ほうら迷子の呼び出しの放送がかかった

仲瀬 充

ほうら迷子の呼び出しの放送がかかった

 孫がいなくなった。あの子には困ったもんだ、デパートに連れてくるとすぐ一人でどこかに行ってしまう。

「武田健太郎様、いらっしゃいましたら1階案内所までお越しください。お連れ様がお待ちです」

ほうら迷子の呼び出しの放送がかかった。孫さがしは母親に任せてちょっと食堂で休むとしよう。このボックス席は亡くなったばあさんとよく座った席だ。わしらの注文は楕円形のステンレス皿に盛られたAランチと決まっておった。そしてゆっくり食べながら周りのテーブルの客を観察したもんじゃった。今日はランチには早いからばあさんが好きじゃったソーダ水でも飲むとするか。



「もう長崎にも慣れたろう。高木君は大阪生まれやったかね?」

「ちゃいます、わて江戸っ子ですねん。大阪支社に3年おったらこないに大阪弁が抜けんようなってもうて」

「話は変わるばってんがあっちのボックス席で爺さんが緑色のソーダ水ば飲みよるやろ?」

「それがどないしました?」

おいたちの会社で作りよる泥水を真水にする機械、人間の体も同じて思うてさ。どがん色の飲み物ば飲んでもしょんべんは透明になるとやけん」

「そない言うたら食べ物も一緒ですやん。どないな色のもん食うたかて、」

「ストップ! カレーの食えんごとなる」

「先輩、ちょっと早いですけど出ません?」

「俺もそう思うとったところばい」

・・・・・・・・・・・・・・・

「後輩の男子社員を先週ここに連れて来たんだけど、その子何を注文したと思う? 焼きそばと焼き飯よ」

「やだ、ダブルで炭水化物じゃない」

「だから注意してやったの、『そんな食生活してたら太って……るわね』って」

「アハハ、私も昔バイト先で同じ失敗したことある」

「どんな?」

「入って来た二人連れのお客さんに『おふとりですか?』って」

「やっぱ見た目にひきずられちゃうよね。ところで二人っていえば彼氏とはうまくいってるの?」

「この前彼が泊まりにきて、それはいいんだけど翌朝がちょっとね」

「じらさないでよ」

「なんか息苦しい感じがして目をさましたら彼が私にキスしてたの。どう思う?」

「うーん、朝イチはキツイかも。口臭が気になる」

「その程度? 私、変態じゃないかって思って突き飛ばしたわ。知らない他人だったら完全な犯罪よ、白雪姫だって王子を強制わいせつで訴えてもよかったのに」

「ねえ、少し早いけど出ようよ」

「うん、出よう出よう」

・・・・・・・・・・・・・・・

「うちの係長の言葉づかいにはまいるんだよ。外回りから帰社して『ああ疲れた、犬も歩けば足が棒になるね』なんて言うんだ。最初のうちは冗談かと思ってたけど昨日なんか女子社員に『だから君はわきが臭いって言われるんだ』って言って逆ギレされてた」

「何だそれ?」

「仕事ぶりを注意してたみたいだから『腋が甘い』って言いたかったんだろう。『不吉な予感』も『不潔な予感』って言うし」

「うちの会社の社長も今日の訓示は変だった。『マンネリを打破するために諸君の提言をどしどし採用したい、これからは朝令暮改ちょうれいぼかいを信念としてブレずにやっていく』ってさ」

「おかしな上司を持ってお互い苦労するな」

「けど俺も偉そうなことは言えないんだ。高校の授業で『英雄ひでお色を好む』『君子きみこ危うきに近寄らず』と読んで笑われたからな」

「さあ、この辺で切り上げようか?」

「ああ、ちょっと早いがそれがいい」

・・・・・・・・・・・・・・・

「聞いてよ真由美。アタシ、幼なじみの結婚式で号泣しちゃった」

「どのタイミングで?」

「最後のお礼の言葉で『皆さん、今日の私、きれいでしょう?』って言ったのよ」

「それで泣けたんかい? ってかその子ゴーマンじゃん」

「彼女、5歳の時に失明して目が見えないの」

「おっと、事情が変わったわね」

「私が最後にお母さんの顔を見たのは5歳の時です。今では50歳を過ぎていますが私の中ではずっとその時の28歳のままです。そして今年私も28になりました。お母さんと私は似ているとよく言われます。それなら皆さん、今日の私は私が覚えてるお母さんのようにきれいでしょう? ってスピーチしたのよ」

「ううう、そら泣けるわな」

「ところで真由美、私もう出たいんだけど」

「私もさっきからそう思ってたの」

・・・・・・・・・・・・・・・

「わしの友人なんじゃが認知症の奥さんを長いこと介護しとった」

「それは辛いことでありましょうなあ」

「ところがそんなふうじゃなかった。死ぬ間際は誰でも意識が混濁して訳が分からなくなる、認知症はそのロングバージョンで長い時間をかけてお別れができるからありがたいと言っておった」

「なんとも奇特な人でありますなあ」

「その彼にも認知症の兆候が見え始めたんじゃよ」

「なんともむごいことでありますなあ」

「奥さんが亡くなった時はバシバシとひどく叩いたそうじゃ。ボケて介護の恨みを晴らしたのかと思えば不憫ふびんでのう」

「奥さんに声を上げてほしかったのでありましょう」

「なんと?」

「叩かれて痛がればそれは生きているあかしであります」

「いい話じゃがそろそろ帰るとするか。どうも落ち着かん」

「腰を上げる潮時ですかな」



 わしもボケないようにしっかりせんといかんな、どれそろそろ腰を上げよう。今日は客の入れ替わりが早くていろんな話を聞くことができた。お、ちょうど娘と孫も来た。

「あ、ママ、おじいちゃんいたよ」

「やっぱりここだったわね。また周りをジロジロ見て嫌がられてたんじゃないかしら」

「健太郎、どこに行っとったかい。放送で呼ばれたろうが」

「僕は健一だよ、健太郎はおじいちゃんじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほうら迷子の呼び出しの放送がかかった 仲瀬 充 @imutake73

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ