第13話 ユートピアはディストピア

  第3層に旅の仲間は到着した。まだ明けきらない空のもとで一行の前に現れたのはひとりの子どもだ。子どもは突然、旅の仲間のまえに立ちはだかったと思うと叫び出した。


「シエルちゃんはもういないわ……これで満足なの! 満足でしょう? あははは!」


 たけさんが冷や汗をかきながら後ずさりする。子どもは街のそとへと消えていった。


「何だったんだ?」


「さぁ……?」


 たけさんとタラバガニが街の入口に立つとどこからか小人がふたりやってきて旅の仲間を歓迎した。


「いらっしゃいませ、冒険者さま」


 髭を生やした小人がしわがれた声で言った。隣の若い小人も同様にした。


「ここはユルトピアです」


 どこからともなく現れた別の小人がBLTの肩にとりついて肩を揉んだ。BLTは気持ちよさそうにした。アルウェンが警戒しつつ辺りを見回すと、温かいおしぼりが出てきた。


「なに……?」


 これをどうぞと言わんばかりに小人たちはおしぼりを渡してくる。


「拭けってこと?」


 小人はつぶらな瞳でこちらを覗き込む。目が潤んでいる。アルウェンがおしぼりで手を拭いた。


「毒とかはない……ほんとうに歓迎されている」

「さぁ、皆さん。お疲れでしょう? 宿に来てください。温泉が湧いていますので、お風呂に向かいましょう」

「お風呂?」

 

 アルウェンが目を輝かすと、彼女は釣られたように小人についていった。タラバガニが肩をすくめる。旅の一行は小人に続いて宿に着いた。宿は日本風の宿だった。


 温泉に浸かると生き返るようだ。ほんとうにここは楽園だ。湯気のむこうに星空が見える。星が落ちたかと思うと、地上から星が飛んでいく。あれはなんだろうと目を凝らすが、それがロケットなのだと気がつくまで時間がかかった。

 風呂から出ると、軽そうな布と帯があった。浴衣である。


 アルウェンが浴衣を着て、たけさんに見せた。


「ちょっと、無防備じゃないか?」


 たけさんが顔を赤らめると、アルウェンは上機嫌になった。イカたちはぽかぽかになった体で縁側を歩いていく。

 客室には魚のお造りがあった。ぷりぷりで新鮮なのが伝わってくる。イカはやや複雑な面持ちで刺身を食べる。


「おいしい!」


 いつの間にか小人がつぎつぎとやってきては消えていく。料理とお酒がふるまわれる。こんな気分をダンジョンで味わえるとは。すっかり酔ってしまった一行はうとうとと眠ってしまった。たのしい夢を見ていた気がする。しばらくこのダンジョンにいようと思う。砂糖菓子のような日々を過ごしたい。甘えでもなんでもいいから甘えたい気分だ。冒険者のひとときの休日である。


 朝がきて目覚めると武器の手入れが完璧になっている。誰がこんなに武器をピカピカに磨いたのか。きっと小人たちだろう。なんとも勤勉でありながら優しい種族だ。小人のひとりが部屋に来た。


「お食事の準備ができています」


 一行は眠い目を擦りながら食堂へ向かう。あつあつの食事を頬張ると元気が腹の底から湧いてくる。気分が上々で冒険がいくらでもできそうだ。でも冒険って何だったのだろうか。イカの頭はぼんやりとしている。きっとこのダンジョンが全てを忘れさせてくれているのだ。気分がいい。それで十分じゃないか。俺たちはこの宿で骨を埋める。うとうとしながら日の光が落ちていく。夕陽に照らされて、もうずいぶんな時間が経っていたことに気づく。


 イカは宿から出ようとすると、旅の仲間も同じ考えでいたようである。


「一人で行くなよ」


 とBLTが鼻の下を擦りながら言った。


「そうだな」


 宿から出ると辺りは暗くなっている。振り返ると宿が跡形もなく消えていた。夢でも見ていたのかと思ったが違う。アルウェンは魔法だったのではないかと疑いながら考え込んでいる。魔力の痕跡はない。すると髭の小人がやってきた。


「おやおや、どこへ向かわれるのですか?」

「第4層へ俺たちは向かう」

「困りますねぇ……」


 小人の顔が無表情になった。すると轟音を立ててロケットが飛んで行った。橙色の光がゆっくりと上昇していくのを感動しながら眺めていると、髭の小人が言った。


「なにがいけないんでしょう? ここは楽園なのに。外の世界に憧れがあるんでしょうか?」


 小人の表情は見えない。


「おれたちは塔の頂上を目指す。邪魔はしないでほしい」

「邪魔する気なんてありませんよ。さぁ、旅立ってください。私は止めません」


 小人はそう言い残すと姿を消していた。


「なんか楽勝だったな、今回は」

「そうですね、ただ僕達が気持ちよくなっただけのような」

「構わないわ、かわいい浴衣も着れたし」


 仲間たちが口々に言いながら街の出口に向かおうとすると、街で最初に出会った子どもがこちらをじっと見ていた。イカと視線が合う。


「きみたちもシエルちゃんに気がつかないんだね」


 イカはその名を口にする。


「シエル?」

「この街の秘密を教えてあげるよ」


 子どもはそう言うと、辺りの地面がすぅっと消えた。闇のなかに仲間たちが吸い込まれた。


 ――鎖の音がする。


 イカが目を覚ますと、暗い地下牢のまえにいた。地下牢のなかで子どもがうずくまっている。何も身にまとっておらず裸体は傷だらけになっている。

 糞尿ふんにょうで汚れた床、低い天井。

 何をしたら、この地獄のような罰を受ける必要があるのか。足をバタバタさせながらも無駄だろうと観念しているように見える。口からは涎が、鼻からは鼻水が溢れている。時折、鎖から緑色のひかりがきらめく。

 アルウェンは一通り見て観察して言った。


「この子の魔力を吸い取っているんだわ」

「拷問じゃないか……ひどい……」


 タラバガニが呟く。

 奥からさっきの子どもが出てきた。


「わたしはユーニャ。シエルちゃんはわたしの幼馴染。この地下牢に彼女がいる理由はね……」


 この夢のような街の暮らしはすべて、この子の犠牲のうえに成り立っている。彼女が地下牢で罰を受け続ける限り、街の安寧はつづく。そういう契約になっているのだ。かつてこの街は最悪だった。暴力で支配された土地だった。しかしあるとき魔法使いがやってきた。魔法使いはこの街を安定させる代わりに生贄を欲した。シエルはそのとき一歳。生まれたばかりの子どもなら構わないと街の人々はシエルを差し出した。そうしてこの街は世界一しあわせな街になった。

 事実を知った者たちのなかで真実を嫌悪した者たちもいた。かれらは街から去っていった。空しか逃げる場所はなかった。人々はロケットを作って空に逃げていった。ロケットは半分は成功したが、半分は流れ星になって落ちていった。


「ユーニャ、きみだけがを覚えていたんだね」


 イカはユーニャを抱きしめた。そうして仲間に告げた。


「この地獄を終わらせよう」


 地下牢は壊された。

 鎖は引きちぎられた。


 シエルの顔や体を清潔な布で拭いた。地響きがしてくる。地下から地上へと出ると、空は不気味な緑色に輝いて、街の建物や街路樹、そこにあるすべてがろうのように溶けていった。

 髭の小人が恐ろしい表情を浮かべている。小人たちはつぎつぎと溶けていき空に舞い上がった。この街の終わりだ。


「おまえたちのしたことはわすれない。我々の街を、しあわせを、奪ったからには……」

「奪っただと? 子どもの命と引き換えにしたお前たちがいうか……」


 イカは冷たい目で小人たちを見た。彼らは溶けて消えた。街が壊れていくなかでユーニャはシエルと手をつないだ。彼女たちは光に包まれてちいさな玉になった。


「きっとどこかで使う日が来るから」


 ユーニャとシエルの笑い声がした。


 第3層は崩れていった。イカたちはその光景を遠くから眺めていた。子どもたちの笑い声が木霊こだまのように響いていた。

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