第二章 初航海

2-1

 翌朝。


「ただいまより、ロブスター号は出航する。準備はじめ。繰り返す。出航準備はじめ」


 どこからか聞こえてくるシルビア船長の声で、僕は目が覚めた。慌てて飛び起きたが、医務室には僕以外、誰もいない。

 声は、部屋の一角にある金属パイプから聞こえてきていた。パイプの開口部が、ラッパ状に広がっている。これはたしか、昔の船に装備されていた伝声管でんせいかんと呼ばれる装置だ。本で読んだことがある。


 廊下を走っていく足音が聞こえる。僕も急いで後に続く。


 甲板に出ると、みんながせわしなく動き回っていた。

 デバルトさん以外は、全員そろっている。デバルトさんは機械担当だと言っていたから、持ち場が別の場所なのだろう。


 甲板中央後方の一段高い場所に、シルビア船長とエインさんがいる。その少し前方、舵輪だりんの前にギャゼックさんが陣取っている。それ以外の仲間たちは、あちこちで出航の準備作業をしていた。


 左斜め前方から朝日が差している。陽光が反射して、波がきらきらと輝いている。そういえば、朝のこんな時間帯に海を見るのは初めてだ。こんなにきれいな光景だとは知らなかった。


 きらめく海に見とれて突っ立っていた僕を、エイムズさんが呼ぶ。


「おいユート、こっち手伝え。もやい結び、できるか? 知らない? じゃあ、このロープ持ってろ。しっかり引いて、ぴんと張っておけよ」


 エイムズさんからロープを受け取って引っ張ろうとしたけど、いうことを聞いてくれない。逆に体のほうが引っ張られてもっていかれ、前のめりにたたらを踏むはめになった。体重をしっかりかけて、必死でロープを張らせてキープする。


 そうやって僕がたった一本のロープを相手に悪戦苦闘している間に、準備は整ったようだ。


「ユート、もうロープ離していいぜ」


 エイムズさんの声で、僕はほっとしてロープを離した。

 シルビア船長の声が響く。


「これより、ロブスター号はマルダールへ向けて出航する。錨を上げよ。帆を張れ。出航!」


 クァラさんとベイツさんが、船首付近の金属製ハンドルを回して錨を巻き上げる。エイムズさんとビイロフさんは、巧みなロープさばきで帆を張っていく。ジーナもそれを手伝っている。ギャゼックさんが、舵輪に手をかけた。


 ロブスター号が、ゆっくりと進みはじめた。

 僕の初めての航海が始まったのだ。






 ロブスター号は、三本マストの帆船だ。

 歴史の教科書に載っていた、大航海時代の船によく似ている。全長はだいたい三十メートルか、もう少し大きいかもしれない。

 両舷りょうげんの中央あたりにそれぞれ一基ずつ、据え置き型の大きなクロスボウがそなえつけられている。バリスタというらしい。


 普通の中世の船と違うのは、船のあちこちに見慣れない装置が取りつけられていることだ。金属製のパイプだったり、レバーだったり、ハンドルだったり、そういったものがところどころにある。

 これはたぶん、『魔動機』というモノに関係していると思う。シルビア船長やデバルトさんが使っていた用語だ。なんなのかまだ聞く機会がないけど、興味はある。


 最初はゆっくりと動きはじめたロブスター号だったが、追い風を受けて帆をいっぱいに膨らませると、どんどん加速がついていく。

 あっというまに小島の浜辺を離れると、ほんの数分で島は見えなくなってしまった。あとはもう、三百六十度、見渡すかぎりの大海原おおうなばらが広がっている。

 海といえば海水浴場ぐらいしか知らなかった僕は、その迫力に圧倒されていた。


「ユート、まだ休憩には早いぜ。眺めを楽しむのは片付けが終わってからだ」


 棒立ちの僕は、ビイロフさんに声をかけられた。

 そうだった。

 ベイツさんのすすめもあって、僕はこのロブスター号で仕事を手伝うことになったのだ。


 船の仕事はさまざまで、交代で役割をこなしているそうだ。

 たとえば、舵を取るのはギャゼックさんがメインで、シルビア船長も交代する。安全な海域では、エイムズさんも交代するらしい。


 もちろん、僕は船の舵取りなんかできるわけがない。未経験者の僕に与えられた仕事は、水夫の見習いだ。エイムズさんやビイロフさんの指示に従って、片付けや荷物運びなどの雑用をするのだ。


 さっそく、出航の準備に使ったロープや道具類を運んで、甲板と船倉の往復を繰り返す。


 波が穏やかな航海日和こうかいびよりとはいえ、船上はそれなりに揺れる。揺れる中での力仕事は、思った以上に重労働だ。

 僕は船酔いしない体質だったみたいで、それはラッキーだった。それでも昼まで働くと、たった半日でクタクタになってしまった。


「おーし、思ったよりがんばったなあユート。んじゃ、昼飯休憩に行こうぜっ」


 ビイロフさんの号令で、ようやく一段落だ。

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