Me at the aquarium

加賀倉 創作【書く精】

第1話『最後の動画投稿』

【注意】この作品はフィクションです。実在の施設名、プラットフォーム名などが登場しますが、それらの関わる当作品内での出来事は、完全なフィクションです。悪しからず。

 


ここは、兵庫県神戸こうべ須磨すま若宮町わかみやまち


須磨の海をのぞむ砂浜。


そこからそう遠くない場所で、巨大な、三角形のガラス張りの構造物が、来場者を歓迎する。


神戸市立須磨海浜水族園すまかいひんすいぞくえん


二〇二三年、五月末をもって、三十五年の歴史を持つこの水族館は閉園した。


そして、来たる二〇二四年六月には、「神戸須磨シーワールド」として、生まれ変わる。


そんな水族館の、ある日のお話……

 


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 人っこ一人いない、水族館の屋上。


 ベンチに座り、すすり泣く、一人の女性。


 歳は、おそらく三十代くらいだろうか。


 彼女は、ピタッと泣きむと、スマートフォンの内カメラで、動画撮影を始めた。


「私の名前は結城優子ゆうきゆうこ


「つい昨晩、恋人と喧嘩別れした」

 

「その原因は、些細なことよ」


「それに、最悪なことに、電話越しにね」


「電話が切れて少し経って、落ち着いた私は、すぐに彼に電話したわ」


「大好きだもの」


「早く仲直りしたかったもの」


「でもね、電話もメールも他のSNSも、全部試してみたけど、無意味だったわ」


「で、今日は元々、ここに彼と一緒に来る予定だったの」


「でも実際には今日は、私は一人でここにきた」


「ほら見て、屋上には誰もいないでしょう?」


 優子は、スマホのカメラを、近くのアザラシの水槽やイルカの水槽に向ける。


 チャップチャップと、むなしい水の音。


 カメラを元の画角に戻す。

 

「ね、笑っちゃうでしょう?」


「と言うよりは…………笑ってくれる人が一人でもいたら、嬉しいな、って感じ」


「本当、私これから、どうしようかしら」


「彼のいない人生なんて、考えられないわ」


「私なんて、独り身では生きていけないもの」


「寂しがり屋だし」


「実家に住んでいた頃は、一日中お喋りしてたから、『優子は口から生まれた子だ』なんてよく言われたわ」


「こうして独り身になっても、カメラに向かって喋るくらいよ、想像に難くないでしょう?」


「もう今年で三十五。流石にそろそろ結婚して落ち着かないと、って思ってた矢先よ」


「周りも既に結婚して、小学生の子供がいるなんてこともザラよ」


「みんな、いつの間にかどこか遠くの世界に行っちゃったわ」


「私一人を置いてね」


「そうねぇ、もう少し明るい話にしようかしら」


「今日は私は、一人でここに来た、それは確かよ」

 

「でも、デートを抜きにしても、ここが好きなのよね」


「何たって、このスマスイ……あ、って言うのは、須磨海浜水族園すまかいひんすいぞくえんの略称のことね」


「ここにはたくさんの思い出があるの」


「小さい頃から、何度もここへきた」


「知ってる? 『のびのびパスポート』っていう、兵庫県の小・中学生ならタダで色んな施設を楽しめる魔法のパスポートがあるの」


「それを使って、何度も足繁あししげく通ったわ」


「今も、あるのかなぁ、『のびのびパスポート』……」


「でね、幼稚園、小学生の頃は遠足でよく来たし」


「中学生になってからは、初めて出来た彼氏との、デートの定番スポットになったわ」


「何なら、今の彼の前の彼とも、そのさらに前の彼とも、そのまたまた前の前の彼とも、初めてのデートはこの水族館」


「うふふ、私ったら、固執こしつが過ぎるわよね?」


「だからもう、ここでは目隠ししてでも歩けるの、多分だけど」


「あ、テーマソングもあるのよ? 『おいでおっいっでっよっこっおっべっのっすっいっぞーくえん……』ってね」


「曲の最後は、『そこは須磨! スマァ! 海浜水族園』って締めくくるの」


「何だか一人でノリノリになっちゃった」


「あー、恥ずかしいわ」


「それだけ思い入れのある水族館だから、一人でもいいからって、ここに来たの」


「昨日の時点で、チケットも取ってしまってたしね」


「水族館の、お魚さん、イルカさん、ペンギンさん、オットセイ、アザラシも、みんな元気にしているのを、さっきぐるっと建物を一周して見てきたわ」


「イルカショーは……何時になったら始まるのかしらね」


 優子は、遠くの、イルカショーステージを覆う大きな屋根にスマホのカメラを向ける。


 静かな、誰かの大きな背中のような、屋根。


 ズームしているので、少し画質が荒い。


「まぁ……ショーのスケジュール表を持ってないから、いつ始まるか、わからなくて当然ね」


「あ、どうして、わざわざ動画を回してるのかって?」


「『YouTube』に投稿するためよ」


「『YouTube』……わかる?」


「動画投稿のプラットフォームよ」


「そこで、動画を上げて、たくさんの人に見てもらう」


「あ、その時にね、いろんな広告が流れるの」


「食べ物やら、機械やら、サービスやら、色々な動画の広告よ」


「そうそう、テレビコマーシャルみたいな感じ」


「ちょっと踏み込んだ話をすると……」


「動画の再生数や広告表示数に応じて、相当額の報酬がもらえるから、これはビジネスになるぞと気づいた人たちが、『YouTube』への動画投稿を仕事にしていたりするの」


「動画を作ってそれを投稿して、お金を稼ぐ」


「すごい時代でしょう?」


「で、彼らは『YouTuber』なるものとして、一部界隈かいわいでは人気が出始めてるの」


「言ってもまだ黎明れいめい期、って感じだけど」


「でも見方を変えれば、伸び代があるってこと」


「今は、いわゆるブルーオーシャンの卵ね」


「で、私の場合だけど……」


「私は今までの人生で、自分の映像を、ネット上に載せるなんてしたことがないわ」


「でも今回、いろんな縁があってその『YouTube』の存在を知っていたから、ある目的があって動画を載せることにしたの」

 

「あれじゃないわよ? 私みたいな哀れな女に同情して欲しくて、再生数や高評価が欲しくてこうしてるんじゃないの」


「これはね、世間の人々に対しての自己顕示欲じこけんじよくからくるものではないの」


「いや、それは半分嘘かも」


「自分の存在を、誇示こじするという意味では、間違っていないかもしれないわ」


「あ! 肝心かんじんなことを言い忘れてたわ!」


「バカね、私……」


「実はね……」 


「この世界から突然、人が消えたの」


「昨日の夜、私以外の皆んながね」


「本当にびっくりしちゃった。壮大なドッキリかと思ったわよ」


「信じられないけど、これは本当」


「今日、私は、誰一人、他の人間を見ていない」


「あ、さっきもイルカを紹介したけど、動物はいるわ、そこらじゅうにたくさん」


「家から水族館までの道のりで、街中で鳥や、野良猫なんかも見かけたわ」


「ハエとか、虫もたくさん飛んでる」


「あ、そうだ!」


「人間に近い動物はどうなったのかしら?」


「例えば……お猿さんやオランウータンはどうかな」


「人間と近縁なら、彼らも消えちゃってるのかな」


「まだこの目で見てないから、わからないけど」


「でもね、もし、万が一、彼にまた会えたら、一緒に確認しに見に行ってもいいかもしれないわ」


「そんなこと、叶うのかしら……」


「あ、そうだ! 急に皆んなが出てきた時のために、今一人でしか出来ないことをやっておかないと、ね!」


 急にかしこまって、咳払いをする優子。


「This is Yuko Yuki, the last survivor of the earth, signing off……」


 随所ずいしょに練習した形跡が見られる、それなりに流暢りゅうちょうな英語。


「これよこれ! 一度かっこよく決めてみたかったのよね、この台詞せりふ

 

「SFホラー映画『エイリアン』のエレン・リプリー。シガニー・ウィーバーの演じる『強い女性』像に、昔から憧れがあったのよね……」


「私は弱い女よ……それに世代でもないし」


「あ、気づけばもう十九分も撮ってたわ」


「スマホのバッテリーも無くなっちゃいそう」 


「じゃあ切るわね。慣れないことしたせいかな、ちょっと疲れちゃったし」


「この動画、誰かに届くといいな……」


「さよなら」


 〈第二話『YouTuberの男』へ続く〉

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