量子もつれの恋人(ラヴァーズ・エンタングルメント)

島原大知

第1話

「美沙子、もう時間だよ」

穏やかな声が、研究に没頭していた美沙子を現実に引き戻した。振り返ると、恋人の翔太が優しく微笑んでいる。

「ごめん、また夢中になってた」

美沙子は慌てて白衣を脱ぎ、翔太の元へ駆け寄った。桜並木の下を歩きながら、二人は何気ない会話を交わす。不意に、翔太が立ち止まった。

「どうしたの?」

「美沙子、君に伝えたいことがあるんだ」

翔太の表情が曇る。不安が美沙子の胸を締め付けた。

「実は、末期がんだと診断されたんだ」

まるで時が止まったかのように、美沙子の世界が凍りついた。


あれから数ヶ月。翔太の病状は日に日に悪化していった。あらゆる治療法を試したが、効果はなかった。絶望的な状況の中、美沙子は新たな希望を見出した。意識のデジタル化技術だ。

「翔太の意識をサーバーにアップロードすれば、肉体がなくなっても生き続けられる」

美沙子は必死にその可能性を説明した。

「でも、それは本当に僕なの?意識だけで」

翔太は疑問を口にしたが、最後には美沙子の提案を受け入れた。死を目前にして、彼に選択肢はなかったのだ。


手術室。無機質な空間の中央で、翔太は静かに目を閉じていた。複雑な機械が彼の頭部を囲み、意識のデータ化が進められていく。美沙子は祈るような気持ちで、モニターに映し出されるデータの流れを見つめた。

「アップロード完了しました」

研究員の声が響く。美沙子は深呼吸をして、覚悟を決めた。翔太の意識データがサーバー内の仮想世界で目覚めるのを確認してから、美沙子は自分の意識もデジタル化することにしたのだ。

「先に逝ってしまった翔太を、私も追いかけなくちゃ」

美沙子は静かに微笑み、自らもまた機械に身を委ねた。


目覚めた美沙子の前に、見慣れた光景が広がっていた。仮想世界に再現された、二人の思い出の場所だ。

「美沙子!」

振り向くと、翔太が笑顔で手を振っていた。走り寄り、抱き合う二人。喜びに胸が震える。

「ここなら、ずっと一緒にいられるね」

涙を浮かべる美沙子に、翔太がそっと口づける。仮想世界での生活が始まった。


次第に、美沙子は違和感を覚えるようになっていった。

「私たちが感じているこの喜びや愛情は、本物なの?それともプログラムが生み出した幻影?」

美沙子の問いかけに、翔太は困ったように首を傾げる。

「わからない。でも、君と一緒にいられることが嬉しいんだ。それは本当だよ」

翔太の言葉に、美沙子は小さく頷いた。だが、心のどこかで疑問が消えることはなかった。本物の愛を、もう一度確かめたい。その思いが、美沙子を新たな研究へと駆り立てていった。

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