美しさはとこしへに

@PrimoFiume

美しさはとこしへに

「ピンポーン」チャイムが鳴り私は玄関へと向かう。

 徹子さんだろう、三日前に彼女から連絡があったから。約束の時間通りだ。

“和也さんのことでお話しがあります。お時間を頂けないでしょうか”

 徹子さんは、その時多くを語らず、ただそれだけを口にしただけだった。

 それを聞いて、何を今更という言葉が頭を掠めた。二十五年前に私から大事な人を奪った人。でも、あの人への想いがまだ燻っていたということだろうか、それでこうして直接会うことになった。

「お入りください」私は玄関の扉を開けて徹子さんを招き入れる。

「驚いたわ、まるで二十五年前に戻ったみたい」徹子さんは私の顔をしげしげと見つめて思わず漏らす。

「どうぞ」

 私はとりあうことなく徹子さんをリビングへと案内した。

「おかけください」

「失礼します」徹子さんはソファに腰を下ろした。

「粗茶ですが」私は徹子さんにすすめた。

たまきさん、突然ごめんなさい。本来私はあなたにお願いできる立場じゃない事は承知してるわ。でもお願い、一度だけ、たった一目でいいから和也さんに会って頂けないでしょうか?」目を涙で潤ませて徹子さんは訴える。

「どういうことですか! お金を積んで、あの人にもう会わないでと言ったのはあなたでしょう?」

「ごめんなさい」徹子さんは項垂れ涙を流した。

 しばし気まずい沈黙が流れた。

「……和也さんはもう長くないの。あの人はよくやってくれたわ。父の会社の後継者として、私の夫として、子供たちの父として」

 徹子さんはハンカチで涙を拭きながら続ける。

「でも、あの人の瞳の奥にいるのはいつもあなただった。それが私には悔しくて認めたくなかったの。だけど、せめて最後くらいはその瞳にあなたを写してあげたいの」

「そんな、勝手な……」

「勝手なのは百も承知です。どうかお願いです。私にできることなら何でもします」

 徹子さんはこんなにも弱い女性だったのだろうか。恥も外聞もかなぐり捨てて頭を下げるその姿には少なからず憐れみを感じた。

「何でもとおっしゃいましたね」

 その言葉に徹子さんは体をこわばらせて頷いた。


「今度二人で飲みに行きませんか」



 果たして私の決断は正しかったのだろうか? 安請け合いしてしまったことを後悔した。いまさら、一体どんな顔をして会ったらいいのだろう? 何を話すべきかと、昔の日記を掘り起こして頭に叩き込む。シナリオなんてない、アドリブ勝負なのだから情報の引き出しは多い方がいい。あの人は私を見てどんな反応を見せるのだろうか。色々なことが頭を駆け巡る。徹子さんは、あなたならきっと大丈夫よと背中を押す。いくら考えてもしょうがない。私は覚悟を決めて来るべき日に備えた。



「和也さんの病室はここよ。私はいない方がいいと思うから、待合室で待っているわ」徹子さんはそれだけ伝えて踵を返した。

 緊張で胸が高鳴る。もう後戻りはできない。私は意を決して病室に足を踏み入れた。

「カズくん」

「環? 本当に環なのか? 僕は夢を見てるのか?」

 私は呼吸を整えようと一息ついた。

「あたしよカズくん、環よ。四半世紀ぶりね」

「あ、ああ、僕はすっかり年をとったよ。病の前に……なす術がない。情け……ないことだ。だけど君は……あの時のまま、美しい……ままだ」

「お世辞が上手ね」

「そんなんじゃ……ない、それより……もまず僕は君に……謝りたい。本当に……すまな……いことをした」

「いいのよ、あなたは私のために徹子さんと一緒になったことは理解している。父が残した借金を肩代わりしてもらった上に、経済的支援もしてもらった。恨んでなんかいないわ」

「君は徹子……まで許して……くれるのか?」彼は苦しそうに声を絞り出す。

「人を呪わば穴二つよ。許すことで前に進めるの」

「ありがとう、それに……しても君の……その若さはどうして? どう見て……も二十代、あの……頃のままだよ」

「意図的な遊びって覚えてる?」

「ああ、何となく」

 彼は記憶を呼び起こそうと瞼を閉じた。



「君は今何を研究してるんだっけ?」水族館でクラゲを眺めながら僕は言う。

「意図的な遊びよ」

「何だいそれは? そもそも遊びには楽しむという意図が必然的にあるんじゃないかい?」

「そうね、じゃあ何で楽しむ必要があるのかしら?」

「それは生きている以上、人生にハリが必要だろ?」

「そうだと思うわ。でもね、楽しむなら若くないといけないの。年をとって体が思うように動かなくなってからではやれることも限られるわ」

「つまり、意図的に自由に遊べる期間を長くするために若さを維持するような研究ってことであってるかな?」

「ご明察」

「ずいぶん回りくどいね」

「ねぇカズくんはクラゲが何の仲間か知ってる?」

「え? 考えたこともないけど、クラゲはクラゲじゃないのかな? 他に思いつかないけど」

「プランクトンよ。プランクトンは決して肉眼で確認できないもののことをさすわけではないのよ」

「初めて聞いたよ」

「クラゲは面白い生態をしてるの。岩礁にくっついた卵がポリプと呼ばれる植物のような形態になって、そこにいくつものクラゲが実るの」

「気持ち悪いね」

「最後は肉団子のようになって死んで海に溶けちゃうんだけど、テロメアは分かる?」

「命の回数券ってやつだね。細胞分裂のたびに短くなっていき、無くなったらそれが寿命というものだと思ったけど」

「そう、でもね世の中には例外はつきものなの。ベニクラゲという個体はどういう仕組みか分からないけどテロメアを修復してるようなの」

「それってつまり、……不老不死?」

「そういうことになるわね。肉団子状になったとき、それはどんな組織にも変化可能な状態、いわゆるiPS細胞と同じ状態ね」

「不老不死か、人類最大の夢だね」

「とりわけ女性にはね」環はイタズラっぽく微笑んだ。



「不老不死……、まさか研究の……成果ってことなのか」

「そんなところよ」

「ゴホゴホッ」突如彼は苦しみだした。

「大変早くお医者様を」ナースコールに手を伸ばす私のもう片方の手を彼が掴んだ。

 私はボタンを押した後、両手で彼の衰えた手を握った。

「環、最後に……会えて……うれ……しか」

 言い終える前に、その手から力が抜けるのがわかった。私の中では他人だと思っていた、この先の人生で決して交わることのない人だと思っていた、それなのに、二十五年間の空白に彼という存在がとめどなく流れ込んできて、昂る感情を抑えきれなくなった私は思わず叫んだ。


「お父さーん!」



 和也の四十九日後


「環さん、先日はありがとうございました。和也さんは安らかに旅立つことができました。今日はお約束を果たしに参りました」

「徹子さん、そんなにかしこまらないで。私たちは同じひとを愛した仲間じゃない」

「環さん」

「さぁ、湿っぽいのはお仕舞い、飲みましょ」

「ええ」

 二人はバーへと向かった。

「私はビールで」環がバーテンに言う。

「私も同じもので」

「それじゃ、和也さんに」二人はジョッキを掲げた。

「それにしても、初めてべにさんを見た時は驚いたわ。若い時のあなたに生き写しよ」

「そうかしら? 私の方がもうちょっと魅力的だったんじゃないかしら」環が笑みを見せる。

「今は本当に申し訳なく思ってるの。あなたが妊娠していたことを和也さんに黙っておくよう強いてしまったことを」

「気にしないで、私も言うつもりはなかったから」

「でももっと驚いたのはあなたの提案よ。まさか、紅さんにあなたを演じさせるなんて」

「うまくいったでしょ」

「あなたは和也さんに会わなくて良かったの?」

「おばちゃんになっちゃった私を見せたくないわ。あの人の中では若くて綺麗なままでいたいの」

「ズルい人ね」

「あなたへのささやかな復讐よ」

 二人はジョッキを重ねた。



「ピンポーン」チャイムが鳴り私は玄関へと向かう。

 徹子さんだろう、三日前に彼女から【母に】連絡があったから。約束の時間通りだ。

“和也さんのことでお話しがあります。お時間を頂けないでしょうか”

 徹子さんは、その時【母に】多くを語らず、ただそれだけを口にしただけだった。

 それを【母から】聞いて、何を今更という言葉が頭を掠めた。二十五年前に私から大事な人を奪った人。でも、【母は】あの人への想いがまだ燻っていたということだろうか、それでこうして直接会うことになった。

「お入りください」私は玄関の扉を開けて徹子さんを招き入れる。

「驚いたわ、まるで二十五年前に戻ったみたい」徹子さんは私の顔をしげしげと見つめて思わず漏らす。

「どうぞ」

 私はとりあうことなく徹子さんを【母の待つ】リビングへと案内した。

「おかけください」【と母が言う】

「失礼します」徹子さんはソファに腰を下ろした。

「粗茶ですが」私は徹子さんにすすめた。

「環さん、突然ごめんなさい。本来私はあなたにお願いできる立場じゃない事は承知してるわ。でもお願い、一度だけ、たった一目でいいから和也さんに会って頂けないでしょうか?」目を涙で潤ませて徹子さんは訴える。

「どういうことですか! お金を積んで、あの人にもう会わないでと【母に】言ったのはあなたでしょう?」【私は我慢できず声を上げた】

「ごめんなさい」徹子さんは項垂れ涙を流した。

 しばし気まずい沈黙が流れた。

「……和也さんはもう長くないの。あの人はよくやってくれたわ。父の会社の後継者として、私の夫として、子供たちの父として」

 徹子さんはハンカチで涙を拭きながら続ける。

「でも、あの人の瞳の奥にいるのはいつもあなただった。それが私には悔しくて認めたくなかったの。だけど、せめて最後くらいはその瞳にあなたを写してあげたいの」

「そんな、勝手な……」【母の気持ちを考えると受け入れられるはずないと私は思った】

「勝手なのは百も承知です。どうかお願いです。私にできることなら何でもします」

 徹子さんはこんなにも弱い女性だったのだろうか。恥も外聞もかなぐり捨てて頭を下げるその姿に【私は】少なからず憐れみを感じた。

「何でもとおっしゃいましたね」【母が静かに言う】

 その言葉に徹子さんは体をこわばらせて頷いた。


「今度二人で飲みに行きませんか」【母は笑顔で言った】


「紅、あなたが私の代わりに行きなさい」

「え、何で私が? あの人私のこと知らないでしょ」

「私のふりをして欲しいの」

「そんな! 無理よ!」

「いいえ、それはいいかもしれない。紅さん私からもお願いします」

「えー、でも私会いたくないし」

「紅、あなたプレステ5が欲しいとか言ってなかった? お母さんが買ってあげるから」

「環さん、それなら私が」

「本当に?」

「だからお願い」二人が声を揃えた。

「約束だからね」



「ただいまー」母が珍しく上機嫌で帰ってきた。

「ちょっとお母さんお酒臭! 飲み過ぎだよ」私は足元がおぼつかない母をリビングに連れて行く。

「はいお水」

「ありがとー」

「それにしてもお母さんよく徹子さんを許せたね。憎くないの?」

「許すことで人は前に進めるのよ」

「お母さんの日記に書いてあったね。でも私にはわからないよ」

「分からなくていいの、あなたはあなたよ。私のコピーじゃないんだから」

「人のことコピーとして使った人がそれを言いますか」

 母は意地悪な笑みを浮かべて舌を出した。

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