第2話 日本の警察は暴力団

アメリカの開拓時代、銀行強盗とか、銃によるケンカや殺人から市民を守るために住民たちが雇った保安官(制度)。それがベースになった治安警察と違い、日本の警察官とは、思想警察として明治時代に誕生しました。政府による国民の洗脳に逆らってフランス革命を起こしたフランス人のように、真に自己の自覚(自我の覚醒)をさせないようにするための暴力装置として生まれたのです。

ですから、夏目漱石や北村透谷、芥川龍之介のような、日本人に人間としての自我の覚醒をうながすような小説や論評を書く者は「早世・早死に」したのです。

世上、麻薬のことを「覚醒剤」と呼ぶことで、「自我の覚醒」を忌諱(いみきらう。おそれ避ける)するように仕向けているのもその為です。

もともと、釈迦が覚醒した(悟りを開いた)、という使い方をするいい言葉だったのですが、「覚醒」とは。

私の曾爺(ひいじい)さんは、東京市で警察官をやっていましたが、当時は大都会の東京でも家に鍵なんかかけなかったくらい、犯罪というものは少なかった。

  警察官は毎日ヒマで暇でしかたがない。だから、「オイこら警官」と呼ばれたように、その辺りを歩いている人間を手当たり次第に捕まえては職務質問をしたり、交番へ連れ込んで裸にして所持品検査なんてやる、女郎屋やばくち打ちを脅して金品を巻き上げる、という暴力団まがいだったのです。

逆らうと、小林多喜二ではありませんが、警察署の中で殺されてしまうので、誰も文句を言えない。

ひいじいさんは、そんな警察官が嫌で、毎日川へ行っては警官常備のサーベルで魚を突き、大漁の時はそれをご近所に配っていたので、警察官としては珍しく人気があったそうです。

  当時の警察官というのは、出自が武士であれば、無試験でなれたのですが、息子(私の祖父)や孫(私の父)には、くだらない仕事だから絶対になるな、と厳命していたそうです。


<無責任・反省しない警察官>

私の祖父は、1937年(昭和12年)京城(今のソウル)近郊の町にあった靴(軍靴)工場で工場長として赴任しましたが、朝鮮人を日本人並に平等に扱ったという「罪」で、警察署内で3日間暴行を受け、それが原因で半身不随になりました。

  祖母もまた、朝鮮部落の人たちと仲良くしたということで、貴族(両班 やんぱん)が住んでいた、500軒1500人の部落で唯一オンドル(暖房装置)のある家を追い出され、川沿いの集落で朝鮮人の奴卑(奴隷階級)たちの家に追いやられました。

1945年8月15日敗戦の日、そんな「○ちがい警察官」や職業軍人たちは、すでに(家族と)日本へ逃げ帰っていたため、多くの在留邦人が朝鮮人に虐殺されたり強姦されたりしましたが、私の祖父一家は数年間一緒に住んだ朝鮮部落の人たちに助けられ、無事釜山から日本へ帰国できた、ということです。 

散々やりたい放題の蛮行・愚行三昧をしておいて、一切責任を取らずに逃げて・隠れてしまうという今の日本警察の無責任体質とは、戦前からなのです。

私が10年住んだ台湾の警察は、日本の警察に比べればずっとクリーンですから、今回のような警察官による破廉恥な事件が発生すれば、警察署長がテレビの前できちっと説明・謝罪するでしょう。

というか、現代の台湾の警察官は、こんなバカな逮捕劇・市民の不法拘束なんて絶対・絶対にしない。ひとつには、数十年前に台湾警察が行なっていた市民の大量虐殺事件(二・二八事件)を反省しているからです。

  その点では、台湾の警察(思想警察は除く)は、日本の韓国脳警察に比べれば、ずっとまともです。

私自身が、ここ10年の間に出会った台湾の警察官は、みな体育会系で、正直でスカッとした男女ばかりでした。日本の警察官のように後ろめたいこと(領収書の偽造・裏金)をやっているために暗い人間、というのはいませんでした。

 → 拙著「台湾の警察とヤクザの問題解決能力」参照。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る