一章 望まぬ婚約

1-1


こんやく?」


 私用にあたえられた研究室で、一昨日採取したばかりのアズナの実をすりばちでゴリゴリとふんさいしながら父に聞き返した。

 ノックもなしに勢いよく開けられたドアから、血相を変えた父と兄がなだ込んできたから何事かと思ったが、長年相手を決められなかった兄の婚約が決まったのだろう。

 れいも忘れてしまうほどうれしかったのかと、こちらも喜びにほおゆるんだ。

 かた下までばしたくろかみを一つにまとめたじょうの兄は、身内の欲目を除いても美しいと思う。


「まぁ、兄様のご婚約が整ったのですか? おめでとうございます。お相手はどな……」

「お前だ! パレンティア! お前にけっこんの申し込みが来てるんだ!」


 見せつけるように私の目の前にされた手紙に、すりこぎを回していた手と思考が停止する。


「わた……し?」

「……そうだ。クレイトンこうしゃく家から手紙が届き、ぜひ長男のラウル=クレイトンとパレンティアじょうとの結婚をと……」

「またまた、お父様ってば、じょうだんばっかり。あんなに私の悪評が流れてるというのに、そんなことある訳ないじゃないですか」


 笑えませんよ、とがおで言いつつ再度すりこぎの手を動かし始めた。


「冗談ではない……」


 と、父がひらひらと私の目の前に差し出した手紙のふうろうには、クレイトン公爵家のもんであるすいれんの印がはっきり見える。


「ラウル=クレイトン次期公爵と言ったら、『かんぺき公子』と呼ばれる王国団の団長をされている方だ。幼いころから神童と呼ばれるほどゆうしゅうで、整った顔立ち。はな婿むこ候補ナンバーワンで常に女性が列をなしているという。どこまで本当か分からないが彼のれんあい事情もはなやかだとか……。なぜ社交界にも出ないティアに?」

「兄様のおっしゃる通りですわ。そんな方が私にきゅうこんだなんて。姉様とちがえていらっしゃるのでは?」


 王国のたてと言われるクレイトン公爵家は代々武人を多くはいしゅつする名門貴族。

 我が国、ソレイユ王国に二つしかない公爵家の一つだ。


「ちなみに、この手紙は二通目だ。三日前にも同様の手紙が来たので、『長女のローズとお間違えではないか。次女のパレンティアはとてもよめに出せるようなむすめではない』と返信をしたが、求婚したいのは間違いなくパレンティア嬢で、せめて一度会って欲しいと……。クレイトン公爵家ともなれば、我々はくしゃく家ではとうていそでにできない家門だ。だから……」


 父の言葉に、その先は言わないでと手で制すと、父も口ごもった。


「……貴族のごれいじょうにモテモテで、騎士団長と言うことは、それはもう……『社交界でも中心的』な存在で『華やかで』『男らしい方』……なんでしょうね」


 そんな方に会えと? 引きこもりをこじらせてひとぎらいに対人きょうしょう気味の私に?

 月とスッポン。もはや住む世界のちがう人だ。

 おそる恐る兄にたずねると、気まずそうに兄が視線をらす。


「……そうだな。王太子殿でんとも幼少の頃から親しく、貴重なほうの使い手で、王の覚えもめでたいと。それに王国騎士団の団長だから……」

 

 困ったように言葉を選ぶ兄に、それ以上言わなくていいと手で制す。


「無理! 無理無理無理! 無理です!!」


 言いながら、ガタン! と勢いよく席を立ったのがまずかった。アズナの実と混ぜようと事前に用意していた薬液の入った容器がたおれ、中身をぶちけてしまった。


「ぎゃあぁぁあ! 一週間かけてちゅうしゅつしたやくざいが! 魔法石を入れる直前だったのに!」


 三日三晩、満月の光に当てながらねんが出るまでこまめに混ぜて作ったこんしんの薬剤が!

 こんなうっかりで!


「落ち着け、ティア! 落ち着け! 兄がなんとかしてやるぞ!」

「いくらなんでも『ぎゃあ』はないだろう……」

「おじょうさま。ご安心ください。まだ薬液はあちらのびんに残っておりますから」


 兄のあせりと、父のあきれた声にかぶせるように、私の助手けんじょのブランカが、落ち着いた声でかべぎわたなにある瓶を指差して言った。


「よ……良かった」

「お前は、本当にどうのこととなると人が変わるな……」


 ため息混じりの父の声など耳に入らず、ブランカと薬液のこぼれた机の上を片付けながら父に視線を向ける。


「と、いうか。お父様、私の悪いうわさはきちんと流してくださっているんですよね

!?」

「もちろんだ。『ぜいたくが大好きで、わがまま放題。夜な夜な遊び歩き、男どもを手玉に取るのがしゅのようなもので、父親もかんどう寸前』と、お前に結婚の話が来ないように、お前の希望通りの噂をいっしょうけんめい流したんだ! 実際今まで一つも来なかっただろう?」

「僕だって、社交の場に出るたびに『妹の贅沢と横暴ぶりに手を焼いている。嫁のもらい手は望めない』とがんってボヤいてるよ」


 こんわくする父と兄に、私も「だったらなぜ……」と首をかしげた。

 チラリと父が視線だけで『本当は何か心あたりがあるんじゃないか?』と言ってくるが、心あたりはないとブンブンと頭を左右にる。

 こちとら引きこもり歴三年で、もう貴族男性とつながるような……。


「この手紙には、お前への求婚と、……それから先日家族を助けてもらったお礼がしたいと書いてあったが。何のことか分かるか?」


 さっぱり分かりませんと首をひねり、たっぷり五秒考えた時点でハッとした。


「……!! ああああ! 一週間前ラーガの森で、ご令嬢にお会いして……」

「……どんなご令嬢だった?」


 父と兄がごくりとのどを鳴らし、息をめる。


「美しい月の光のような銀のかみに、アメジストをほう彿ふつとさせるむらさきひとみ。そして、がみを具現化したような、息を飲むほどの美しい方でした……」

ぎんぱつがん。美しい容姿……」

「間違いなく『社交界の薔薇ばら』と呼ばれるクレイトン公爵家のアリシア嬢だな。その彼女がなんでラーガの森でティアと会うんだ?」


 兄の質問に、まずいといっしゅん言葉に詰まる。


「パレンティア……お前、まさか」

「その……森に採取に行った際に、アリシア様が……とうぞくおそわれていたところをお助けして、一晩どうくつで過ごした後、無事に騎士団の方がおむかえに来られまして」

「「……盗賊って……」」


 父も兄もふらりとめまいがしたかのようにうなれる。


「あ! でもでも! お父様と兄様の言いつけを守って護身用魔道具を大量に持って行っていたのでことなきを得ました!」

「『ことなきを得ました』じゃない! なぜそれを報告しない!」


 ごもっとものてきに体がすくむ。


「ごめんなさい。私はカーティス家の者だと名乗っていないし、高貴な方だとは思ったんですが、正体を明かしたくないようで名乗られませんでしたし、……おしのびかと」

「無事だったから良いものの、どんなに護身用の魔道具をそろえても心配でたまらんよ」


 はぁ……、と目の前の二人が深い……深ーいため息をついた。

 外出時、私に護衛はつかない。

 家族や幼い頃からいっしょにいるブランカは別として、他人とコミュニケーションを取るのがおっくうだし、苦手だし、気を使ってしまうからだ。

 特に採取をする時は、あっちも行きたい、あれも採りたいと言うと、困らせるんじゃないかと気にしてしまうので、好きに動ける一人が楽なのだ。

 そのため、一人で外出する際は護衛をつけない代わりに、ありったけの護身用魔道具を持たないと外出させてもらえない。

 でも、あれだけの護身用魔道具があれば、騎士数人分にひってきするので、こちらの方が安全な気もする。

 それでも基本的には、どこかに行く際はブランカと一緒にけている。今回はブランカに用事をたのんでいたので一人で出掛けたけれど、それはよくあることだ。


「……で、助けたのは分かった。それがなぜ婚約したいという話になるんだ?」

「さぁ……?」


 首を捻り返事をすると、兄が「ハッ! 分かった!」と手を打つ。


「アリシア嬢は常に社交界の中心だから、お前の悪いうわさばなしを聞かないわけがない。しかし、助けられた際に何かの時点でパレンティアがカーティス家の次女と知り、お前のやさしさとそうめいさと可愛かわいらしさが噂と違うことに気づく」

「に、兄様……?」

「そして、ティアが家の中でつまはじきにされているのではないかと思ったに違いない! 家族全員でいじめて全くのデタラメをばら撒いていると!」


 確信に目をかがやかせて兄がこぶしにぎりしめた。


「そして、助けられたアリシア嬢がティアのらしさをラウル殿どのに語り、お前をそうくつのカーティス家から救い出すようお願いしたのでは……!? それで婚約したいと……」


 なるかー! と、ツッコミたいが、これしかないと拳を握りしめて言い放つ兄の言葉に開いた口がふさがらない。


「王都で人気の小説ですね。『家族にしいたげられた令嬢が王子に助けられ幸せになる』という」

「兄様、そんな小説の内容を真に受ける貴族なんていないでしょう? まして高位貴族のクレイトン公爵家ですよ」


 とにかく。と、兄とブランカの妄想に呆れながら父に向き直った。


「お父様……、お願いですから、……お断りしてください」

「もちろんだ。……しかし、ほら、返事は急がなくていいので、一度見合いの席をと書いてあるから、その上で断……」

「お父様!」


 いのるような、私の必死さがにじていたのだろう。父は少し困ったように、それでも『すぐに断りの手紙を出そう』と微笑ほほえんだ。


「ありがとうございます! 私の至らぬ点をここぞとばかりに返事のお手紙に書き連ねてくださいね。りに盛って!」


 そう言って、私は父がうなずくのをかくにんしてから、げるように研究にもどった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る