海沿いを走る列車

中里朔

潮風に誘われて

 日影から日影へ、照りつける真夏の太陽を避けて歩く。

 小鳥のモニュメントが付いた車止めを横切り、三角屋根の駅舎を見上げる。先ほど踏切を通り過ぎた、レトロな外観の列車が改札の奥に見えた。


 これはいつかの記憶だ。

 私をあの場所へ連れて行ってくれた列車は、いま目の前に停車している。


 線路沿いの住宅すれすれを通り抜ける場面もあるが、ほとんどの区間で海岸沿いを走り抜けて終着駅まで向かう。列車の外観も、景色も楽しみながら移動できる、素敵な乗り物だ。

 ホームに停車した緑色の列車は潮の香りをまとい、砂浜と波しぶきを連想させる。海から吹きつける温い潮風が鼻腔をくすぐり、ふと過去の記憶が蘇った。

 あれは私がまだ小さかった頃。あの人と一緒にこの列車に乗り、車窓からどこまでも続く青い海を眺めたものだ。線路と並走する道路には、サーフボードを積んだ車が列をなし、ビーチには水着の人たちが溢れていた。


 あの人と降りた駅は観光客も多く、とても賑やかだった。

 思い出されるのは、あの坂道。夏の暑さなど忘れて駆け上った。振り返った景色の美しさは今でも忘れない。あの人は踏切越しに写真を撮った。通り抜ける列車と海が映った風景は、一瞬の時間を切り抜き、色褪せることなく残る。


 しかし、今を生きる私にとって、過ぎ去った日々は文字通り過去でしかない。

 あの場所へ連れて行ってくれた人は、今はここにいない。私があの場所へ行くことも、同じ景色を見ることもできない。


 なのに、戻りたいと思った。もう一度あの場所に行きたいと思ってしまった。

 思うやいなや、無意識に踏み出した一歩が、私をあの場所へ連れて行く。


 改札を抜け、ホームへ足を踏み入れる。

 近くにいた子供が、よたよたと歩いてきて私の行く手をさえぎる。

 列車のドアが閉まりそうだ。急いで乗らなければ。

 気付いた駅員が駆け寄って、私に手を伸ばして言った。

「電車には乗れないよ」


 私をつかむ手を思い切り引っ掻いた。

 ニャオー!



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海沿いを走る列車 中里朔 @nakazato339

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