フェンガーリン ⑤

「これは奇遇デスね。ちょうど今から、改めてウカガオうとしていたのデスよ」

クラシックなイタリアンスーツ。インディゴのジャケットにペイズリー柄のオレンジネクタイ。

アレッシオ・ロマンティ。

狙いすましたタイミングで現れた。

大吉は家へ帰る途中だった。

送るよ、と家を出てきた春香も一緒にいる。気持ちが落ち着くまで、フェンガーリンを一人にしてやろうとしたのだろう。

「心変わりはありマシタか? かの吸血鬼、私に引き渡してもらえマセンか?」

「なんであんたは、そこまでフェンガーリンにこだわるんだ」

「なぜ、ですか」

アレッシオはネクタイのノットを指先でいじる。

「”美食家”の性デスかね」

自分は美食家なのだとは、この前も聞いた。引っかかる言い方ではあったが、あの時はそこまで気が回らなかった。

「ワタシは食べるのが大好きでしてね。十歳でこの世のあらゆる食材を食べ尽くし、十五歳にはさらなる食の探求に出て毒のある茸や魚の肝などを食するようになりマシタ」

毒を食っていたと言われても、この男ならさもありなんと思えた。

「デミ・ヒューマン、あぁ、吸血鬼などをワタシがいた国ではそう呼ぶのですが、それらに興味を持ったのは、二十歳はたち頃デシた。

 稼業の伝手で色々調べていると、太陽を克服した吸血鬼の存在に行き合ったのデス」

アレッシオの語気が熱を帯びていく。細く長い腕を、ばっと大きく開く。

「衝撃デシた。かの吸血鬼の肉は、臓物は、どんな味がするのだろうか、と想像が膨らみマシタ。数年探し回ってやっと居所を掴んだと思ったら、日本へ移られてしまいマシテ」

なぜフェンガーリンが日本に来たのか。疑問は当然あり、その答えがこの男だった。

どれほどの吸血鬼が人間の社会で共生しているのかわからないが、その存在が明らかになっていないのは、正体を隠して生きているからだろう。

隠れて暮らす以上、自分の周辺には気を配っていたはずだ。

春香は顔を強張らせていた。

自分も似た表情になっているだろう、と大吉は思った。


「というわけで、フェンガーリンをお譲りイタダケマセンか?」

「お断りします」

即答しようとした大吉より先に、春香がアレッシオの正面に出た。

「そうデスか。仕方アリマセンね」

アレッシオが、懐に手を入れる。

ぞっとした。

春香。引き戻そうとしたが、間に合わなかった。

「え?」

春香の頭が、首から転がり落ちる。それを、アレッシオが受け止める。大吉は後ろに倒れてきた春香の身体を支えようとしたが、一緒に倒れ込んだ。

「え、え、なにこれ? どうなってるの」

春香の首は、アレッシオの腕の中で困惑している。

アレッシオが懐から取り出した二本の銀製のなにかで春香の身体を小突いたのは、辛うじて見て取れた。

一瞬の出来事で、春香からは目視できなかったはずだ。

だが、そんなことはどうでもいい。

「おまえ、なんだこれ」

春香の首は綺麗に切断されている。なのに断面からは出血はなく、春香の意識ははっきりとしている。

アレッシオは春香の頭を腕に乗せながら、左右の手に持つ銀製のナイフとフォークを見せてきた。

凝った意匠で、一点もののアンティーク品のようだ。

「『ナイフtoフォーク』 ナイフ、フォークの順で突いた相手の五体から、任意の部位をこのように切り取ってしまえる能力なのデス。

 魔術をゴランになるのは、はじめてデスか?」

「魔術だと」

「まぁ手品のようなものデス。人体切断のマジックならゴゾンジでしょう?」

「ふざけんな、いいからその手を離せ!」

「よいのデスか?」

アレッシオが腕を緩める。短い悲鳴をあげ、春香の首が宙に投げ出される。

大吉は飛び出した。

視界が反転した。雲が流れていた。なんとか上体だけ起こす。

遅れてやってきた痛みで、顎を蹴り抜かれたのだと理解した。

春香の頭は、再びアレッシオに抱き抱えられていた。

「心配しないでクダサイ。このオジョウサンに危害はくわえマセン。ただ希望が拒否された以上、ワタシは交渉するしかないノデス」

「脅迫の間違いだろう」

「どう受け取られても構いマセン。

 今晩、場所はそうですね、この町の北東にある山の頂上でお待ちしてオリマス。そこでこのオジョウサンと吸血鬼、交換イタシマショウ」

アレッシオが踵を返す。

待て。追い縋ろうとしたが、顎のダメージで身体がいうことをきかない。

「やれやれ、面倒ではありマスが、無理押しして貴重な食材に傷がついてはねぇ。回復するとはいえ、ストレスをかけては肉質に影響が」

ぶつぶつと呟き、アレッシオは去っていった。

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