「いってきます」


「早く帰ってきなさいよ」


「はい、おばあ様」


 毎朝このやり取りをして何年が経つのだろうか。

 出掛ける私の顔を見ると、印で押したように同じ事しか言わない祖母は、私をこき使う事しか考えていないのだろう。


 1階が事務所兼倉庫兼駐車場、2階と3階が自宅というこの家も土地も、会社も全て祖母の名義だ。

 父は祖母が社長をしている清掃会社の経理部長、母は事務員として働いている。

 母の上には姉と兄がいるのだが、祖母との折り合いが悪く、家を出て久しい。

 そんな子供たちにさっさと見切りをつけた祖母は、従業員だった父を母の婿に迎えて同居した。

 従業員であり婿養子である父に、一切の発言権は無い。

 母は祖母を恐れているのか、絶対に逆らおうとはしない。

 私も母と同じで、なぜか逆らえないまま17歳になった。

 祖母を前にすると、自分がカエルになったようなきがするのだ。

 

「おはよう」


「ああ、ネガぷよ。おはよう」


 そう、私のあだ名はネガぷよだ。

 ネガティブな性格をしていると思われている上に、父親譲りの癖っ毛がぷよぷよしているかららしいのだが、もう一捻りあっても良いのではないかと思う。


「ねえ! 昨日の観た? 凄かったでしょう? 可愛かったよねぇあの衣装! ふわふわでキラキラで」


 この声は! ああ……またやっている。

 下駄箱のところで張られると、逃げられないから質が悪い。

 いい加減に空気読めよとは思うが、私は一切かかわらないという態度を貫いている。


「朝から煩いのよ。あんたのお姉ちゃんを見るために有料チャンネル登録なんてするわけ無いでしょ!」


「え~ 絶対観た方が良いのに~。ほら、こうやるんだよ。新曲の振付け」


 そう言うと彼女は、短い制服のスカートを揺らして踊り始めた。

 くるくるとカールさせたツインテールが動きに合わせて揺れている。

 ご丁寧に歌も披露しているのだが、原曲を知っている人はいるのだろうか。


 しかし、高校2年にもなってあれは無い。

 まるで一昔前のテレビキャラクターのヘアスタイルだ。

 もう少ししたら、月に代わってお仕置きできるくらい進化するんじゃないか?


「ほらっ! こうだよぅ! 一緒に踊ろうよぉ~」


「いい加減にしてよ! バカじゃないの」


 我が家の朝の挨拶と同じくらいに印で押したようなこのリアクション。

 もはやわが校の名物と言えるかもしれない。


「もうっ! 照れちゃってさ……あ~ みほリンだぁ~。ねえねえ、昨日の観た~」


 懲りんやつだ……

 私はそそくさと上履きに履き替えて教室に向かった。

 自席に鞄を置くと、後ろの席からイラついた声が聞こえてきた。


「ねえ、もういい加減ウザいんだけど」


「ほんとよね。彼女のお姉さんは確かに可愛いけど、毎朝やられると腹立ってくるよね」


「自分もお姉さんと同じくらい可愛いとか思ってんのかしら。全然違うのにね」


「やっちゃう?」


「やっちゃおうか……」


 おいおい、そういう相談は隠れてやってくれ。

 非常階段とか、裏庭の自転車置き場の陰とかあるだろうに。

 うん、私は何も聞いてないと日記には書いておこう。


「じゃじゃぁ~ん! みんなぁおはよう! 沙也ぴょんは今日もピカピカ元気だよぉん!」


 だから、空気読めよ!

 どうすんだ! それでなくても1時限目が数学の小テストだから、みんな気が立ってるんだ!

 頼むから場を荒らすな!


「ねえねえ! 見て見て! 今度の振りつけ! 超かわゆいんだよぉ」


 その勇気は何を食べたらゲットできるのか教えて欲しい位だが、まずはみんなの淀んだ目に気付く感性をゲットしてくれ……


「うるさいぞ。みんな授業の準備をしているんだ。お前が何にハマろうが関係ないが、他者を巻き込むな!」


 お~! さすがクラス委員! 正論のバズーカ砲をぶっぱなした!


「もうぅぅぅ~、安西きゅんったらぁ〜。恥ずかしがり屋さんだなぁ」


 お前……一回死ね。


「おい! 席につけ! 特に葛城沙也、毎朝同じことを言わせるな!」


 教師の登場に、クラスの空気が一気に引き締まる。


「はぁ~い、ごめんなさぁい。許してぴょん」


 葛城沙也のリアクションに、クラス全員のHPが一桁台まで下がった。

 テストの点数が悪かったら、絶対にお前のせいだと言われることに、彼女は気付いているのだろうか。


「約束の小テストだ。できても途中退出は禁止、何度も見直せ。では、始め!」


 葛城沙也の世界観の中に佇むのと、数学の小テストを受けるのではどちらを選ぶだろう……

 おそらく全員の答えは後者だと思う。

 静かになった教室には、カリカリというペンの音だけがしていた。

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