無機質に震えて揺れる。

鈴ノ木 鈴ノ子

むきしつにふるえてゆれる。

 朝日が薄いカーテン越しに室内へと漏れて寝床に線となって差し込んてきた。濃淡のついた光には漂う埃がスターダストのように煌めいて薄目で彼女はそれを眺めながら気だるく少し汗ばんだ身体を起こした。

 シティーホテルの一室。

 差し障りのない調度品はどこも変わり映えがなくて無機質、一糸纏わぬ裸体のままベッドを抜け出てカーテンを開け放つと、窓は結露に濡れて宝石を散りばめたように光って美しい。

 外から始発電車の音に新しい朝が始まったと感じてしばらく浸っていると、ベッドから音が聞こえて、振り向けば一緒に寝ていた男が座ってこちらをじっと見つめていた。


「おはよう、梨沙」


「おはよ、和臣」


 朝の挨拶のみを交わしてじっと見つめ合った2人は、沈黙を楽しむように互いに微笑み合い、そして梨沙は和臣の隣に腰掛けてそっと身を預けるように凭れた。


 2人の出会いは何処にでもあるような些細なことからだ。


「この書類を作ったの誰?」


 少し怒りを交えなような口調で営業の和臣が営業事務のエリアに声をかけた。パーテーションで区切られた女子6人だけの小さな部署だから声はよく聞こえる。


「なにか、ありましたか?」


 和かな笑みを浮かべて和臣の前に梨沙は立ちはだかるように立った。梨沙は係長の役職にあって、大体、こんな言い方の奴は十中八九書類へのクレームであると経験則からピンときていた。


「データ指数が誤入力されてます」


「直ぐ確認してみますね」


 差し出された書類を受け取って担当だった新人に目配せをする、ファイリングされていた作成依頼書を探し出て持ってきた新人に微笑み、データを紐解きながら確認したが、指定された期間の指数に間違いはない。


「合っていますよ、これ貴方が出した作成依頼書よね?」


 作成依頼書を見せながら諭すような口ぶりで少し嫌味を込めて伝える。和臣がそれを確認するのを見ながら、次に来るであろうことを予想する。誤魔化し、八つ当たり、etc…。だが、次の和臣の行動はそれのどれもを裏切るものだった。


「私の確認不足です。失礼なことを言って申し訳ございませんでした」


 謝罪の言葉を述べ90度の角度に身体を折り頭を下げたのだ。新人ですらしない驚きの行動に梨沙が思わず一歩引いてしまうほど真摯な謝罪、その時にふと不思議な人と気になった。その後は和臣の作成依頼書が来る度、余白に梨沙を指定する文言が付いてくる。そのうちの数件は社内賞になるほどの案件もあり表彰式では営業事務として初めて壇上に立った。それから和臣とは食事を共にする仲となっていたが、社食でも外食でも仕事の話ばかりしている2人を色眼鏡で見るものは皆無で、時折、和臣からの誘う言葉や告白があっても梨沙は仕事の邪魔になると受け付けなかった。

 やがて実力を認められた陽の目をあまり見ない部署は大きく様相を変えることになってゆく。だがその話には係長の交代も混ざっていて、新しい係長へと席を譲っても梨沙はそのまま役職なしで留め置かれていた。


 愛想が少なく機械のような女


 これが梨沙に対しての心無い評価だ。

 実力は和臣との仕事で申し分ないことは分かりきっているから、新しい係長は最初は穏やかに、やがて横柄に梨沙を利用する。やがて2年目の冬に重大なデータミスが発生した、それは些細で凡庸なミスだが、それが発端となり和臣と梨沙の初仕事で受注して会社の数パーセントの契約が打切りとなった。梨沙の手を離れ係長管理で中堅の女性社員が担当、そこで認識不足による手違いが起こったらしいが詳細は分からない。ただ確かなことは数日後に梨沙は査問会に呼び出されて、理不尽にもその責を問われることとなった。


 何処の社でも良くある話、係長が梨沙に全責任を押し付けて報告し、それを元にしての査問だった。


 淡々と否定しても、用意周到に準備された紙媒体の捏造データでお偉方は審議を進めてゆく。否定は意味のない行為で解雇の話へとなった途端、会議室の扉が開かれて数人の男女が流れ込むように入り込んできた。


「データの指数が誤入力されています」


 懐かしい言葉に振り向けば和臣が書類を掲げてそう大声で怒鳴っていた。営業エースで課長補佐の言葉と提出された書類は査問会を止めるには十分で、梨沙は解放されて足早に会社を後に駅へと帰路を急いだ。

 惨めで、哀れで、そして苦々しい思いの心を抱えて電車へと乗り込む寸前に腕を掴まれ引き寄せられた。ふわりと香る香水に誰であるかは直ぐに察しがつく。


「和臣…」


「遅くなってごめん」


 耳元でそう言われて一眼も憚らずに抱きしめられた。

 無糖のような苦々しい心に砂糖とミルクのような甘い優しさが注がれてしまえば、張り詰めていたものがガラスのように脆く砕けてゆく。


「今日は一緒に居よう」


 小さく頷いた梨沙に電車の発つ音が新しい運命を告げていた。

 

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