第4話 遭遇
病室への案内と説明は、意外にもすんなり終わった。
検査や診察、食事、投薬の時間といった決められたルーティン以外は何をしていても良いようだった。
病室も看護師が言っていたとおりの清潔で見晴らしの良い個室だった。
もっとも今のレムには景色を楽しむ心の余裕などなかった。
荷物もハイランドが全て運んでくれたので、レムは急に暇を持てあましてしまっていた。
ふと部屋の隅を見ると、道具ケースが視界に入る。
ステージで楽曲に応じたパフォーマンスを行うための魔道具が入っている。
ハイランドが置いていったものだ。
「持ってこなくていいって言ったのに」
レムは大きなため息をつく。
魔法が使えないのでは、増幅音波やステージライトによるパフォーマンスはできない。
ケースを見ると、自分がこの世界で一番の役立たずになったことをまざまざと見せつけられるようで嫌だった。
レムは無言でケースをベッドの下に押し込んで、視界から消す。
今は魔道具なんか見たくもなかった。
病室でじっとしている気にはなれなかったレムは、階段を使ってエントランスへ戻る。
(まだあの子がいるかもしれないし)
エントランスの談話スペースに座っていた、手を振ってきた女の子。
声をかける機会などいくらでもあるだろうとは思ったが、疑問を解消するのは早いにこしたことはない。
レムの予測は当たっていた。
きれいなシルバーのロングヘアをした女の子は、まだエントランスの談話スペースの奥に座っていた。
まだ窓の外を見つめている。
だがぼうっと上の空でいるわけではなく、はっきりした意識で外を見ているようだった。
「こんにちは」
レムは初対面でも臆することなく声をかける。
後ろから声をかけられた女の子は一瞬驚いたような表情で振り返ったが、すぐ先刻のような穏やかな表情をレムに向ける。
「あら、こんにちは」
いきなり見ず知らずの人間に声をかけられたのに、欠片ほども警戒心も見せないことに内心レムは驚いていた。
レムを覗き込む赤色の眼には生気が宿っていた。長期入院するような人間のそれには見えない。
「あなた、さっき私に手を振ってくれたよね。もしかして、どこかで会った?」
レムはさっそく本題を切り出す。
会ったことがあるはずはないのだが、その理由は知りたかった。
「えっとね、あれなんだけど……」
「あれ?」
女の子が談話室の壁を指差す。
そこには一枚のポスターが貼られていた。
「これ……」
レムは思わず一瞬眉根を寄せた。
目にしたくないものがそこにはあった。
レムのパルスオペラコンサートの告知ポスター。
魔道具を手に真剣な表情で歌うレムの姿がクローズアップされて写っている。
病さえなければ、数日後にこの病院での慰問の一環として行われるはずのコンサートだった。
「これ、このコンサートね、実はキャンセルになったんだ」
「え、そうなんだ……歌手の人が下見か打ち合わせに来たのかなって思ったんだけど」
女の子が見るからにがっかりしているのを見て、レムは余計自分が嫌になってくる。
皮肉にも入院する立場になったことで、レムはこの女の子の落胆を理解できるようになっていた。
入院すれば規則正しい、変わり映えのしない日々を送ることになる。
ひとときでも退屈を紛らすための何かが入院患者には必要なのだ。
「私、ここへ長期入院することになっちゃったんだよね」
レムはルミネに経緯を話すことにした。
あまり自分の病状や現況についてべらべら話す気になれないのは確かだ。
だが目の前で自分のせいでがっかりしている人を見ると、せめて納得してもらえるよう説明するのが筋のように思えた。
「私もよくわからないんだけど、練習とかで魔法を使いすぎたせいで脳の一部分がこれ以上魔法を使うとヤバいみたいな、重めの病気になったらしいんだ」
「うん」
「それで、当然パルスオペラどころか、ちょっとの魔法も使うと危ないってことでここへ入院させられることになったわけ」
女の子は納得したように頷いていた。
少なくとも落胆の色は消えており、それはレムを幾分か安堵させた。
「そうだったんだ。魔法が使えないってやっぱり大変……だよね」
「まあね。なんか急に、この世界から仲間外れにされたみたいで、いやな感じ」
「うん、わかるわかる!」
レムが表情を伺うと、女の子は生き別れの姉妹でも見つけたかのような喜色で何度もうなずいていた。
「わかるって……あなたも同じ病気なの?」
「うーん、たぶん私はちょっと違うかも。私は魔法を使えないだけじゃなくて『受け付けもしない』の。ずっとね」
「受け付けもしない……それって……」
レムは絶句した。
それが本当なら、レムの病状よりも遥かにひどい。
病院での医療行為、例えば手術や診察は、必ず医師自身の魔法か魔法的な機能を持った器具によって行われる。
レムは魔法を使えないだけで、魔法を活用した手術や診察を滞りなく受けることができる。
だがこの女の子はそれらを受け付けない。つまり、満足な治療を受けられないということだ。
治療だけではない。この社会は人々が互いに魔法を使い、使われることで成り立っている。
魔法を使えず受け付けもしないということは、この社会では全くの役立たずと同じことになる。
「ううん、大丈夫よ。気を悪くしないで」
二の句が継げず気まずくなっているレムに、女の子がフォローを入れる。
レムはこの少女に半分感心、半分戸惑っていた。
文句のひとつも付けたくなるような境遇のはずなのに、こうして穏やかに笑って他人を気遣う余裕を持っている。
(わけがわからない。どうしてこの子はこんなに笑っていられるんだろう)
今のレムには考えられない行動だった。
振る舞いといい、態度といい、どこか超然とした雰囲気を纏っているように思えた。
空元気でもなく、裏表や嫌味があるわけでもない。
「そうだ、まだ私の名前を教えてなかったわ」
そんなレムの気持ちなど知らず、女の子はマイペースで話を進める。
「私はルミネっていうの。よろしくね」
「……私は、レム。レム・アスプレイよ。っていうか、ポスターに書いてるとおりだけど」
レムは調子を狂わされながらも、目の前の少女の名前を記憶に刻む。
ルミネが何者か探るために声をかけてみたのに、むしろ謎は深まるばかりだった。
談話室の壁にかかった時計を見ると、午後7時を過ぎていた。
レムはもうそろそろ看護師に説明された夕食の時間であることを思い出す。
「あ、そろそろ夕ご飯の時間だから戻らないと。また看護師さんに怒られちゃう」
それはルミネも同じようだった。
ルミネは屈託のない笑顔でレムに手を振る。
「じゃあ、また明日ね」
ルミネの挨拶に対して、レムは曖昧に小さく頷くだけ。
言葉を返すことはできなかった。
「明日、ね」
レムは去ってゆくルミネの背中を見送りながらぽつり、と呟く。
明日が来ること対してに、何の展望を抱けばよいかわからなかった。
本当に病気は良くなるのか。どれぐらいで退院できるのか。本当に舞台に復帰できるのか。遅れを取り戻すことはできるのか。
不安ばかりがレムの脳内に浮かんでは消える。
ルミネは「また明日」と言った。
では、ルミネは明日に何を見ているのだろうか。
少なくともレムの目には、まだ何も見えていない。
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