妻計画、始動 2
「天気がいいからか、今日は少し暖かいな」
「お昼寝したくなりますね!」
「クッ、いくら日向でも、さすがに冬に外で昼寝をしたら風邪をひくぞ」
ヴァイアーライヒ公爵邸のお庭はとっても整然としていて、公園みたいに広い。
ところどころに人工的な勾配が付けられていて、わたしの身長よりも低いくらいの丘になっている場所にはいろいろな種類の木が植えてある。
そんな、巨大なお椀をひっくり返したような丘の間を縫うように石畳の道が作られていて、わたしはリヒャルト様と手を繋いで、のんびりとその道を門の方へ向かって歩いていた。
遠くには四阿や、冬だから水を止めている噴水がある。
ところどころにベンチも置いてあった。
「冬の庭はあまり見るものがないが、門の近くには何かの花が咲いていたはずだ。あとは温室に行けば蘭や薔薇が咲いているだろう」
わたしのミッションはリヒャルト様とお庭をお散歩することなので、温室は違う気がした。だから門の近くに咲いている花を見に行くことにする。
門の近くには小さな箱型の花壇がいくつもつくられていて、その中に色とりどりの花が咲いていた。
リヒャルト様によるとプリムラという花らしい。
「そこのベンチにでも座って少し眺めるか?」
「はい!」
リヒャルト様と並んで座ると、リヒャルト様がバスケットを開けてお菓子を手渡してくれる。
夢中でドライフルーツの入ったバターケーキを貪っていると、リヒャルト様がじっとこちらを見つめていることに気が付いた。
どうしたのだろうと顔を上げると、リヒャルト様は柔らかく目を細める。
「言い忘れていたが、そうやって髪を結いあげているのも似合うな」
……ほえ⁉
リヒャルト様がわたしの顔に手を伸ばして、落ちかけていた顔の横の髪を耳にかけてくれた。
よ、よ、よ、よくわかりませんが、なんか恥ずかしいですよ⁉
リヒャルト様の指先がかすめていった耳たぶが、なんか、熱い。
バターケーキを持ったまま動きを止めたわたしの、今度は口元に、リヒャルト様が長くて綺麗な指を伸ばした。
わたしの口の端をリヒャルト様の親指がかすめていく。
「口の端に食べかすがついていた。君は相変わらず、食べ物を一度に口に詰め込みすぎだ」
……あわわわわわわぁ‼
目の前のリヒャルト様はいつものリヒャルト様だけどなんかちょっと違う気がしますよ何故ですか⁉
耳たぶに続き口元も熱くなってきたわたしは、恥ずかしさを誤魔化すためにバターケーキを食べることにする。
……手は繋いだことがあるけど。というかどこかに行くときはたいてい繋ぐけど。耳とか口とかを触られたことは、なかったよねえ⁉ たぶん!
ちらりと隣のリヒャルト様の横顔を見上げると、ぼんやりと花壇のプリムラを見ていた。
冬枯れの庭の中、カラフルな花が宝石のように輝いて見える。
……でも、リヒャルト様の方が綺麗なんだよねえ。
長い睫毛に覆われた切れ長の双眸。ラベンダー色の、理知的な瞳。
すっきりとした輪郭にかかる、さらさらの金色の髪。
リヒャルト様はいつも泰然としていて落ち着いて見えるから、つい忘れちゃうときもあるけど、まだ二十一歳の若き公爵様だ。
……よく考えてみたら、王弟殿下で公爵様でびっくりするほどイケメンさんでお金持ちのリヒャルト様に妻にもらってもらおうとか、わたし、欲張りすぎじゃない?
でも、リヒャルト様の側から離れたくないから、強欲であろうとも何とかして妻にもらってもらいたいのであるが。
じーっと見つめていると、わたしの視線が鬱陶しかったのだろうか。リヒャルト様がこちらを見て「どうした?」と優しく微笑む。
毎日おなかいっぱいご飯が食べたいとか、リヒャルト様の養女になりたいとか妻になりたいとか、わたしはとっても強欲だけど、リヒャルト様が何かをしたいとか、何かがほしいとか、そう言った願望を口にしたことはない気がした。
兄である王様と甥である王太子殿下と争いたくないから結婚できなくて、次の王様として担ぎ上げられないために神殿と敵対しようと考えている。
でもそれはリヒャルト様が「したいこと」ではなくて、以前サリー夫人が言っていた「リヒャルト様に課せられている義務」なのだと思う。
……だったら、リヒャルト様個人の願望ってなんだろう。
リヒャルト様は今の生き方が、楽しいのかな?
わたしは神殿で暮らしていたときは、聖女仲間とのおしゃべりは楽しかったけど特別幸せとは思わなかったけど、リヒャルト様に拾われてからはとっても楽しいしとっても幸せだ。
「リヒャルト様。わたしは昨日、リヒャルト様のおうちの子になりたいって言いましたけど、リヒャルト様は、したいこととかはないんですか?」
「どうしたんだ急に」
「なんとなく、気になって」
ふと思ったことだから、訊かれても理由はわたしにもわからない。
だがなんとなく、訊いてみたいと思っただけだ。
「そうだな。以前も言ったが、私は神殿と対立したいと思っている」
「リヒャルト様。それはリヒャルト様がしたいことじゃないと思います。するべきだと思っていることと、したいことは違うんですよ。ええっと、義務と願望は違うんです!」
頑張ってちょっと賢そうに言ってみると、リヒャルト様が虚を突かれたように目をしばたたく。
「サリー夫人にでも言われたのか?」
「義務がどうとかはサリー夫人が教えてくれましたけど、違います。本当に、わたしがなんとなく気になっただけです」
わたしは普段ごはんのことしか考えていないけど、たまには何かが気になることだってあるのだ。
リヒャルト様はそんなわたしの思いつきな質問を茶化したりはしなかった。
ふむ、と視線を落として考えこんだ後で、言葉を選びながら答えてくれる。
「なかなか答えにくい質問だな。確かに義務と願望は違う。そして神殿と対立しようと決めたのは、君の言う通り義務からのものだろう。必要がなければわざわざ敵対したいとは思わないからね。まあ、神殿のやり方が気に食わないのは本当なのだが」
リヒャルト様は腕を伸ばし、またわたしの口もとを拭った。……どうやらまた食べかすがついていたようである。恥ずかしい。
「したいこと。……したいこと、か。そんなこと、長らく考えていなかった気がするな」
その言葉がふと引っかかった。
したいことは「考え」ないとわからないものなのだろうか。
……違うよね?
願望は勝手に頭の中に湧いてくるものである。考えて見つけるものではない。
「したいことは、考えて出てくるものじゃないですよ」
「うん?」
「したいことはしたいことです。したいと思うのがしたいことです。わたしはお腹一杯ご飯が食べたいし美味しいおやつも食べたいし、このままここでリヒャルト様とみんなと面白おかしく暮らしたいです。でもこれは、考えたから出てきたことじゃないです。……そのための手段は考えるけど、したいことは考えたから思いついたことじゃないです」
「なるほど、正論だ」
リヒャルト様が苦笑する。
「君の言うところの手段は実に頓珍漢だったがな」
「むぅ」
「ああ、茶化して悪かった。拗ねないでくれ」
リヒャルト様がよしよしとわたしの頭を撫でた。
まとめてある髪を乱さないようにそっと触れられたので、なんだかとってもくすぐったい。
「君はそんなにここにいたいのか」
「はい!」
「そうか。では君のその願望は、叶えてやらなければならないだろうな」
……むう。それは嬉しいけど、今はそういうお話じゃないんですよ。
リヒャルト様の願望を知りたかったのに、いつの間にかわたしの願望を叶えるという話にすり替わっている。
むーっと眉を寄せて怒った顔を作ってみると、リヒャルト様がそんなわたしの顔を見て眩しそうに目を細めた。
……何故に?
「君の質問には答えられない。答えたくないのではなく、答えられないんだ。だが、そうだな……、私の中で、君の言うところの『したいこと』が見つかったら、真っ先に君に教えると約束しよう。今はそれで許してくれないか」
わたしは自分の欲求に忠実なので願望がわからないなんてことはないけれど、リヒャルト様には自分の願望を理解するのは難しいことのようだった。
……とっても賢いリヒャルト様なのに、なんだかおかしいね。
でも、願望が見つかったら真っ先に教えてくれるらしいから、わたしはそれで満足である。
「約束ですよ」
「ああ。約束だ」
……リヒャルト様との約束って、ちょっとだけくすぐったいね。なんでだろう。
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