≪冬≫吐息の白さ

 最近では気温が1桁になることも珍しくなく、季節はすっかり冬の入口に立っていると思う。

「寒いね」

 隣を歩くふわりは、自分の手に向かってはーっと息を吐いた。

 その息は少し白くなりながら、彼女の手を包む。

 その様子を見て、僕も両手をこすり合わせた。

「もう冬だな。ちょっと寒い」

 そろそろ手袋をしてもいいきがする。

「ちょっと多めに着こんできたけど、手袋は持ってこなくていいかなって思うんじゃなかったよ」

「じゃあ、手でも繋ぐ? お互いに温まれるグッドアイデアじゃない」

 僕はふわりに向かって手を差し出したけど・・・・・・。

 その手をはたいて撃ち落とす。

「行きは誰かに見られてたら嫌だから、我慢する」

 僕はそっかとだけ言って、手をポケットにしまった。

 しかしふわりは相変わらず震えていて、うーっと唸りながら手をさすっている。

 あまりにも寒そうにする彼女を見ていられなくなった。

「しょうがないなぁ」

 ポケットから手を出して彼女の手を取ると、「あっちょっと」と抗議するような言葉を投げかけられた。けれど、いぶかしむような視線は一瞬で。

「あったかい」

 ふわりの手にあるのは、使い捨てカイロ。寒そうな姿を見ていられなかったので、貸してあげることにしたのだ。手を離せば、彼女は両手で包むようにカイロをさすっている。

「キミト君、なんでこんなの持ってるの?」

 ふわりはずるいと言いたげな顔をして、少し不満そうな口調で聞いてきた。

「だって今日寒そうだったから」

「いや、そうだけど。そうじゃなくて、なんで教えてくれなかったの? カイロ持ってるって」

 彼女は頬を少し膨らませて、抗議の意を示してくる。少しからかってみたくなって、自分でも恥ずかしくなるようなことを言ってみた。

「手をつなぎたかったから?」

「もー、それはダメ。だって見られてたら恥ずかしいし・・・・・・。あとなんで疑問形なの」

 なんかいろいろ忙しいヤツだった。

「カイロのことを言ったら結局くれって言うだろ」

「だって欲しいんだもん。寒いし!!」

 彼女は声を大にして、寒さを強調する。それは僕も知ってるわと言いながら、もういいでしょと手を出した。

 それに対し、ふわりは「ん?」と疑問符を浮かべながら、僕の掌を覗き込む。

「ん? じゃない。そろそろそのカイロ返してくれ、僕も寒いんだよ」

「嫌だけど」

 彼女は絶対返さないとばかりに、カイロをかばうようなポーズをとった。

「ほら、こうなるから出したくなかったの」

 カイロを渡した時点でこうなることは察せられたので、自力で手を温めようと息を吹きかける。さっきまで多少平気だった指の先が冷たくなり始めていた。

「しょうがないから私が温めてあげる。つめたっ、キミト君の手冷たいよ」

「誰のせいだ、誰の」

 ふわりをジト目でみれば、正当性を主張するかのように口答えしてきた。

「だって寒いんだもん」

 彼女の言い訳に思わずため息が出る。白く広がったそれは、僕の呆れの感情と共に雲散した。

「二つ持ってくるべきだったな」

「そうだよ、二つ持ってこなかったキミト君が悪い」

 ふわりの言葉にむっと来たので、意趣返ししてやろうと思った。「なぁなぁ、ふわり」「何?」 彼女がこちらを振り返った瞬間、そのおでこにデコピンを叩き込む。

「いたっ、寒いから痛みも3割り増しなんだよ」

「これはカイロ代だ」

 ふわりが「いたた」と唸りながらおでこを押さえている様を、横目で見やる。すると彼女は、不服そうな顔をして文句を言ってきた。

「カイロは温かくするもんだよ。キミト君の心も温かくなって」

「花遊に取られたせいで、僕の手も心も冷たくなってるんだよ」

「代わりに私の手も心も温かいので許してあげましょう」

 僕は無言で、二発目のデコピンを同じ場所にくらわせた。

「いったぁぁぁぁぁい」

 流石に同じ場所に受けるのは、相当痛かったらしい。さっきより大きい唸り声をあげて、吠えるようにくいかかってきた。

「今のデコピンはいつもの三倍は痛かった!!」

 流石にやり過ぎたかなと思ったが。

 ふわりは少し涙目になって僕に訴えてくる。流石にやり過ぎたかなと思ったけど……反省しろよと言ったら、性懲りも無く「何を?」ととぼけてきたので、再びデコピンするフリをした。

 「あうう、ごめんなさい。もう言わないので許して」

 彼女は両手でおでこを守るように庇いながら、上目遣いで言ってくる。

 はぁとひとつため息をしてから、別に怒ってないよと伝えた。

 怒られた子犬のように少し俯いて、これがふたつに分けられたらいいのにねと言いながら、彼女はカイロをもみもみしている。

 冷たくなった手をポケットに仕舞い込むと、それを見ていた花遊がカイロを僕に差し出す。

「か、返すよ。キミト君も寒いもんね」

 ふわりの方を見れば)彼女の鼻は少し赤らんでいて、明らかに僕よりも寒そうだった。

 思わずため息を吐くと、口から吐き出された息は白い残影を一瞬だけ見せる。

 「僕も寒いんだけどなぁ。まぁ仕方ないか」

 彼女は少し遠慮がちに、いいの?と聞いてきた。

 僕は差し出した手を取ってカイロを握り込ませ、そのまま花遊に返した。

「僕はまだ平気だから」

 本当は寒かったけれど、精一杯の強がりを見せた。

 ふわりは、僕の顔と己の手にあるカイロを交互に見やると、優しく笑ってありがとうと言ってきた。

 明日からは二つ持ってこよう。なんとなく彼女の顔を見れなかった僕は、心の底からそう思った。

 そんな事を思っていたら、ふわりがなにやら怪しげな行動をしていた。なんだろうと思ってよく見れば、カイロを自分の頬にあてているではないか。

 僕はふと気になって、彼女のおでこに手を当ててみた。

 明らかに熱い気がする。

「キミト君の手ひんやりしてて気持ちいー」

 今日のふわりは、あまり調子が良いとは言えないのかもしれない。

「なぁ、今日体調悪いんじゃないか?」

「えー、そんなことないよ。ちょっといつもよりふわふわするかもだけど、いつもどおりだよー」

 これは熱があるなと確信したため、学校に着く寸前で、花遊の手を取って引き返すことにした。

「帰るぞ」

 だが、ふわりは立ち止まって動こうとしなかった。「えー、なんで? 学校もうすぐだよ? なんで帰るって言うの?」

 僕は少し考え込んだ。

 この様子を見るに、素直に言っても帰ろうとしてくれない気がしたからだ。

 手を繋いだまま立ち止まっていると、同じ学校に通う人達が、僕らの立つ場所を避けながら通り過ぎて行く。

 その際にちらちら伺うような視線を向けられたり、こちらを見ながら何やら話している様子も見受けられた。

 もうこの関係を隠すのは手遅れかもしれないが、今は一刻も早く花遊を家に連れて帰ることが最優先だった。

「花遊ごめん。今日の花遊、いつもより調子が悪い様に感じる。熱もあるみたいだから、一緒に帰ろう」

「ん? 全然平気だよ。いつもより調子がいいくらいだよ? 熱・・・・・・、ちょっと熱っぽい気はしないでもないけど問題ないよ」

 ふわりの受け答えは、いつもよりほわっとしている。やっぱりダメだろ、これ。

「一旦家に帰って熱を測ろう。もしも熱がなくて僕の勘違いなら、その時は海にでも行こうか」

「寒いのに海!? 海に行って何をするの?」

「海行って海を眺めて、それから花遊の行きたいお店に入ろう」

 僕たちの事を何人もの生徒が見てくるけれど、それに構っていられる余裕はなかった。ふわりを説得させられるかどうかの方がよほど大事だ。

「学校おサボりかぁ」

 ふわりは少し悩むようなそぶりを見せた後。

「おぬしもわるよのう」

 にぃっと笑った。

 僕はその笑顔に少しの安堵を覚えた。

 登校する生徒達をかき分ける様にして、ふわりの手を引きながら逆走する。

「ホントに熱も何もなかったら、好きなところに連れて行っていくれるんだよね」

 僕の気持ちなんて露知らず、ふわりは少し嬉しそうだ。熱なんてないと思ってるからだろう。僕の見立てでは風邪のひき始めなので、今のうちに釘を刺しておく。

「その代わり、もし熱があったらおとなしく寝るんだぞ」

「えー、こんなに元気なのにー」

「約束」

 僕は少しだけ強く、強調して言った。

「ちぇー、分かったよー」

 ふわりを引く手に抵抗は感じず、彼女は引かれるがままだ。

 もう少しで、家に着くというところで──

「あっ、今日家に誰も居ない」

 ふわりは唐突にそんなことを言い出した。ナンデスト。

 僕の足は少し遅くなるが、それでもここまで来て引き返すことも出来ない。

 なるようになるだろうと、心を固めて彼女の家に向かった。

 ふわりの家について玄関まで上がらせてもらうと、自分の家とは違う匂いがしてなんだか緊張する。部屋に上がる勇気はないので、玄関に腰を下ろした。

「キミト君も入ってくれば?」

「もし、熱がなかったらまたすぐに出るんだからここにいるよ」

 僕の言い訳を真に受けて、ふわりは)廊下の向こう側に消えていく。

 ガチャ。スーッ、ガタン。と物音が聞こえる。

 それからしばらく何も音がしなくなった。

 ややあって、ダダダダダと廊下を走ってくる音が近づいてくる。

「キミト君。熱あった!!」

「じゃあさっさと寝ろ」

「えーっ」

「えー、じゃない。約束したじゃん」

「だってまだ元気なんだもん」

 このままおとなしく寝てくれるとは到底思えなかったので、少し考えた。

「正直いうと、すぐに寝てほしいけど。どっちみち学校には行けないし、散歩でもしようか? どこか行きたいところある?」

「海!!」

 僕は思わずため息を吐く。それは元気だった時の約束だろうに。

「潮風は体に悪いぞ」

「海見たらすぐに帰るから。お願い」

 僕はもう一つため息を吐くと、「海を見たら帰るぞ」と伝えて玄関のドアを開けた。

 待ってよーと言いながらふわりが追いかけてくる。彼女は扉を施錠すると、「レッツゴー!」と元気に言った》

 帰るまで元気のままでいてくれよと思いながら、二人で海へ向かう。

 彼女は普段よりもテンションが高く、道中鼻歌を歌っていた。

 普段の彼女なら・・・・・・、いやするかもしれん。

 どちらかというと、彼女が先導する形で、僕らは海に向かっていた。

 しばらく彼女の鼻歌に誘われるように歩くと、少しずつ潮風を感じるようになってきた。

「潮風の匂いがするね。きっともうすぐ海だよ」

 肺いっぱいに潮風を吸い込めば、空気がひんやりとしている気がした。

「キミト君、向こう側がキラキラし始めたよ」

 花遊の頭越しに海が見え始めた。

 少しずつ視界に海が広がっていく。

 進むたびに大きくなり、とうとう海岸に辿り着いた。

 流石にここまでくると潮風も寒さを突きつけてくる。

 ザリザリと砂浜を踏み鳴らしながら、波打ち際まで歩いてみた。

「つめたっ。キミト君、すごく冷たいよ」

 ふわりは押し寄せてくる波に手をひたして報告してくる。熱っぽいのに何してるんだか。

「もう冬だからね」

 呆れた僕は、ただ当たり前のことを彼女に言った。

「ねぇ、キミト君・・・・・・」

 ふわりがこちらへ近づいてきていたと思ったら、突然膝から崩れ落ちた。

「花遊っ」

 僕はびっくりして彼女に駆け寄る。

「えへへ、キミト君。立てないよ」

「そろそろ帰るよ、おぶってあげるから、ほら」

 僕はふわりに背中を差し出して座る。

「もう少し居たい」

「だーめ、帰れるうちに帰るぞ」

 彼女はそれからも少し駄々をこねたが、諦めて僕の背中に乗った。

「キミト君ん、ごめんね」

 僕の背中に揺られながら帰途につく道中で、ふわりはぽつりと謝った。

 僕はそれを聞こえないフリをした。

「体調良くなったら、さっきの海の近くにあるカフェに行こうよ」

「いくー」

 いつもよりちょっと元気のない声が僕の耳に届く。

 しばらく歩くと、寝息が聞こえてきた。

 ふわりを起こさないように、すこしだけ慎重に歩く。

「もうすこし」

 僕は自分を鼓舞しながら彼女の家を目指した。

 ふわりの家についたので、少しだけ強く揺らして彼女を起こす。寝ぼけ眼のふわりは、僕から降りると目をこすりながら玄関の鍵を開けた。

「ちゃんと、寝るんだぞ」

「はーい」

 気だるそうに靴を脱いで家に上がる彼女を見送って、帰ろうときびすを返した。すると、背中に声が飛んでくる。

「カフェの約束守ってね」

「元気になったらな」

 それだけ言って僕は彼女の家を出た。

 「はぁ」と疲れを口にすれば、僕の疲労に比例するかのように白い煙が広がった。まだ少しだけ彼女の体温が残る背中を、置いて帰るように僕も帰路につく。

 ふわりのその後だけど、彼女は次の日から三日ほど学校を休んだ。

 僕は彼女の居ない日常につまらなさを感じながら登校をしていた。

 四日目。いつもの待ち合わせ場所にいた彼女は、昨日もそうしていたかのように「おはよう」と僕に笑いかけてきた。

「元気になったか?」

「ホントは昨日から学校に行けたんだけど、念のため休めって」

 昨日一日は暇で暇でしょうがなかったよとふわりは語る。

「元気になってよかったよ」

「さみしかった?」

 僕を少しのぞき込みながら、どことなく不安そうな顔で問うてくる。

 ああ、淋しかったよ、とは流石に言えなかった。それをごまかすように、数日前の約束を持ってくる。)

「快気祝いに、今日の帰りカフェに行くか」

「約束ちゃんと覚えてたんだ」

「当然だろ」

 ふわりはその言葉に、はにかんだ。

「いっぱいたべるぞー」

 彼女は元気に意気込みを伝えてくる。

「ほどほどにしてくれよー」

 財布の中身が心配だ。この時の僕の頭には、それしかなかったのだけど。そんな僕を見て、なんだか嬉しくなっていたのだと後から聞かされて。喜ぶふわりを見られなかったことだけが、心残りだった。

「海辺のカフェって、響きだけでおしゃれだよね」

 僕らはカフェを目指して歩き出した──。

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