を感じたような気がしたが、それより先になにかに身体を覆われた。その後は、もう、わからない。真っ暗になって、なにも感じなくなった。


 ああ、もしかして、俺、死んじゃったの?

 海璃は? あの女のひとは無事?


 俺が逃げずにちゃんと向き合っていたら、こんなことにはならなかったのかも。

 素直におめでとう、って言って。

 さすが、海璃だなって笑ってやればよかった。

 どう転んでも、叶わない恋だったのだ。


 ごめん。

 ごめんなさい。

 どうか、ふたりだけは無事でいて欲しい。


 ああ、俺、こんな時に馬鹿なこと考えてる。


(渚さんが俺にくれたあの乙女ゲームの隠しルート、ちゃんと攻略して感想書きたかったな····)


 本当に作りたかったもの、でもやめてしまった物語。それがどんな物語だったとしても。


 きっと、そのひとにとっては大切なものだったはずだから――――。



******



 次に目が覚めた時、俺の目に飛び込んできたもの。顔を隠すように頭から掛けられた白く薄い布越しに、何人もの女性の後ろ姿が見える。


 跪いた格好で頭を下げていたようで、ちらっと視線だけ向ければなんだか重々しい雰囲気だった。


 何の気なく視線を落として自分の姿を見てみる。金の糸で花の刺繍が描かれた、薄い浅葱色の広袖の着物のような衣裳。最近これと似たようなデザインの衣裳を俺は何度も目にしている。 


(は····? あれ? 俺、どこ?)


 ただ、ただ、混乱した俺は、今の状況がまったく理解できなかった。そんな中、広い部屋の真ん中に集められていた者たちの前に、髪の毛や手首に装飾品をたくさん付けた綺麗な女性が現れる。それまでは顔を下に向けたままじっとしており、全員が同じ姿勢を保っていた。


 しかし、その女性が現れた途端、他の女性たちは胸の前で輪を作るように手を重ね、頭をさらに深く下げ始める。少し遅れて、見よう見まねで同じようにやってみるが、よく見たら手を重ねる位置が逆になっていた。周りに気付かれないように、こっそりと右手を上に重ね直す。


(これって、あれ、だよね? 拱手礼ってやつ)


 それに、今自分が身に纏っている衣裳。それこそ、ついこの前までやっていた中華風乙女ゲームでキャラたちが着ていた衣裳にそっくりだった。


 日本の着物とはまた違う、漢服という衣裳だと思われる。日本でいうところの時代劇。中国ドラマや韓国ドラマでよく見る、ひらひらした可愛らしい女性用の衣裳を纏う者、逆に上が日本の着物みたいな作りで下が袴に似たスカートのような衣裳を纏う者、様々な女性たちがいる。


 俺は着ているものは、上が薄い浅葱色の着物みたいな衣裳で、平らな胸がしっかり隠されていた。

 下の衣裳は濃い藍色の長いスカート。腰に巻かれた高そうな白く細い帯は左右に垂れていて、その長い髪の毛は····。


(って、俺、髪の毛が真っ白なんですけど⁉)


 長い髪の毛が肩からするりと滑り落ちる。それは見事なまでに真っ白で艶やか。自分で言うのもあれだが白銀の糸ように綺麗だった。そのまま視線だけ泳がせ、まさかと思いながら辺りを見える範囲で見渡せば、自分と同じ列、右隣ひとり挟んだ所にある少女の姿が映った。


(俺、夢でも見てる? これって、間違いなく、あの乙女ゲームの、)


 綺麗な女性がずっとなにか説明しているのだが、俺はそんなことを聞いている余裕はなかった。さあぁあと血の気が引いていき、あるひとつの結論を見出す。


(もしかして、転生したら〇〇でした、っていう有名なあれじゃ····?)


 そう思った矢先、俺の目の前に、透明な薄い緑色をした長方形の近未来的な画面が突如現れる。


 そこには文字が浮かんでいたが、次々に表示が変わるため、読もうとする前に消えてしまう。最後に浮かんだ文字は『navigator-00』という英語の文字だった。ナビゲーターということは、案内人?


(この画面も見覚えが、)


 そう、そのタブレットのような大きさの画面こそ、あの中華風乙女ゲーム『白戀華はくれんか~運命の恋~』のメニュー画面、まさにそれ・・だったのである。


『はじめまして。私はナビゲーター00ゼロ。あなたの名前を登録してください』


 動揺を隠しきれない俺の頭の中に、スマホの音声検索などで答えてくれる、抑揚のない淡々とした女性の機械音声が、のんびりとした口調で響いた。



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