フェンガーリン ⑥

町の北東にある尹賊いくさ山は、標高が低く山道も整備されているので小学校の遠足場所にもなっていた。

町から徒歩で向かうには遠い。日が暮れるのを待って、フェンガーリンと尹賊山登山口行のバスに乗り込んだ。

「無理や、どう考えても」

「策は練っただろ」

外は暗くなりはじめている。窓に、フェンガーリンの曇った顔が反射して映って見える。

「それでもや、あいつはこれまでもデミを食うとる。ウェアウルフやらマーメイドやら、天狗や鬼もや」

「そんなにいるのか、そのデミヒューマンってのは」

「一口に鳥いうても、色々おるやろ。それと一緒や。って、そんな話ちゃう」

「わかってる」

フェンガーリンが知っているアレッシオの情報は共有した。が、肝心なことはわからなかった。

アレッシオが見せた能力『ナイフtoフォーク』で現状確かなことは一つ。

ナイフで身体を切られ、フォークでさらに突かれると、やつの任意で五体のどこかを切り分けられてしまう。

「日本の鬼ゆうんは、治癒力だけが取り柄の吸血鬼なんぞよりよっぽど戦闘向きな種族らしいねん。それを食うとる時点で、ウチらの敵う相手やない」

「治癒力だけってことはないだろう。もう一つの能力だって、きっと役に立つさ」

日没を待つ間、大吉とフェンガーリンは春香の頭を奪還するための作戦を練った。

幸い人目に付かず運んで戻れた春香の身体は、春香の部屋のベッドに寝かせてある。

頭部がないのに、呼吸はしていた。

『ナイフtoフォーク』で切り分けられても、空間的には繋がっているのだ。

常識では信じられない現象。それを可能にするのが、魔術なのか。いまはそれを深く考える時間はなかった。

相手は、魔術などという未知な力を使い、鬼やら吸血鬼やらと渡り合ってきた男だ。

しかしこちらも、無策ではない。

「やっぱり、ウチがアレッシオの交換条件に乗った方が」

「駄目だ」

「せやけど」

「んなことしたら、春香が許さない。あいつにずっと恨まれるなんて、俺はごめんだ」

策を練る間にも、同じ問答を三回は繰り返した。

もともと少なかったバスの乗客が、一人、また一人と降りていく。

「こんな時に訊くことやあらへんかもやけど、二人は付きおうとるんか」

乗客が大吉ら以外いなくなると、しばらく黙っていたフェンガーリンが口を開いた。

「いや」

「なんでや。二人見とったら、付きおうとらん方が不自然や」

「学校のクラスメイトみたいなこと言うな。子どもの頃から一緒だと逆に難しいんだよ、タイミングみたいなもんが」

「たかだか十年ちょっとやろ」

「十六歳にとっての、十年だ」

バスが終点を告げる。

「春香、無事でいてや」

なにを言ったところで、フェンガーリンが感じる負い目を消せはしないだろう。

春香を取り戻せばいい。

大吉はフェンガーリンと夜の山道を登っていった。

アレッシオは、尹賊山の山頂、展望広場で待っていた。

照明は一つもない。

自動販売機の明かりだけが煌々と光り、対峙した大吉とアレッシオ二人の影を長く引き伸ばした。

大吉は伸びた自分の影に手をかざす。地面の影から柄が木製のシャベルが発現する。

「吸血鬼の能力デスね」

アレッシオが大吉の後方にいるフェンガーリンに視線をやる。

「いいのデスか? オジョウサンの首を手摺の向こうに投げてしまっても」

頭だけになっている春香は、尹賊山頂と刻まれた角柱の上に乗せられていた。

その奥の手摺のある場所からは、葉榁の町が見渡せる。

「春香には危害をくわえないんじゃなかったか」

「ふふっ、面白い人デスね。これから戦おうという相手の言葉を頼るとは」

アレッシオは春香の頭を持ち去る際、腕で抱えていった。人の頭はそれなりに重い。髪を掴んでぶら下げて持った方が楽だったはずだ。

食の探求にだけ執念を燃やす男。

それがフェンガーリンとも話し合って、大吉が導き出したアレッシオという男の人物像だった。

「大吉」

「おう、春香、これから喧嘩するぞ。止めたきゃガキの頃にしたみたいに俺をどついて止めるんだな」

冗談を飛ばすと、不安げだった春香が、たははと笑った。

「身体ないのにどうやって止めればいいの」

「そりゃそうだ」

大吉はシャベルを構えて踏み出した。

横薙ぎを、アレッシオは軽くバックステップで躱す。迫りつつ、間合いは詰め過ぎない。『ナイフtoフォーク』を食らったら負けが決まる。

アレッシオの間合いの外でつかえそうな長ものを春香の家で探した。見つけたのがシャベルだった。

吸血鬼のもう一つの特性、影に物を潜ませられる能力を使えば、持ち運びも楽にできた。噴水公園で出会った時、フェンガーリンがどこからともなく分厚い漫画雑誌を取り出したことがあった。

あれは、この能力を使ったのだ。

「一応、考えてはきたようデスね」

「余裕だなっ」

「ふふふ、これでも場数は踏んでいるのでね。子どもと本気で喧嘩するほど大人げなくはありマセン」

アレッシオが軽快なステップで間合いを詰めて来ようとする。ボクシングに近い動きだ。

これは試合じゃない。

自分に言い聞かせる。

大吉はつねにアレッシオの左側に回り込むように動く。アレッシオは、右手でナイフを、左手でフォークを持っている。

ナイフの後にフォークを突き立てなければ能力が発動しない以上、まず警戒しなければならないのはナイフの方だ。

アレッシオのステップ。ギアが上がる。

距離を詰められた。舌打ちし、フォーク側の左に回り込もうとする。

アレッシオの笑みに、酷薄さが差す。

フォークで腹部を突かれた。

嫌な予感がし、シャベルの横振りで払い除けようとしたが、掻い潜られた。ナイフで切り上げられる。

「『フォークtoナイフ』」

大吉の右手が、椿の花が枝から落ちるように、落ちた。

「ぐっ、うぅぅぅぅぅぅ」

跪く。フェンガーリンの狼狽える声。大吉の名を叫ぶ春香。

手を失った右腕から、血が噴き出していた。

「勝負ありデス」

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