第14話 一転
「そろそろ、戻ろうか」
「うん」
それからしばらく病院の庭で散歩を続けていたレムとルミネ。
だが、日が落ちるにつれてだんだんと強い風が吹き込むようになっていた。
レムが声をかけようとしても、草木が擦れて鳴る音がそれを邪魔する。
「大丈夫? 疲れてない?」
「うん、そうかも」
いつもは饒舌なルミネの口数も少なくなっていた。
ルミネの様子を見たレムは、散歩を早々と切り上げることにした。
レムはいつものように、ルミネの歩調に合わせて歩く。
心なしか、いつもより歩調が速い。
どこかぎこちない足取りのまま、エントランスホールまで辿り着く。
エントランスホールの中は閑散としていた。
15時を過ぎると外来や新たな入院患者を受け付ける窓口も閉じる。
レムとルミネにとっては見慣れた光景だった。
二人で連れ立って庭を散歩をした時は、決まって夕食の時間前にエントランスホール内で別れてそれぞれの病室へ戻るのが習慣になっていた。
だが今日は早めに散歩を切り上げたので、夕食の時間までには少し間があった。
「部屋まで、送ってこうか」
「ううん、大丈夫よ。ありがとう」
ルミネはレムに笑いかける。
疲れた様子のルミネに気を遣ったつもりだったが、レムはいらぬ心配だったと安堵した。
その笑顔は、間違いなく見慣れたいつものルミネのものだった。
「じゃあ」
「うん」
「また明日、ね」
いつもはルミネが先に言う《また明日》の挨拶を、今度はレムが口にする。
何の気なしに交わしていたはずの言葉も、今となっては不思議と大きな意味を帯びる。
わずかに先のことであっても、互いの未来を見据え、再会を約束する言葉。
自分の人生を前に進める意志を示すため、己の意志で口にする。
「うん、また」
ルミネはいつものように笑って手を振る。
レムはそれに応えるように小さく手を振り返してから、上階の自室に戻るべくエレベーターホールへ向かう。
向かおうとする。
少し歩いて、レムは背後のかすかな物音を聞き取る。
足音でも扉を開ける音でもない。
人気のない静かなエントランスでなければ聞き漏らしていた。
柔らかな何かが固い床にぶつかったような小さな音。
レムは音の正体を確かめようと、振り向こうとする。
振り向こうとして体に力を入れた瞬間、形容しがたい不快感が背筋を通り抜ける。
だが、身体を止める間もなく振り返り、背後の光景を視界に捉える。
「……っ!」
ルミネが、倒れていた。
先ほどまでレムにむかって手を振っていた、その場所で。
叫ぼうとした。
駆け寄ろうとした。
そのいずれも、とっさにはできなかった。
さっきまで笑って手を振っていたルミネとうつ伏せになって倒れているルミネ。
目の前の光景を拒否するかのように、同じものだと認識できずに身体が固まる。
声を出そうとして、喉の奥で音がつっかえる。
「ルミネ」
息を吸いなおして、無理やり声を絞り出す。
足の裏を床から引き剥がす。
ルミネの返事はない。
表情から、辛うじて苦しそうなことだけがわかる。
人が倒れた時に何をすればいいか、あるいはどうするのが適切か――いざ事態に直面した時、そのような思考にはなれなかった。
レムは冷静さをかなぐり捨ててシャッターの閉じた受付まで飛んでゆき、叫びながら呼び出しベルを何度も叩く。
異常を察知した事務職員が数人、受付横のゲートから飛び出てくる。
レムの思考がそこまで巡ったわけではない。
幸運にも、閉じた受付の裏では職員が残務処理で残っていたのだ。
こういった時の対応もマニュアル化されているのか、職員らは迅速かつ的確な対応を取る。
然るべき部署の看護師やら医者やらがやってきて、たちまちルミネをどこかへ運び去ってゆく。
レムは固まったまま、その光景をじっと見ていることしかできなかった。
改めて自分が無力であることを、思い知らされるような気がした。
一緒に居て異変はなかったのか、気付くべきことはなかったのか。何かできたのではないか。
ルミネのいなくなったエントランスホールで冷静さを取り戻すうちにそんなことを考えてしまう。
今、それを考えても何もならないことはわかっている。
それでも、自分を責める心の声がレムを苛む。
「そろそろ夕食の時間ですし、お部屋に戻りましょう」
ショックを受けているレムを見かねた看護師が、気を利かせて声をかける。
看護師に付き添われ、促されるようにしてエレベーターホールへ向かうレムの足取りは重かった。
もし、ルミネが戻ってこなかったら。
ありえないと思いたかった。
だが、感情と希望的観測だけでその可能性を排除できない嫌に冷静なレムも居た。
ネガティブな思考の渦へと吸い込まれるかのように、レムの視界は灰色になってゆく。
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