第6話 気にかける男子たち
私、桐沢星花は、一度自殺して、一度事故死している。
首を絞めて自死した直後、私はベッドの中で目を覚まし、普段とまったく変わらない朝を迎えた。どうやら、高校二年の四月──千紘と由実と仲良くなり四人グループが出来た翌日にタイムリープしたらしい。手の甲の星マークは一番右だけ消えていた。
しばらくはドラマやアニメのような展開に大混乱したが、徐々に受け入れていった私は、前向きに生きようと決意するまでに至った。
ところが、五月下旬の登校時、信号を渡っている所に乗用車が突っ込んできて再び命を落とした。藤川君と三原さんとは知り合う前だった。
そうして、現在、私は三回目の高二四月を生きている。唯一残った真ん中の星が自分に残された最後の命を表しているようで、これがラストチャンスと思っている。
今までと異なる点を挙げると、死に対して人一倍臆病になったこと。それは、二度も味わって覚えた命を落とす瞬間の苦痛と「自分は数ヶ月後に死んでしまう運命なのかもしれない」という思考回路から来るものだった。二度あることは三度ある……から。
「今って……」
デスクに置いたスマホを手に取って時間を確認すると、ホーム画面に「5:57」と表示されてある。起床する予定の時刻まで約四十分はあるけど、今から寝付けられる気がしないのでアラームを三つ全部解除して泣く泣くベッドから降りる。最近は、悪夢や深く眠れないことから目覚まし音発動前に起きてしまいがちだ。
「最悪の目覚め……」
怖い夢を見たせいで意識ははっきりとしている。それでも、中途半端な時間に起きたことで眠気が体内に染み渡っている。早朝からツイてない。
依田君のお陰で心が少し楽になったばかりだというのに、また死に対する不安が私を襲い始める。扉の前でナイフを持った不審者が待ち構えているのではないか、誰かがコンロを消し忘れてこの家に炎が広がり始めていないか。などと何十万分の一の確率で起こる事件を想像して、毛布で暖まった背中がさぁーっと冷めていく。立っているのもしんどくてベッドに腰を下ろす。
「楽しかったよ。また明日な」ふと、そうやって心から笑った依田君の顔が浮かぶ。
そうだ。私には、同じように悩みを抱える心強い仲間がそばに居るんだ。大丈夫。だから、今日もいつも通りに一日を生きなきゃ。また明日、って約束したんだから。
身体に言い聞かせて立ち上がると、恐る恐る扉を開け慎重な足取りで階段を降りた。さすがに不審者も炎も見受けられず急に割れそうなほどの頭痛が起こるなんてこともなかった。
そのまま普段よりもやや早い朝を過ごしたが、いつになく注意深く行動していたせいで通常とあまり変わらない時間に家を出ることになった。カメのようなペースと朝食を抜いたことで違和感を抱いたのか母に「具合悪いの?」と聞かれたが、嘘でもないので「少し」と答えておいた。
屋外に出ると、白線を引いただけの頼りない仕切りに従って車道を歩く。微かに、呼吸が速く激しくなっていく。気がつけば、落ち着かせるように胸に手を置いていた。昨日の下校は、不思議なぐらいに身体が穏やかだったのに……。
「依田君……」
「おう。桐沢」
私が無意識に零した呟きに何故だか返事が来て顔を上げると、目の前に本物の依田君が居た。
「依田君!!?」
「だから、おう」
大きなリアクションをした私に再び冷静に答えながら手を挙げる依田君。
情けなく口にしてしまった名前が本人に届いていたなんて……しかも、向こうはやけに平然としているのが恥ずかしすぎる。ただ、同時に途端に肩の力が抜けた。
無かったことにしようと自分から話を振る。
「どうして、ここに依田君が居るの??」
「桐沢を待ち伏せするストーカーだからな」
「え、やだ……」
「ジョークだよ! 引くな!」
そう言われて、一歩後ずさっていたことに気づく。
「いや、初対面からやたらと私に構うから有り得なくもないのかな、って……」
「失礼だこと。何となく一人にさせるのが心配で、桐沢が通る道で少し待っていただけだよ」
今度は素直に理由を明かしてくれた。
正直、彼の名前を呟くぐらいだから、そばに着いていてほしいのは確かだ。なんだか依田君に見透かされている気分だ。
「朝メシは?」
「食べる気になれなくて……」
「そうだろうと思った」
すると、依田君は手に提げているレジ袋から薄茶色の何かが詰まった透明なカップを取り出し、ほら、と私に差し出す。受け取ってパッケージに目をやると「キャラメルプリンラテ」と印字されてあった。
「プリン……キャラメルラテ……」
焦がしすぎたキャラメルのような苦い記憶が蘇る。あの時の
「さ、時間無くなる。行くぞ置いて行くぞ」
「ちょっ……と、待ってよ!」
すたすた進んで行く依田君を追いかけると、彼の隣に着いて歩く。歩道はここから広く安全な境界ブロックの仕切りに替わる。依田君も隣に居るし、さっきと比べると安堵感が強くなった。昨日別れたコンビニが視界に入った時、私は彼に訊ねる。
「わざわざ、あのコンビニで買って来てくれたの?」
「朝食抜いてぶっ倒れでもしたら困るからな。カルシウム入りだし栄養つくだろ?」
「カルシウムって……まあミルクだけど。依田君って、変わり種を好む人だよね」
期間限定商品に弱そうな所とかガチャコーナーでカップ麺のストラップを選ぶ所とか。ちょっと、ほんのちょっと、かわいいと思ってしまった。
依田君は更にかわいさを求めるつもりなのか顔をむすっとさせて、
「んだよ、悪いのか?」
「そんなことはないよ。私も気持ちは分かるから」
でも、たわいない掛け合いよりも彼に一番伝えたい、伝えるべきことがある。
少し歩き赤信号の前で足を停めた所で、私は依田君を見つめながらこう伝える。
「ありがとう。本当は、気にかけてもらえてすごくホッとしてる」
「それはよかった」
依田君は言いながらポンと私の頭部に手を添える。頭も心も何だかくすぐったいけど、あまり嫌な気はしなかった。
「依田君の笑顔を思い浮かべたりしたのに、それでも、今日は夢のせいでいつも以上に気分が晴れなくって……依田君?」
話している途中で信号が青に変わり歩き出したが、依田君が着いてきていないことに気づいて振り返ると、なぜか信号の前で突っ立ったまま。目が合うと、我に返ったように慌てて私に追いつく。青信号と引き換えに依田君の頬は紅潮していた。
「顔赤いけど、大丈夫?」
「別に。俺のことはいいから、飲みなって」
「──うん」
そう促されたので、登校を再開しながらキャラメルプリンラテを軽く振ってストローを刺すと口へ運ぶ。名前から想像できるように、とにかく甘い。吸えるサイズにほぐれたキャラメル味のプリンは食感が気持ちよく、ラテと絡んで濃厚な味を引き立てている。心に掛かった雨雲を吹き飛ばすような癒しに舌が喜ぶ。当然と言えば当然だけど、一回目の六月と好みが何も変わっていない。
「桐沢が息苦しさを感じる理由って、なんだ?」
ふと何気なく質問した依田君にびっくりして「えっ?」と聞き返す。
「いや、話したくないなら無理に聞くつもりもないけど。夢のせいでいつもより気分が晴れない、って言っていたから」
「ああー……うん。言った」
なぜ繊細な問題に追求し出したのかと思えば、私の発言が原因だった。
そういえば、真実を隠しているのは彼だけじゃない。私もまだ、不可解な現象のおかげで死に人一倍の恐怖を抱いていることを伝えていない。
「秘密」
目線を合わせ何となく口端を上げながら答えると、すぐに向き直りキャラメルプリンラテを啜る。気まずさを誤魔化すように。
今はまだ、話す勇気がない。
「そうか」
「というか、今日は依田君も出席するの?」
「学校まで桐沢に着いて行くだけで今日も早退だよ」
「ですよね」
制服姿だし、一見、二人で登校して学校で終日を過ごすようにしか見えないけれど、キャラを裏切らない依田君だった。
「近くでサボっているから、困った時は連絡しな」
「わかった」
意外にも平穏な時間を過ごして半日が経った。
死を想起させるような話題が出なかったことも関係しているが、依田君という存在による効果も大きく表れているのかもしれない。
今日が日直の私は、業務として美術の授業で使った備品を美術室で片付けていた。量が多いお陰でお昼休憩の時間が少しロスしそうだ。
……なんだか、デジャヴだ。いつかの日直の時もクラスで受けた授業の備品を専用の教室へ運んでいき、
「手伝うよ」
藤川君に協力してもらった。ちょうど今のように。肩がびくっと上がり反射的に一歩後ずさる。
いつからか居た彼は机上の段ボールの中から筆立てを二本手に取ると、教室右奥の所定の位置にしまう。
教室を通りかかった時、一人で片付ける私が視界に入ったのだろう。人生一回目の、あの平和だった日と重なる。また藤川君と関わることなど想像していなくて心の準備が出来ていない。気まずい。
「あ……ありが、とう」
目も合わせずに上擦った声でお礼をしながら、画用紙セットを手に彼の反対方向へ進む。
この世界では、私との関係も三原さんとのトラブルもすべてリセットされている。本当は、素っ気ない態度を取るべきではないと分かっているけれど。
「俺は、藤川彰宏。同じクラスだけど話すのは初めてだよね?」
「そうですね。えっと……桐沢星花です」
「桐沢さんね? 同級生だから畏まらなくてもいいよー」
「あははは。確かに」
向こうが新鮮な気持ちで挨拶をする一方で、私だけが複雑な感情を抱いて取り繕っているのは、釈然としない。
あれは、思い出したくもない苦い苦い出来事。一概に藤川君を責められないけれど、出来ればもう、関わりたくはない。
私は段ボールを両手で抱えると、教室の右奥へと前進する。これを片付けられれば、ようやく完了だ。
「あ。後はこれだけだし、戻ってもいいよ」
「待って、ここの床、滑りやすくなっていたから気をつけて!」
「え? ……うわああぁぁっ!」
歩きながら藤川君の呼び掛けに振り返ると、言われた側から足を滑らせ仰け反り、背後から彼に腕を回されるようにして尻餅をつく。彼の膝がクッションになってくれたお陰で痛みはほとんど感じずに済んだ。手放した段ボールから弾き出されたパレットと数本の絵の具が黒地の制服にカラフルな水玉模様を散らしている。
「大丈夫っ……?」
甘いマスクを覗かせる藤川君にコクコクと無言で頷くことしかできない。
藤川君に守られたことで感情は更にごちゃごちゃと混ざり合う。
申し訳なかったり、居た堪れなかったり、彼の膝に乗っかって恥ずかしかったり、正義の頼もしい体に支えられて嬉しかったり、やさしい温もりに触れてドキドキしたり……。ただでさえ再会してパニックだというのに、追い討ちだ。頭を冷やしたい。
そうだ。登校中、困った時には連絡をするように依田君が気遣ってくれたんだ。「頭がおかしくなったから迎えに来て」とでも送ろうかな。なんて考えた瞬間、そもそも私達は連絡先の交換をしていないことに気づいてしまった。嘘でしょう……。
「ふっ。桐沢さん……ごめんだけど、頬に赤と黄色の絵の具が跳ねていてかわいい」
無邪気な瞳で悪戯に笑う藤川君の顔の方がかわいくって、心臓のドキドキが強まる。ああ、もう。どうすればいいのこの状況!
「助けてぇ……」
「ご、ごめんって! この体勢で助けを求められると俺が変質者に疑われるから、とりあえず降りようっ?」
彼の指示通り、あまりに混乱するので早く膝から降りて距離も置こう。お腹も空いたしまた依田君とランチしたい気分だ。
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