弔い屋始めました
萩原あらた
第1話 縛りの腕時計①
20○○年6月1日。
今年は梅雨入りが早く、雨の日が続いている。
空気は多くの湿気を含み、廊下は薄く水を張り、レコードに針を落とすように慎重に止まらなければ方向転換もままらない、そんな季節。
今日は珍しく雨が降らなかった。
僕が生まれたのは、18年前の6月1日。正午ピッタリ。
僕は、今日この日。
正確には、今日のこの4限の終わりを告げるチャイムが鳴るその時に
18歳を迎えることとなる。
どこかのお偉いさまが18を成人の歳とした今、このチャイムは子供の終わりと
大人の始まりを意味する。
たかがチャイムにそこまで重要な役割を与えるのは、いささか荷が重すぎる
というものだが、これも僕にとっては大事な節目だ。
学校のチャイム様にはこの名誉ある役割を担ってもらおうじゃないか。
「ここ、そうだな、、、平賀なら答えられるか?」
「X=7です」
黒板の文字が白くぼんやりと光る。
「よし、正解だ。座っていい」
教師は僕の名前を呼び、僕はそれに答える。
周りの生徒は驚く様子もなく、淡々とノートに答えを書き写してゆく。
勉強は昔から得意だ。特に数学、数学では困ったことがない。
一つの流れを覚え、それに数字を当てはめていく行為には
一種の快感のようなものさえ覚えた。
繰り返し行われる問答の中で、数学教師と僕には奇妙な信頼関係のようなものが生まれている気がする。
友達はいないわけではないが、多いわけでもない。
タバコは吸ったことがないが、酒に口をつけたことくらいならある。
人を殴ったことはないが、友人を手ひどく罵ったことはある。
僕は7歳の頃、早くに母親を亡くしている。
その頃には周りから同情のような目を向けられてはいたが、
今は悪目立ちすることもなく
社会のルールに反旗を翻し規律から溢れるわけでもなく
普通の、
いわゆる漫画のモブキャラのような一般男子高校生であるし
そう見られるように努めている。
授業は終盤に差し掛かり、生徒は黙々とその黒板の文字をノートに書き写す。
板書を終えた教師はその頭頂部を黙って眺めていた。
声のない教室にノートとペンが擦れる音と秒針の音だけが響く。
生徒たちはちらちらと時計の方を気にしている。
時計の癖を熟知している彼らは、いつ授業が終わるかを把握しており
最後の数秒を心の中でカウントする。
3...2...1...
だがチャイムは鳴らなかった。
次の瞬間、辺り一面が灰色に包まれる
「...は?」
何が起こったのかわからない
音が消えた。
気配も消えた。
秒針は11時59分59秒の位置で止まっている。
何が起きたのかわからない。
さっきまでノートを取っていた生徒たちは、止まっている。
全てが、
まるでコミックの世界に入り込んだように完全に停止している。
平賀は動揺した。
この状況で瞬時に、それは冷静に現状の分析をし対応できる
肝の座り方はしていない。
そんな奴は、今すぐ学業なんかやめて政治家にでもなった方がいい
そうすればこの国もいくらかマシになるだろう。
ペンを落とす。床にぶつかる音がする。
椅子を引く。アルミ製の脚と床が擦れる音がする。
「あーー。」
声を出す。寂しく教室に響く。反応はない。
辺りを見渡す、窓の外を含め、見える限りの世界は灰色に染まり
完全に停止している。
自分の座席付近で思いつく限りの行動をした後に
少しづつ平賀は冷静さを取り戻していった。
この数十分で分かったことはいくつかある。
時計の針が11時59分59秒で停止していること。
触れた物に関しては物理法則に則った普段通りの動きをすること。
目に見える範囲の世界は、物の見事に静止していると言うこと。
そしてその止まった世界とは裏腹に、僕はこの通り
手足を曲げ、伸ばし、踊ってしまえるほどに自由に動くことができる。
教室の扉から廊下を覗く。
窓から見える外の景色と同様に、そこに色はなく止まった世界が続いていた。
このままここで踊っていても埒が開かない。
いくらダンスが上手くなったところで見せる相手が
物言わぬ銅像もどきではお話にならない。
まずは現状を知らなければならない。
僕はこのわけもわからぬ状況の中で
授業中に教室を堂々と抜け出すと言う行為に、少々罪悪感を抱え
愚かにも胸に僅かな高揚を感じながら、
ゆっくりと教室、学校を抜け出した。
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