「連絡員」 倉光俊夫 1942年下半期 第16回

 第15回はまたしても該当者がいない回であった。ただ、選評を見る限り、受賞者を出しても良かったようにも思える。候補者の中には「山月記」など、中国の伝奇を素材にして独自の文学を書いた中島敦の名前も連ねている。「光と風と夢」というタイトルで、『ジキルとハイド』などで知られる英国の作家・スティーヴンソンを描いた作品だが、この作品は受賞を逸らしている。


 戦時中、死と隣り合わせにしている者は兵士ばかりではない。「連絡員」は外地で新聞社に務める連絡員の受難を描いた作品である。

 元々志願兵士として中国に発った彪助は怪我をして除隊し、中国で職を転々としていた。そんなとき、新聞社は戦地での様子を捉えた記事や写真の中継を行う連絡員の募集を行っていた。彪助は読み書きはできなかったものの、中国語が話せたことから採用が決まった。そこへ、同業の山口と榎本と顔見知りとなった。

 当時の中国では、日本軍との抗争が激化していて、市民の間でも反日の風潮を出していた。彪助は連絡員として、戦地に赴き、そこで悲惨な状況を目の当たりにする。

 ある日、山口にお使いを頼まれた彪助は、山口の家に訪れた。そこには山口の妻である百合子がいた。百合子は中国人で、彪助は家族の仲睦まじい様子が想像できず、不思議に思った。また、ある日、彪助が泊まっていた「葵」という料理店で働いているお藤に告白される出来事もあった。

 それ以降も、彪助、山口、榎本は取材のために目的地へ発った。山口は打たれて重傷を負うも、一命を取り止めた。一方、別の取材中に彪助も同じく打たれてしまった……

 「連絡員」はまたしても「外地」ものだ。しかし、過去に受賞した多田裕計の「長江デルタ」のそれとは全くアプローチが違う。多田裕計は当時の日本にとって、ある種の理想を描いていた。一方で、「連絡員」はリアルを追求した。随所に細かな日程や時間とともに、実際の中国との戦況を伝えていて、この小説を一層生々しいものに仕立てている。そして、余りにも突然の幕切れは、戦争の悲惨さを物語っているのであろう。

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