左門徹平 ⑤
口に、なにかをねじ込まれた。
飛び起きると右肩に痛みが走り、立体駐車場での一部始終が脳裡にフラッシュバックした。
「こら、徹平くんに砂食べさせちゃダメでしょ!」
「すなゃないよ、おにぎり! にいちゃんがげんきになうように!」
施設の中庭にある砂場にいた。頬についた芝の草がパラパラと落ちる。徹平は砂を吐き出した。
「俺を連れ帰ったのは隆子か」
大吉と喧嘩をしていて、立体駐車場に海外帰りの隆子が現れたところまでは記憶があった。
「そおだよ」
年少の弟が舌足らずに答える。砂遊びに付き合っていたらしい中二の妹が、隆子先生でしょ、と注意してくる。
血は繋がっていない。それでも同じ飯を食い、同じ屋根の下で暮らすきょうだい達だ。
「でも、徹平くんを運んできたのは別の人。だいきち、って人」
「大吉が?」
「いま、隆子先生の部屋にいるよ」
中二の妹が中庭に面した東の窓を指さす。施設長である隆子の事務室だ。
「ありがとな、握り飯。おかげで元気でた」
徹平は年少の弟の頭をぐりぐりと撫でてやり、隆子の部屋の方へ歩いていった。
窓が開いていて、白いレースのカーテンがはためいている。
話し声。
徹平は窓の下の地面に尻を降ろし、壁に寄りかかった。雲のない青空で、近くに鳥の鳴き声がする。
「それじゃあ、徹平はその中学生をいじめたやつらと勘違いして、俺らに勝負を挑んできたんですね」
「ふ、勝負か。そんなにお行儀のいいもんじゃなかったろう。まだあいつは頭に血が昇ると獣に戻っちまう。あれでも、拾った時よりは幾分ましになったもんだが」
「拾った時?」
「確か十歳だったか。北陸の町で狂犬みたいに彷徨っているのを拾った」
「北陸ですか」
「その頃、私はまだこの施設を預かってなかったんでな」
「徹平は喧嘩の最中、強さに異常にこだわっているように見えました」
「あいつは両親が弱かったから死んだと思ってるのさ」
隆子の遠くまで通る声は、部屋の外にいてもよく聞こえた。大吉は、窓辺の近くにいるようだ。
自分のことが話されている。徹平は瞼を閉じ、黙って聞いていた。
「あいつの親父は自ら首を括って死んだ。母親は悲嘆に暮れて心からくる病で後を追った。小さな町工場だったらしい。国の施策かなにかで、それが邪魔になったんだろう。やくざを雇われて潰された。まぁ、珍しい話でもない」
隆子が煙草をふかしている。独特な上海煙草の匂いが漂ってくる。
「弱いやつは生きられないって、そういうことか」
「間違っていると思うか、大吉」
しばらく沈黙があって、いえ、と大吉が答えた。
拳を交えると、わかるものがある。時にそれは言葉より雄弁だ。大吉も、人の死に直面するか、自身が死線をくぐるような経験をしていた。
「お前もあいつと同類だね。そうでもなきゃ、吸血鬼の血を飲むなんて馬鹿はしない」
「
「多少、な」
煙草が揉み消されたのか、匂いが流れていく。
話題が大吉のことに移った。
徹平は立ち上がり、窓辺を離れる。
施設の門の方へ歩いていくと、中二の妹が駆け寄ってきた。
「また出かけるの?」
「おう。夕飯までには帰る」
「また喧嘩だ」
「なんでわかる?」
「そういう顔してるの、わかるよ」
徹平は嫌そうな顔をする妹の、額を指先で小突く。
「わかっても黙って見送る。それができりゃ、いい女になれるぜ」
「ばかー!」
徹平は施設を出た。
寺岡。
ゲームセンターにいた。空気が淀んでいる店内には、いつもより人がいない。
その分、寺岡の息がかかっている連中は多そうだった。寺岡の前に立った徹平を、素知らぬ顔をしつつ窺う気配はある。
「どうしたんです、徹平さん、その腕」
「回りくどいのはいい。なんで俺と大吉をぶっつけようなんて考えた?」
寺岡は薄ら笑いを浮かべている。そして、その裏で怯えている。徹平が来るのを見越して、仲間を集めていたのがいい証拠だ。
手負いの相手にすらタイマンをはれない。所詮、そんな男か。
「なんですか、そりゃ」
「あ?」
寺岡が怪訝に眉を寄せていた。
言われて、気付いた。泣いていた。なぜ涙が流れているのか。
「・・・悲しいんだ」
「はぁ?」
「肩を並べられる仲間だと思っていた男が、こんなちっぽけだった」
言っている意味は通じたらしい。寺岡の眉尻がぴくりと動いた。
「ずっと、あんたが目障りだった」
寺岡は顔を伏せ、くぐもった声で言った。手をあげる。周囲にいた男達が、普通の客を装うのをやめ、緩やかに包囲してくる。
「なんで、と言ったな、徹平。冥途の土産に話してやるよ」
寺岡が前髪をあげた。額に古い傷跡がある。それは知っていた。
「あの”悪童”にやられた傷さ。いつかこの傷の礼をしてやろうと思ってた。あんたに近づいたのも、そのためさ」
「悪童?」
「そうか、あんたは知らねえか。新田大吉さ。中学上がるまではそりゃすごかったんだぜ。喧嘩っ早くて、一度暴れると手が付けられなくなる。ついたあだ名が、”悪童”さ。
いまは見る影もなく大人しくなっちまったが、町の年寄りなんかはまだあいつを疎んでる」
温厚そうにぼやっとした面の大吉が思い浮かぶ。と同時に、立体駐車場で見せた立ち回りは、素人ではなかった。
親父が蒸発して、自分と母親、妹だけが残されたと言っていた。
家族を守ろうとして、暴れるしか術を知らない子ども。いまの俺と同じだ。
「くくっ、隆子がいつまでも俺をガキ扱いするわけだ」
徹平が自嘲していると、金の喜平ネックレスの男が、木刀をぶら下げて寺岡の前に出てきた。
「寺岡さん、もういいですかい。用済みの野郎はさっさと畳んじまって、本命にいきましょうや」
「そうだな」
「ばかだなぁ」
「ンだと」
「大吉は、おめえらなんぞがちょっかいかけていい玉じゃねえや」
喧嘩をした。獣同然に食いかかった自分に、最後まで付き合ってくれた。そんなやつは、隆子以来だった。
「だからよ、お前らの相手は俺がしてやる。俺にはちょうどいい役回りさ」
喜平のネックレスをした男が、木刀で徹平の頭をぶん殴った。
木刀が折れていた。徹平はびくともしない。
「効かないねえ」
白い歯を見せ、にかっと笑った。
ゲームセンターからの悲鳴を聞きつけ二人組の警官が現着したとき、立っていたのは徹平だけだった。
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