《39》その刻はやってくる。





 二週間は短く、それでいてとても長かった。


 リリィは、腕の中に収まった子ウサモフを撫でながら、

 椅子に腰掛けて窓から魔王城の一角を眺めていた。


 少し遠くに、ミナ達の声が聞こえる。

 自分はとっても楽しい、と誰かに教えるような明るい声。


 最近頻発するようになった目眩を心配し、子供達はみな

 ゆっくり家で休んで欲しいとリリィにお願いをした。

 リリィはそれを無下に出来ず、こうしてリビングで大人しく休んでいる。


 とは言っても手持ち無沙汰なので、とりあえず部屋の掃除でもしようかと

 立ち上がったその時、一人の少女がこのブルームハウスを訪ねてきた。


 その姿は、リリィにとって思いも寄らない、

 けれど、一番見たいものだった。


「……魔王様」


「…………」


 久方ぶりに訪れた魔王は、何も言わず戸口に立ってリリィを見ていた。

 リリィも、ただじっとその視線を受け止める。


 やがて、魔王は口を開いた。


「……元気かの」


「……う、うん。元気……です」


 ぎこちない言葉が短く交わされる。


 魔王は、何か言葉を探しているように見えた。

 リリィはただ、それを待った。


「……余は、人間が好きになれまいかと思っておった」


「……うん」


「しかし、やはりそう簡単ではないな」


 魔王は、ふんとわざとらしく鼻を鳴らした。


「やはり、人間と魔族は相容れぬ。お前と接してみて、よく分かった。

 余はやはり、人族は好きではない」


「……うん、そっか」


「それだけじゃ。ではな、リリィ」


 言って、魔王は立ち去ろうとする。

 その背に、リリィは咄嗟に声を掛けた。


「待って――ナナ」


 あえて、名を呼んだ。

 魔王は、何も言わない。


「……この二週間でね。ひとつ、分かったことがあるの。

 いつか、聞いてくれる?」


 リリィの、恐る恐る手渡す言葉。

 魔王は少し考えて、


「……気が、向いたらの」


 それだけ、応えて。

 戸を閉めて離れていった。



 …………


 ……



 ベッドの中、リリィはふと目が覚める。


 カーテンの隙間からは、月明かりがほんのりと差し込んでいる。

 どうやら眠りについて幾ばくもしない内に目が覚めてしまったらしい。


 リリィは、そっと自分の胸に手を当てる。

 なぜだか、その奥がざわざわとさざめいて感じた。


 眠気は全く無い。

 ベッドから降りて、寝間着から着替える。


 外へ出て、向かうのはミミの墓前。

 墓石を撫でながら、リリィは目の奥の疼きをはっきりと感じる。



 怖い、と思った。


 何かは分からない。

 けれど、はっきりと恐ろしいと感じる。


 何か取り返しの付かない、良くない事が起こるような。

 何かをしなければいけないのに、何をしたらいいのか分からない。

 そんな、形無い、漠然とした不安。


 ふと、ナナの事を想った。


 怯える自分に向けられた微笑みや、自分のために流してくれた涙。

 浴場で触れあった肌や、ベッドで分けてもらったぬくもり。

 いくつかの事が、足早にリリィの記憶を通り過ぎていった。


(……ナナに、会いたい)


 そう、思う。


 そして同時に。


(ナナから、離れないといけない)


 そんな矛盾した想いが、芽生える。


 自分の中にあるそのちぐはぐな感情に戸惑う。

 でもそれは、きっと正しい想いだと分かる。


 本当に、ここから離れようか……と思った丁度その時。



 リリィの心臓が、どくん、と一つ大きく打った。



(――――え)



 何だろう、と思う間もなく、


 目の奥で、何かが爆ぜた。




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