珀 ④
旭川の空港から、顧問の運転するレンタカーで一時間ほど揺られた。
「それじゃあ、また明日迎えに来ますから」
顧問は市内にホテルを取っていた。ワンボックスは大吉らを牧場で降ろすと、来た道を戻っていった。
「ようこそ
デニム地のオーバーオールを着た琴子が、ロッジから出迎えに来てくれた。
歳は大吉の五つ上の二十一歳。三つ編みにした髪が、後ろで尻尾のように揺れている。
「糸里琴音さん、はっ、略してイトコ。従姉のイトコさん!」
「あははは、言おうと思ってたギャグ、先に言われちゃったよ。君も剣道部なの?」
「俺は羽子、あ、あの女の子についてきただけで、剣道部じゃないっす。瓦秋久です。よろしくお願いします!」
「気をつけろ、琴子。女の尻を追いかけるために北海道まで来る色情魔だ。目を付けられると面倒だぞ」
「誰が色情魔だー!」と突っ込んでくる秋久を、闘牛士よろしくひらりと躱す。
「わっ、大吉⁉ おっきくなったねえ」
「ああ、三年ぶりだな。琴子は、あまり変わらないな」
「ちょっと、そこは綺麗になったなとか、言うところでしょーが」
「琴子ちゃん綺麗になったよ、ほんとに!」
「わ~、ありがとう春香。春香も可愛くなったね。けど素直で優しいところは、これからも変わらないでいてね~」
地蔵にでも祈るように、手を合わせ南無南無とやる琴子。
それから剣道部の先輩たちとも挨拶を交わす。
琴子は知り合った三年前も十分社交的だったが、働くようになってその性格に磨きがかかっていた。
春香の話では、民宿は琴子が切り盛りしているらしい。
「それで、そっちの子が、なにちゃんって言ったっけ?」
羽子が、そっぽを向く。ちゃんづけで呼ばれるのが嫌いなのだ。
「おい」
大吉は隣に行き肘でつつく。羽子は溜息をつき、「名前はない。こいつらみたく好きに呼べ」と言った。
「名前がない? 珍しい子だね。あ、私つけてあげようか。生まれた子牛に名付けるので慣れてるから、いいの考えられるよ」
羽子の言葉をギャグと捉えたらしい琴子が、ぐいぐいくる。この感じは、羽子が嫌いそうだ。
案の定、羽子は露骨に面倒そうな顔をしている。
その羽子の足元を見て、琴子が、「あれ?」と小首を傾げる
「君、その
琴子が腰を屈め、しげしげと見る。
そこは、大吉が最後に羽子と闘った時、狼爪が生えた場所だ。今は爪はなく、踝より小さな瘤がついている。
「お前、これを知っているのか」
羽子が、琴子の方を向く。
「あ、ううん、知らない。ラクダの瘤みたいだな~って。っとごめんね、身体的なことなのに。さ、いつまでも立ち話もなんだし、宿に案内するよ」
琴子はロッジの奥にある民宿に大吉らを先導する。
「おい春香」
「なに、羽子ちゃん」
「あの琴子ってやつ、何者だ」
「何者って言われても、私の従姉で、牧場の家の一人娘、かな」
羽子が訊きたいのは、そういうことではないだろう。
確かに、羽子の狼爪の痕を見つけた時の琴子の様子は、少し気になった。だが、琴子がウェアウルフ、亜人の存在を知るはずもない。
なにか、勘違いしたのだろう。
羽子は、琴子の背中をしばらく見つめていた。
部屋割りは春香と羽子の女子部屋、男子部屋二つに分かれた。大吉は秋久、主将と同じ部屋だ。
荷物を部屋に降ろし、一息入れた。
午後の牛の乳絞りがあるというので、羽子を除く面々は琴子と牛舎へ移動した。
「もっとぎゅっとやっちゃって大丈夫だよ」
「こ、こうですか」
おっかなびっくり、乳を搾る主将。
「お、秋久は手馴れてるね。さすが!」
「さすがってどういうこと⁉」
すでに琴子にいじられつつ、乳を搾る手は止めない秋久。
「搾りたてソフトクリーム。へえ、三年前はなかったよね」
春香が牧場の白い柵の近くに立つ看板を読む。
「この牧場をもっと盛り上げたくてさ。民宿をはじめて、泊まりで牧場見学に来てくれる人も増えたから。そういうお客さんに喜んでもらえるかなって、ソフトクリームもはじめたんだ」
「すごいね、すっかり経営者さんだ」
「あはは。親父にはまだ尻の青い子ども扱いだけど、いつかこの牧場を日本一にするためにね」
「うん、知ってる。琴子ちゃんの小さい頃からの夢だもんね」
「春香の夢は? 旅行会社に入ってM、なんとかってのに関わる仕事をしたいって」
「MICEだね。変わってないよ。高校を卒業したら国際観光ビジネスが学べる大学か短大に行くつもり」
琴子と春香はハイタッチを交わす。二人は、互いの夢を応援し合っているのだ。
「森宮ははっきり将来のビジョンを持っているんだな」
話しを聞いていた先輩が感心する。
「亡くなった母が、そういう仕事をしていたんです。その母に憧れて、あんなふうになりたいって目指しはじめただけで」
「だけってことはない。誇れる動機じゃないか」
主将が重みのある声で言う。琴子も、力強く頷いた。
「大吉、知ってた?」
秋久が傍に来て、小声で訊いてくる。
「ああ」
「まぁ、そりゃそうか。確か大吉は、進路、就職だったよな」
大吉に父親がいないことを、家族で利用する風呂屋の倅である秋久は知っている。
「なんか僕って、ガキっぽいな。今のことしか見えてないっていうか」
「そんなもんだろ。俺も今のことだけさ。春香だって、夢はあるけど、そんな先の先まで見通してるわけじゃないさ」
「そっかぁ。でも、僕もなにか、これって言える目標がほしいよ。ん~、僕のやりたいこと……」
秋久は腕を組んで考える。
「羽子に、名前をプレゼントする。だめだ、なんで僕の頭ってこんなことしか考えられないんだ」
「いいじゃないか。名前、なにか考えてやれよ」
秋久に乳絞りをされていた牛が、う~んと唸り頭を抱える秋久の尻を鼻先で押した。
「わ、なんだハナコか。…ハナコ、ハナコか」
気になる女子に名前を考える。
その道のりは遠そうだった。
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