新田束早 ②

「春香、どんな顔してた?」

部屋に戻ると、襖の奥から束早つかさが話しかけてきた。

「この前ピクニックに誘ってもらった時も、行けなかった」

「んなことで春香が怒るかよ。知ってるだろ」

束早が黙った。

大吉はちゃぶ台のコップを片し、シャワーを浴びた。夕飯は冷蔵庫のもので適当に作って食う。

束早と母の分はラップをして冷蔵庫にしまった。母は、春香が来る前には仕事に出かけていた。


翌日の放課後。

大吉が剣道場で部活動をしていると、先輩に肩を叩かれた。

「お客さん」

「客?」

面だけを外して道場を出ると、尚継がいた。中学からそのまま来たのか、制服姿だ。

西日が強い時間で、尚継は額に汗を浮かべていた。さっきまで掛かり稽古をしていた大吉は、それ以上に汗みずくだ。

「準備できたぞ、大吉」

束早の妖祓いの件だとは、言われなくてもわかった。

「いつできる?」

大吉がずいと詰め寄ると、汗が飛んだのか尚継が顰め面をした。

「今晩でも。場所は銭豆せんず川で、俺としずかでやる」

「靜もか」

「俺一人じゃ、あの妖は無理だ。二人がかりで術をかけて、祭具で術の出力を底上げする。それでやっと、ってとこだ」

大吉は尚継の姉、靜がやや苦手だった。性格がきついのもあるが、まず向こうが大吉を嫌っていた。歳は大吉の二つ上で、いま大学一年だ。

しかし苦手だなんだと言ってはいられない。やっと束早を助ける手筈が整ったのだ。

「頼む。束早には、今すぐ帰って話す」

「わかった。じゃ、俺も帰って用意をはじめとくよ」

「ありがとう、尚継」

「けっ、別にお前のためじゃねえ。春香さんの頼みだからだ」

「それでも、ありがとう」

大吉は先輩に断り部活を抜け、走って家に帰った。

「束早! その妖を追っ払えるぞ。今晩、出かけられるか」

帰宅し、息を切らせたまま言った。ややあって、襖が開いた。

カジュアルなスタンドカラーのグレーシャツ。タイトなテーパードパンツ。ずっと部屋に籠っていたとは思えない、ちゃんとした格好をしていた。

ストレートロングの黒髪も、櫛で梳いてあって乱れていない。

妖に憑りつかれ、外に出られなくなっても、身支度を怠らない。律儀でしっかり者の束早らしかった。

こうしてちゃんと顔を合わせるのは、数か月ぶりだ。束早は少し痩せていた。もともと細身なので目立つ変化ではないが、頬が薄くなっている。

「待たせてごめんな。でも、これで元の生活に戻れるぞ」

大吉は束早の両肩に手を置く。

「学校のことなら心配いらないぞ。中卒認定試験ってのがあって、それに受かれば高校に通えるんだ。束早の学力なら難しい試験じゃないさ」

大吉は束早の浮かない顔に気付いた。

「束早、どうした?」

束早は首を振る。

「なんでもない」

そんなふうには見えないが、無理に話せとも言えない。

自分の気持ちを、押し付けてしまったか。自分は就職をして、母がかけていた学資保険は束早に使ってほしい。それはあくまで、大吉の思いだった。

「前の学校のことが気になるなら、電車で少し遠い学校に通ったっていい。束早が嫌なら、無理に学校に行くこともない。妖を祓えれば、束早は自由なんだ。なにをしたっていい。束早の好きなことをやればいい」

束早が弱った目で見上げてくる。大吉は頷いて見せた。

「好きなこと」

「おう、なんでもいいぞ」

開けられた襖の間から、束早の部屋が見えた。画材が机に整理して置かれている。棚には風景や動物の写真集。その並びに数冊のスケッチブックがある。

風景や生き物の写生は、束早の趣味だった。

「私、春香と遊びに行きたい。学校にも通いたい。大吉が通ってる高校」

「うちの学校か。いいかもな。賑やかで面白いぞ、うちの学校は」

「ええ、知ってるわ。大吉から聞いてるもの」

「そんなに話してたっけか?」

大吉はとぼけたふりをする。

「話してたわ。忘れたの?」

やっと束早の表情が和らいだ。声を上げて笑うタイプではない。それでも嬉しい時や楽しい時は、こういう優しい顔をする。

「今晩、大丈夫か?」

改めて訊いた。

束早は微かにためらいを見せたが、薄い胸元に握った右手を当て、心を決めたようだ。


    

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