第3話 謎の少女

 レムはエントランスのソファに力なく腰掛けていた。

 細かい入院の手続きは、ハイランドが窓口でやってくれている。


 エントランスを見渡す。

 田舎の山間の中に建っている病院としては比較的新しく、清掃などの手入れも行き届いているようだった。


 だが行きかう入院患者と思しき人は、老若男女さまざまだったが、一様にどこか生気を失っているように見えた。

 ここは長期療養を必要とする患者向けの病院なのだ。

 長い間病棟へ押し込められることに慣れ切った末のことなのだと想像したら、レムも気の滅入る思いがした。


「終わりましたよ、手続き」

「うん」


 ハイランドが戻ってきた。窓口で貰ってきた書類をレムに手渡す。

 レム自身が同意書にサインすれば、事務上の手続きは完了となる。

 あとは病室の準備ができれば、看護師が案内してくれる。


「荷物を下ろしてきますね」


 と言うと、ハイランドは外に出て行ってしまった。

 

 エントランスは広いのに、手続きのために待っている者はレムのほかにはいない。

 往来する入院患者の数もまばら。

 レムは急にこの世界で一人取り残されたような心細い気持ちになった。


 気を紛らそうと同意書にサインをしようとして、ペンがないことに気付く。

 エントランスの中央にある記入台のペンを手元に引き寄せようと手を挙げて、レムは思い直した。


「そっか、使っちゃいけないんだった」


 ペンに向けた手をだらりと下ろし、大きなため息をつく。

 昨日から、何度この件を繰り返したことか。

 

 こうなる前は、当たり前に自分のものとしていた魔法。

 使えなくなるとこんなにも不便になるということを痛感せざるを得なかった。

 魔法が発見されてからは、この世界は全員が魔法を使えることが前提で構築されつつある。


 ノブのないドアや、個々人の回路パターンを元にしたセキュリティ認証システムなんかがそうだ。

 今のレムは事務所のドアを一人で開けて入ることすらできない。

 魔法の使えない人間は、この世界の設計図には書かれていないのだ。


 レムは仕方なく、ペンを取りにいこうと重い腰を上げる。

 

 そこでレムは気付いた。

 広いエントランスの向こうに、女の子がいる。

 ちょうど記入台が死角になっていたので、立って目線が上がるまで気付かなかったのだ。

 

 透き通るようなシルバーの長い髪が目を引く。服装からして入院患者のようだった。

 女の子はエントランスホールの奥にある談話スペースのような場所に座っていて、窓の奥をじっと見つめていた。


「あの子、何見てんだろ」


 レムはの子の視線の先を辿ってみる。

 だが、小高い丘の上に大きな木が一本あるほかには何もなかった。

 

 ふと、女の子の目線が窓の外からレムへと向いた。

 レムは焦って目を伏せる。ただの好奇心で他人をじろじろ見つめてしまったことを後悔した。

 だがレムに気付いた女の子は挨拶でもするかのように、にっこり笑って手を振ってくる。


 なぜ手を振ってくるのか。しかも笑って。

 レムは混乱した。思考が混線する。


 少なくとも、レムはあの女の子に会ったことがないのは確かだった。

 気まずさから手を振り返すか迷っていると、レムの背後で声がした。


「どうかしましたか?」


 案内を担当する女性の看護師だった。

 病室の準備ができたのか、上階から戻ってきたらしい。


「えっと、なんでも……あ、いや、ペンがなくて」


 レムは本来の目的を思い出し、手にした同意書を看護師に見せる。

 看護師はああ、と頷いて手持ちのペンとクリップボードを貸してくれた。


 レムは慣れない手つきでサインしながらあの女の子のほうを横目で見る。

 また、窓の外の何かへ視線を戻していた。

 

 レムは思わずまた女の子に視線を送ってしまい、慌てて目線を反らす。

 理屈では説明できないが、存在が異質に見えてどうにも気になる。

 

 サインを書き終えると、看護師がクリップボードごと同意書を回収してくれた。

 このまま病室に案内してくれるのだという。


 看護師に先導され、エントランスからエレベーターホールへ。

 

「お部屋は5階になります。個室だし、風景もいいのできっと落ちつけますよ」


 エレベーターの上階ボタンを押しながら、看護師は穏やかな表情で言う。

 長期入院することになり不安な患者の応対も慣れているのだろう……ということをレムは少しの会話で読み取った。


「エントランスの談話スペースで、ずっと外を見ていた子ですけど」


 思い切ってあの女の子のことを聞いてみる。

 あの子は覇気を失っていそうな他の入院患者と何かが違う、とレムは感じていた。

 理屈ではなく、直感からくる好奇心だった。


「気になるんですか?」

「ええ、まあ」

「そういえばさっき、手を振ってきてましたもんね。まあ、あの子は……」


 レムは看護師の声色が一瞬でほんのわずかに変化したのを感じた。

 僅かな忌避と後ろめたさのような感情が読み取れる。


「自分と年が同じくらいの子もいるんだなって、ちょっと思っただけです」


 レムは看護師がどう説明しようかと言葉を選んでいる隙に、話題を自分から切り上げた。

 あまり話題にしたくないことを話させるのは、レムの本意ではなかった。


 無論、これはレムの善性に根差した気遣いというわけではない。


 奏者として大人の世界へ飛び込むことになった若いレムは、こうやって大人の内心を伺いながら言葉や行動を選んで生き延びてきたのだ。

 言わば一種の習慣に過ぎない。


 タイミングよくエレベーターがやってきて、戸が開く。

 レムは看護師とエレベーターに乗り込み、病室へと向かう。

 

 レムの思考はシンプルだった。

 気になるなら、本人に直接聞くまでのことだ。

 

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