僕がミニスカでアイドルに!?

灰色熊

プロローグ 12年前

 六年三組の窓枠を通る疾風が、レースカーテンに包まれて小さく渦を巻いた。校庭からは喚声が減衰しつつ三階までのぼった。昼休みは終わりかけで、ほとんどの生徒は次の授業に備え体操服に着替えていた。男子の多くはアリの群れのごとくひしめき、女子は少数のグループに分かれてそれぞれの話題に花を咲かせている。


 水色のパーカーを着たままの坂之上純は後ろの席でうつむき、無言で手を動かしていた。机にノートをひろげ鉛筆で漫画を描いている。それはワンピースやナルトやブリーチなど週刊少年ジャンプ連載作の稚拙な模倣だった。別に純は漫画家になりたいとか大それた夢はもってない。ぼうっとしてるとヒーローと強敵の八面六臂のバトルの妄想が脳内で沸騰し、それをアウトプットせざるを得ないだけだ。


 揃いのシャツとハーフパンツの女子三名が席を囲んだ。


「坂之上くん、着替えないの?」


「え?」


「もうチャイム鳴るよ」


「そんな時間かあ、ありがとう」


「漫画読んでもいい?」


「いいよ」


 壁際の棚から体操服袋を出して純は着替えはじめた。女子三名は頬を寄せてノートに見入った。すごいすごい、上手、絶対プロになれると口々に絶賛した。褒められて純は素直にうれしかった。しかし過大評価とも思った。ジャンプ作家の画力やストーリーテリングを毎週見ていれば、あの業界は世にも稀な天才しか生き延びられない領域なのは明白だ。純の夢は警察官や消防士など、危険を冒して人助けをする職に就くことだ。父は県庁勤務で母は中学教師だから公務員になるのは自然だし、そこなら自分もヒーローになれる気がした。


 ほのかに頬を染めつつ小川愛がノートを返した。純は性格が比較的おとなしく、色白で睫毛が長く男っぽくない容貌なのもあり、女子から話しかけられることが多い。特に小川さんはあからさまに好意を示していた。プレゼントをくれたり、一緒に帰ろうと誘われたり。ほかの二人がそれを応援している感じだった。


 教室の前方でわっと歓声があがった。


 腕相撲をしていたようだ。なぜか現在クラスの男子のあいだで腕相撲が流行中だった。勝敗を記録しながらリーグ戦をたたかうという凝りようだ。純はまだ参戦してないが、しないといけないような空気ではあった。


 人だかりの中にいる池澤照礼沙と目が合った。腰に届くほど長い黒髪。綺羅星を宿すかのようなつぶらな瞳。生徒や教員はおろか、父兄にまで「六年三組にとびきり可愛い子がいる」と噂される美少女だった。純は池澤さんが好きだった。あまりに高嶺の花すぎてアプローチするつもりはないが。


 池澤さんが大きな瞳を細めて線状にした。


「坂之上くんもやる?」


 男のくせに真っ白な純の顔が一瞬で耳まで紅潮した。いますぐ矯正したい欠点だが池澤さんと話すたびこうなってしまう。


 池澤さんの周囲の男子がざわついた。女にモテる純に嫉妬しているのだ。今のところそんな雰囲気はないが、もし純と池澤さんがくっつきでもしたら大ごとだ。全力で阻止しないと。


 純は無言でうなずき、立ち上がった。男子たち同士の暗黙の了解で、リーグ戦で現在首位の今野康雄が机の向こう側に立った。最強の選手で迎え撃ち、赤っ恥をかかせねばならない。今野は純より二回り体が大きい。たしか水泳で全国大会に行ったとか。


 机を挟んで対峙し、中腰になって手を握った。純は机に体を密着させた。遊びをなくして力を伝わりやすくするためだ。こんなこともあろうかと自宅で腕相撲の必勝法をググっておいた。腕力で勝ち負けを競うなんてくだらないが、やるからには勝ちたい。


 今野の顔色が変わった。華奢な純など楽勝とたかを括っていたのだろう。


 いまさら気付いても遅い。


 開始の掛け声にあわせ、純は自分側に巻き込むように斜めに手を引いた。一瞬だった。今野の手の甲を思い切り叩きつけた。


 よっしゃと叫んで拳を突き上げた。横目でちらりと池澤さんの様子を窺った。飛び跳ねて喜んでいた。校庭へ行かねばならないのに六年三組は大騒ぎだ。チャイムが鳴っても耳に届かない。


 純は反応の大きさに驚いた。正直後悔していた。やりすぎた。特に男子がパニックを起こしていた。もみくちゃにされ、押し倒された。ひとりが格子柄のスカートを手にしているのが見えた。純は戦慄した。あれを穿かされるのだ。


 懸命に抵抗した。ハーフパンツを脱がそうとする今野の顔を蹴った。その一方で純は反省していた。


 必要以上に勝負にこだわりすぎた。たとえ敗れても相手に恥をかかすことはできる。もともとそれがやつらの目的なのだ。現実は漫画やアニメのようにいかない。ヒーローになるのは簡単じゃない。

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