桑乃瑞希 ⑱
-7月19日 PM9:55-
「報告。成樟近衛本隊が何者かにより進行妨害を受けています。敵数は不明ですが、陰陽術と思われます。こちらへお出でになる予定でしたお嬢様は、念のため成樟本邸に引き返されました」
「わかった。こちらの損害は確認できる限りでは負傷者二十八名、死者はゼロ。本隊へ伝えろ」
「はっ」
徹平は頭をもたげさせた。
部下の報告を受けていた成樟私兵の部隊長らしき男が、煙草に火をつけていた。
「暢気だな。もう動けるやつらもいるだろ。あんたも、左腕の骨以外は平気なはずだぜ」
「君一人に敗けた我々には、明日から地獄の日々が待っている。しばらく、煙草なぞ吸えんだろうからな」
男は紙巻きの煙草の煙を、ゆっくりと味わっていた。
徹平は立ち上がって鉄棒を拾いに行く。
「おいおい。あんな闘いしておいて、もう動けるのか」
男が言う。ストライカーは眠っている。死んではいないはずだ。
徹平が鉄棒を担いでビルの方へ歩いていくと、入口から瑞希と陽衣菜が出て来た。大吉の妹を両脇から支えている。名前は確か、束早といったはずだ。
「お前たち、無事だったか」
「どこが! 束早の意識がないのよ! 変な注射器みたいなのを持ってたの。毒を打たれたのかも」
「落ち着け。医者に運ぼう」
汗だくの二人に替わり、徹平は束早を抱えた。瑞希は意識がないと言っていたが、混濁しているという方が正確そうだ。
「大吉は?」
陽衣菜に訊いた。
「まだ上に。春香さんも一緒です」
「森宮も来てるのか」
瑞希はここにいる。加勢に行くべきか、徹平が考えていると、二人連れの男が倒れている成樟私兵の間を歩いてこちらに来る。
ひと目で、只者ではないと直感した。
特に右の、ウェットスーツを着た乱髪の男。ただ歩いている風なのに、まったく隙がない。
「死屍累々だね~。ん? あ、死んではいないのか。ひゅう、これ君一人でやったのかい? すごいねえ。その鉄棒でやったのかな。軽々持っているけれど、実はかなり重いんじゃない? ちょっと触ってみてもいいかい?」
左の男が倒れている連中をぴょんぴょんと跨いで、興味津々に近づいて来た。だが、徹平は乱髪の男の方から目を離せない。
「于静、騒がしいぞ」
「ごめんごめん」
「しかし、もう祭は終わっちまった後のようだな。建物からも闘争の気配は感じん」
「そうなのかい。残念だったね、萬丈。息子の成長っぷりを見物しに来たのに」
「ふん、ひやかしに来ただけだ」
「せめて会っていったら?」
「いや、話すこともない。酒でも飲みに行くぞ」
「悪いけど一人で行っておくれ。せっかくだから僕は大吉君に会っていくよ。彼らも、どうも医者の手が要りそうだしね」
「好きにしろ」
乱髪の男は踵を返し、立ち去っていった。
一瞥もされなかった。なのに徹平は、姿が見えなくなるまで、萬丈と呼ばれた男の背を凝視し続けていた。
野性の動物、いや、竜が人の成りをして歩いているようだった。なんなんだ、あの男は。
「おーい、君、いい加減無視はやめておくれよ。ただでさえ
残った于静とかいう中国人が、徹平の顔の前で手を振って注目を得ようとする。
「誰だあんた」
「僕は于静。しがない闇医者さ」
闇というわりに、堂々とした名乗りだった。
◆
-7月20日 AM8:20-
インターホンが鳴った。
大吉が玄関のドアを開けると、瑞希の兄が立っていた。
「朝早くにすみません。お話があって伺いました。上がらせてもらっても?」
「は、はぁ。どうぞ」
「お邪魔します」
アパートの前に黒塗りの高級車が三台連なって停められていた。一台が瑞希の兄が乗ってきたもので、あと二台は護衛だろう。目立つなぁ、あれ。変な噂がたたないといいが。
こうして外で見ると、瑞希の兄は優雅な気品を纏っていた。ボロアパートの一室とは、ミスマッチにもほどがある。
「なあに、お客さん?」
夜勤明けで寝ていた母親が寝室から顔を出す。
「やだ! イケメン!」
「お袋は寝ててくれ」
出て来ようとするのを押し戻し、襖を閉じた。
昨夜の闘いで毒を食らった束早は、大事を取って病院に入院している。解毒の処置は于静がしてくれていた。
なぜ于静が日本に、それもあの場所にいたのかは聞けていない。疲れ果てていたし、徹平は重傷を負っていた。本人はなぜかケロッとしていたが。
「あ、飲み物。麦茶とかしかないんですけど」
「ありがとうございます。今日は暑いですからね。嬉しいです」
冷蔵庫で冷えた麦茶をコップで出す。
瑞希の兄はコップを取り、もう片手でその底を支えて、麦茶を飲んだ。美しい所作だ。
イケメンが上品に、水出し麦茶飲む様子は、ちょっとシュールだ。
「あの、話ってのは?」
大吉はちゃぶ台の対面位置に座った。
「桑乃家の今後のことが決まりましたので、お伝えにきました」
「はぁ」
俺に話す必要があるのだろうか。それも桑乃長兄の口から。思ったが、訊ける雰囲気ではなかった。
以前会った時に病を患っていると聞いたが、今日は体調がいいのか辛そうな様子はない。
「今朝、父の意識が回復しまして。正式に跡継ぎを指名してもらいました」
「え、マジですか。もしかして瑞希のお姉さんが?」
瑞希の兄は、ゆるりと頭を振った。
「佳奈美、妹は、父が不在の間に桑乃を乱したとされ処分を受けました」
「じゃあ」
「家督は、瑞希が継ぐようにと。父は、もしかしたらはじめから、そのつもりだったのかもしれません。瑞希は承諾しています。思うところはあるでしょうが、私から見て、無理をしているようには見えませんでした」
「そう、ですか」
この兄の言うことなら、信用できなくはない。
自分が家督を継げば丸く収まると、瑞希は考えたかもしれない。
だが、だとしたら、俺はなんのために闘ったのか。
羽子との死闘から、一夜明けた。羽子がどうしているかは、知らない。
「大吉君、それに昨晩の騒動に関わった君のご友人たちに、桑乃から制裁を与えるといったことはありません。成樟にもそういう声はないようです。ただ、名前が広まるのは、どうしようもありません」
「というと?」
「桑乃は財界に、成樟は政界に、それぞれ深いつながりがあります。君の名前は、その両方に伝わったと思います」
「えぇ、それって、どうなるんですか」
「わかりません。ですが、もしかしたら今後君に不都合を及ぼすことは、あるかもしれません。想像で言えば、就職しようにも企業が桑乃に遠慮して、君を避けるとか」
大吉は口元を手で覆った。それって、かなりやばくないか?
「大吉君」
瑞希の兄が気遣わしげな目を向けてくる。
「大丈夫です。自分の意思でやったことですから」
後悔はない。それは、本心だ。
「ありがとうございます。本当に。今回の一件、私個人は君に感謝しかありません」
瑞希の兄は座布団から立ち、畳に正座して深々と頭を下げた。
「頭上げてください。って、前もこんなやり取りしましたね。俺たち」
瑞希の兄と、顔を見合わせる。静かに笑い合った。
先のことがどうなるかわからないのは、元からといえば元からだ。そう思うしかない。羽子などには、甘いな、とまた言われてしまうかもしれない。
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