甘々注意報 5

 ……スカーレット、完全ふっかーつ‼


 一夜明けて、熱もすっかり下がったわたしは、ベティーナさんからベッドから出るお許しをもらった。

 今日はおしゃれはしなくていいそうなので、わたしは楽なドレスに着替えさせてもらって、朝ごはんを食べるべくダイニングへ降りる。

 いつものように、リヒャルト様はダイニングで新聞を読んでいた。


「おはよう。熱はもういいのか?」

「おはようございます! 熱は下がりました! 元気です!」

「そうか、それならよかった」


 ふっと笑ったリヒャルト様が新聞をたたんで脇によけると、ややして朝食が運ばれてくる。

 いつも通りご飯をたらふく食べていたわたしを、リヒャルト様が「食後に少し庭を歩こうか」とお散歩に誘ってきた。

 いつもはリヒャルト様の休憩時間がお散歩タイムなのに、今日は食後にすぐに庭へ向かうらしい。


 ……昨日は午後からずっとベッドの上だったから、体を動かしたかったし、全然いいけどね!


 お仕事はいいのかなあと思いつつ、わたしが元気よく「はい!」と返事をすると、リヒャルト様が笑みを深める。


 ……そう言えば、リヒャルト様は以前にも増してよく笑うようになったなあ~。


 何かいいことでもあったのだろうか。

 リヒャルト様が楽しそうにしているとわたしも楽しくなってくる。

 ご飯を食べ終えて、わたしはコートを取りに一度部屋に戻った。

 ベティーナさんにコートを着るのを手伝ってもらっていたわたしは、ベティーナさんに訊きたいことがあったんだったと思い出す。


「ベティーナさん、教えてほしいことがあるんですけど」


 お医者様も気が付かなかった重病だったら大変だと、わたしはベティーナさんに、心臓がやたらとドキドキと騒がしくなるのはどうしてなのかと訊ねた。


「普段は何ともないんですけど、リヒャルト様に触れられたりすると、動悸と息切れがするんです。昨日は、触れられていなくても動悸がしました。病気でしょうか? 自分に癒しの力を使ってもまったく改善しないので、病気だったらもしかしたらとんでもなく重たい病気かもしれないです!」


 するとベティーナさんは虚を突かれたような顔をした。


「動悸と息切れ、ですか」

「はいそうです、ドキドキして、息が苦しくなります!」

「リヒャルト様に触れられると?」

「はいそうです、でも、昨日は触れられなくてもドキドキしました!」

「そう、ですか……」


 ベティーナさんは「何故わからない」とでも言いたそうな顔をしてから、にっこりと微笑んだ。


「大丈夫です、病気ではありませんよ」

「そうなんですか?」

「ええ」

「でも、心臓がぎゅーっと苦しくなるんですよ?」

「そうなることも、ままあることです」

「そうなんですか⁉」


 知らなかった。

 わたしが経験したことがなかっただけで、世の中の人は、心臓がぎゅーっと苦しくなったり息切れを起こしたりすることは、よくあることらしい。


 ……でもそっか。病気じゃないんだ。よかった~。


 コートを着込んで玄関へ向かうと、リヒャルト様はすでにそこで待っていた。


「お待たせしてごめんなさい」


 ぱたぱたと階段を駆け下りようとして、そう言えば階段を駆け下りてはダメらしいと言うことを思い出した。サリー夫人が、廊下を走ったり階段を駆け下りたり駆け上がったりするのは、淑女らしからぬ行為だと言っていたのだ。

 わたしが淑女かどうかは置いておくとしても、行儀が悪いことはしない方がいい。


 ……行儀の悪い女は妻にしたくないって思われたら大変だもんね! 妻計画のためにも、お行儀良くしなきゃ。


 ふと、昨日の「あーん」は行儀がよかっただろうかと疑問を持ったが、すでにやらかした後なので考えないことにした。

 わたしは前ばかり向いて生きていくタイプである。すんだことは気にしない。だって……わたしはよくやらかすので、いちいち気にしていたら反省ばかりの毎日になっちゃうもんね。


「待っていないから気にするな。行こうか」


 手を繋いで庭に向かうと、少しも歩かないうちにリヒャルト様が足を止めた。


「誰か来たようだな」

「え?」


 見れば、遠くに見える門があいて、馬に乗った人がこちらにやってくるのが見えた。


 ……馬車じゃなくて馬に乗って来た人、はじめてだね。


 ここを訪れる人の多くは馬車に乗ってやってくる。

 馬に乗っている人がいても、それは馬車の周りの護衛の人だけで、馬に乗った人が一人でやってくることはなかった。


「あの服は、騎士団のものだな」

「騎士団!」


 かっこいい響き!


 馬に乗った人はあっという間に玄関までやってくると、ひらりと華麗に馬の上から降りた。

 詰襟の白い軍服に、肩章。腰には剣を差していて、ピカピカに磨かれたブーツを履いている。


 ……年は、リヒャルト様と同じくらいだね。


 これが騎士団の人かと見つめていると、リヒャルト様が苦笑して「お前か」と騎士団の人に話しかけた。

 お知り合いらしい。


「ちょっと会わないうちに、可愛い人をお迎えですか? 殿下も隅に置けませんねえ~」

「ぬかせ。……スカーレット、こいつはハルトヴィッヒ。バーデン伯爵家の三男で私の友人の一人だ。ハルトヴィッヒ、聖女スカーレットだ」

「ああ、この方が」


 ハルトヴィッヒ様がにこりとヘーゼル色の瞳を細めて笑う。

 ハルトヴィッヒ様はリヒャルト様と同じ年齢で、騎士団に籍を置く騎士様だそうだ。灰色の髪をしている。


「待て。この方が、とはどういう意味だ。スカーレットの情報が漏れているのか?」

「お名前までは。ただ、殿下が聖女の養女を迎えると、王都ではすっかり噂になっていますよ」

「……なんてことだ」


 どうやら、ベルンハルト様とシャルティーナ様が王様にお伺いを立てたことで、それを耳にした貴族たちがこぞって噂を広めたらしかった。


「私は陛下にそんな予定はないと手紙を出したはずだが」

「すでに噂が広まっちゃっていましたからねえ。それに、殿下の側に聖女がいるのは確かなようなので、みんないろいろ勘ぐるんですよ。おかげで、俺がこうしてお使いに出されたってわけです」


 ハルトヴィッヒ様が「はい、陛下からです」と無造作にリヒャルト様へ手紙を差しだす。

 手紙は郵便屋さんを通してやり取りされるのがほとんどだが、とっても高貴な方の手紙は、情報の漏洩を恐れて騎士や信用のおける使用人が運んだりするらしい。

 リヒャルト様は手紙をくるりとひっくり返し、封蝋を確かめた後で、ハルトヴィッヒ様を見やった。


「内容は?」


 開封されていないのだからハルトヴィッヒ様が内容なんて知るはずがないと思うのだが、ハルトヴィッヒ様はけろりとした顔で答える。


「招集命令だそうですよ。噂の聖女に会いたいのだとか。……それから、聖女をどうするのかについても、訊きたいのだそうですよ」


 リヒャルト様は「はー」と大きなため息を吐いた。


「つまり、本当に私に聖女を養女に取らせて、イザークにあてがえと言い出した馬鹿がいるわけか」

「ご明察」


 ハルトヴィッヒ様は、茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せた。






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