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父が穏やかな声を出す。
「深雪ちゃん、もう冷めたから早く食べちゃいなさい。食べ終わったらパフェを頼もうか」
先ほどとは違い、元気よく頷いた深雪ちゃん。
少しずつではあるが、なんとか頑張って食べ進める。
亀の甲より年の劫とでも言うのだろうか、イケメン独身より冴えない父親の方が子供の扱いは上手いようだ。
ご飯は半分残したが、ハンバーグはきれいに完食し、運ばれてきたイチゴパフェに目を丸くしていた。
私は先ほどの話の続きを聞き出そうとそわそわしてしまう。
タイミングを計っていると、父親のコーヒーカップがカチャリと音をたてた。
「ねえ、深雪ちゃん。深雪ちゃんはお母さんとケンカするの? おじさんはさっき深雪ちゃんのお母さんと電話で話したけれど、とてもやさしそうな人だなって思ったよ?」
深雪ちゃんが口の横にクリームをつけたまま顔を上げた。
可愛すぎる。
「お母さんとケンカはしないよ? すっごく怒られることはあるけどね。叩かれたこともあるけど、沙也ちゃんのお母さんみたいな酷いことはしないよ」
沙也ちゃんのお母さん? 今そう言ったか?
「そうかぁ、やさしいお母さんで良かったね。沙也ちゃんのお母さんは酷く怒るの?」
「うん……今朝いきなりやってきてね、沙也ちゃんと言い合いになったの。それで、沙也ちゃんの宝物箱を盗もうとしたから、沙也ちゃんがそれを守って部屋から逃げて……階段を降りている途中で……上からぽんちゃんを投げつけてね、沙也ちゃんが落ちちゃったの」
「そうかぁ、それは酷いねぇ。それからどうなったの?」
「それから? 沙也ちゃんは鼻から血を出して……苦しそうに……」
私は深雪ちゃんの体に自分の体を密着させた。
「そうか、ごめんね。もう大丈夫だ。良く話せたね、さあ、とけないうちに食べちゃいなさい」
「うん」
父が私の顔を見た。
「玄関のところに段ボール箱があったか?」
私が小首を傾げると、サクランボの茎を口から覗かせた深雪ちゃんが言った。
「沙也ちゃんのお母さんが全部待って行った。あの人……沙也ちゃんの宝物全部盗んだ」
私は息をのんだ。
まさかの洋子印段ボールが盗難にあうとは……
「そのおばさんはよく来るの?」
父は何事も無いような穏やかな声で促した。
「どうかな……私は初めて会った。すごい顔で睨みつけてくるから怖かった。でも沙也ちゃんが守ってくれて、トイレに入って鍵をかけておきなさいって言うから、そうしてたんだけど、すごい怖い声が聞こえてね、沙也ちゃんが心配になって……見に行ったら、そのおばさんが、階段の上からぽんちゃんをぶん投げたの」
私は咄嗟に葛城の家の間取りを思い出す。
階段の降りたところは小さな踊り場のようになっていて、正面は壁だった。
トイレは階段の下だから、言い合う声が良く聞こえたのかもしれない。
深雪ちゃんの心細さを思うと胸が痛んだ。
「そうかぁ、それで深雪ちゃんは下から全部見てたんだね? そりゃ怖かったねぇ、よく頑張ったよ。沙也ちゃんは深雪ちゃんを守ったんだね。強いお姉さんだ」
「うん、沙也ちゃんはダンスも上手いんだよ。二人でお留守番をしている時だけ見せてくれるの。すっごく可愛いんだよ」
そうかぁ、葛城。
お前にもぽんちゃん以外の観客ができたんだなぁ……良かった良かった。
いやいや、今はそれどころではない。
私は気になったことを深雪ちゃんに聞いた。
「沙也ちゃんが踊ってるのって、お父さんやお母さんは知ってるの?」
「絶対に内緒なの。二人だけの秘密だから沙也ちゃんとお留守番している時だけだよ。前にね、私が沙也ちゃんの宝箱を勝手に開けて、入っていたビデオを観てたらお父さんに沙也ちゃんがすごく𠮟られた事があるの。取り上げられて捨てられちゃってね、私が勝手に出したのが悪かったから、沙也ちゃんに謝ったんだ。そしたら、よく謝れたねって褒めてくれて、気にしなくて良いっていって、ビデオで見たダンスを踊ってくれたのが最初」
「良いお姉ちゃんだ」
父が感動したように言った。
そうだね、良いお姉ちゃんだ。
そんな良いお姉ちゃんが、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのだろうね。
葛城の親っていったい何なのだろうね。
「父さん……警察に……」
父は暫し目を瞑った後、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、そうすべきだろう。しかし、その前にやるべきことがあるな」
そう言った父の顔が紅潮していて、つい先日食べたタラバガニを思い出したことは内緒だ。
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