左門徹平 ④

怒りで暴風のようになった徹平を制圧する。

相手はいかにも場慣れした喧嘩師で、言うほど容易くはなさそうだ。

大吉には、吸血鬼フェンガーリンの血を飲んだことによる後遺症、超回復力が身に付いてしまっている。

厄介なことにならないためには、それは隠しておきたかった。

「やることは、一緒か」

大吉は呟いた。

徹平の馬鹿力と、その得物である重量級の鉄棒から放たれる攻撃は、一撃でも致命的だ。

躰に事情を抱えていようが、いまいが、攻撃を食らえないことに変わりはない。

睨み合う。

どこかで、車のクラクションが鳴った。

先に踏み出したのは、大吉の方だ。

低く構えられていた鉄棒が跳ねあがってくる。真正面から突っ込むと見せかけ、スライドする。ステップを使い、躰を密着させた。

鉄棒を封じるには、超インファイト。これしかない。

大吉は徹平のボディに拳を叩き込む。

「いってぇ!」

鉄板を素手でぶん殴ったような痛みが返ってきた。なんて腹筋してやがる。

「ばかが」

徹平のスマッシュブローが一閃する。

腕を抱え込み、肩で受けた。吹っ飛ばされ、間合いが空く。鉄棒の間合いだ。

体勢を立て直す暇も与えず、鉄棒が唸り襲いかかってくる。上体を大きく仰け反らせた。掠めたシャツの胸元が引き裂かれる。

防戦に回ったらジリ貧だ。

腕を出し、徹平の袖口を取る。その手を払いのけようとする徹平の力を利用し、背後に回り、腕を絡めとる。

「関節なら、馬鹿力は関係ねえだろ」

「ぐぅ。てめぇ」

「降参しろ。腕が折れるぞ」

締め上げる。ぎりぎりと徹平の骨が軋む手ごたえがある。

「あめぇな、んなことで怯むかよ!」

「おい馬鹿!」

ぼきん、と関節が外れた音が掌に伝わった。

躊躇せず腕を犠牲にして、強引に締め技から抜け出された。

大吉は唖然としかけたが、すぐ切り替えた。

鉄棒はまだ生きている。

その息の根を止める。

大吉は肩関節が外れた左側に回り込む。追撃しようと出てきた徹平の顎にフックを決める。

気炎を吹いていた徹平の目が、束の間、宙を彷徨う。

倒れろ! 内心で叫んだ。

徹平は膝を折りかけたが、踏み留まり、歯を食いしばる。眼光も戻った。

「タフなやつだ」

「当然だ。弱い奴は、生きていけねえ」

手負いの獣は、意識を断つまで暴れ続ける。もう一度、顎だ。

咆哮を上げて突っ込んでくる徹平に、カウンターをぶち込む。徹平は倒れた。

「はぁ、はぁ。……まじかよ」

徹平の鉄棒を握る指がぴくりと動く。立ち上がってくる。

「なあおい、いい加減なにがあったのか話せ。これじゃ埒が明かない」

生半ではない闘志。その源にある怒り。なににそこまで、左門徹平は怒っているのか。

「力がねえと、守れねえ。弱けりゃ、踏みにじられて死ぬ。そんなの、俺ぁごめんだ」

「なんの話だ」

徹平が大吉をじろりと睨んでくる。

だが、なぜか。徹平が睨んでいる相手は、自分ではない気がした。

徹平は半分沈みかけた意識で、なにか別のものを見ている。

「お前、なにと闘ってるんだ」

この明け透けな男が、胸中になにかしまい込んでいる。訊いても無駄か。大吉は諦めた。

脚を奪う。止めるにはそれしかない。

徹平は鉄棒を腋に挟み、手で下から支える。喧嘩師の躰が、無意識にそういう構えを取らせた。向かってくる。

ほんとうに脚を奪って止まるのか。ふと、思考が過る。

立てなくなっても這ってくるのではないか。鉄棒や拳が使えなくなっても、噛みついてくるのではないか。

「おぉぉぉ!」

「しまっ」

徹平のでかい身体がすぐ目の前まで来ていた。

腰の捻じりを使って右腕のみで繰り出された鉄棒を、躱す機は逸していた。

大吉は左腕でもろに横薙ぎを受けた。前腕の骨が砕け、真ん中から先がぶらんぶらんと揺れる。鉄棒。腰の捻じり戻しを利用した振り返しが来る。

「くそ!」

一瞬、徹平の気勢に呑まれた。そんなことで勝敗が決まる。喧嘩ではままあることだ。

「お前の粘り勝ちだよ、徹平!」

大吉は右手で、風を巻き込み迫る鉄棒を掴む。衝撃で右の肘関節が砕けた。

だが、暴れ狂う鉄棒の動きは止めた。

「どういう、ことだ」

徹平が瞠目している。

砕けたはずの右肘がみるみる回復し、鉄棒を制している。

大吉はすでに治った左腕で、アッパーを食らわせた。

徹平がよろめく。大して力は籠められなかった。それでも徹平に与えた衝撃はデカかったらしい。

「お前、その躰」

「喧嘩の最中だろ。ぐだぐだぬかすな」

「それも、そうか」

超常的な現象を目の当たりにしたからか、混濁しかけていた徹平は正気に戻っていた。それでも、闘いを止める気はない。

はじめに決めた勝利条件は破られ、もう負けた後だった。

「こうなったら、とことん付き合ってやる」

目的を失った喧嘩。こうなると、男の意地の張り合いだった。

懐かしい。ガキの頃は、よくこうして無意味に意地だけを貫こうとしていた。

笑い出したい気分になった。見ると、徹平もにやりとした。拳を握り、互いに構える。


「この馬鹿垂れがぁ!」


怒号が轟いた。

弾かれたように、徹平が背筋を伸ばす。

立体駐車場の出入り口に、三十絡みの女が立っていた。

白いスーツに黒い開襟シャツ。ウェーブのかかったアッシュブロンドのロングヘア。大きく開かれた胸元には谷間が見え、日本人離れした欧米風のプロポーションをした女だった。

薄く色のついたサングラスを、くいと額に押し上げた。

「徹平、そのおもちゃはもう振り回すなと、言ってあったよなぁ?」

艶のある声なのに、ドスの利いた話し口調。つかつかとハイヒールを鳴らし歩いてくる。

「待て、これには事情が。うちの施設のやつに手を出した野郎に落とし前付けようと」

「手出しって、なんのことだ、徹平」

大吉は徹平の言葉を遮って言った。ぼんやりとだが、誤解の中身がわかりそうだった。

大吉が問い質す前に、白スーツの女が徹平を捕まえてしまっていた。

胸倉を掴み、片腕で百八十はある徹平を宙に吊り上げる。まじかよ。

「徹平」

「お、おう」

「言い訳無用」

女の拳が、徹平の肚にめり込んだ。隣にいても、ずどんと音が響いてきた。

女は気を失った徹平を放り捨て、鉄棒を取り上げた。

「おいお前、名前は?」

「新田、大吉です」

大吉は答えながら徹平を横目で見た。

あれだけ殴っても倒れなかった男を、一発で伸してしまった。

「よし、大吉、お前この馬鹿を運べ。図体ばかりでかくなりおって。引きずって構わんからな」

女は言うだけ言うと、鉄棒を肩に担いで颯爽と踵を返す。

逆らわない方がよさそうだった。


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