聖女の出汁は何の味? 4

「リヒャルト様、何かあったのですか?」


 そう訊ねたのはサリー夫人だ。

 リヒャルト様は険しい顔のまま部屋に入ってくると、わたしの前に仁王立ちになる。


「聖女の力を惜しげもなく使うな。倒れたらどうする!」

「ほえ?」


 わたしはまた間抜けな返事をした。

 わたしが理解していないことがわかったのだろう、リヒャルト様が額に手を当てて嘆息する。


「いったい何人に聖女の力を使った」

「えっと、これまでにですか? 数えたことないのでわかりませんが……」


 わたしは六歳で神殿に引き取られ、十二歳で聖女デビューした。それから神殿を放り出されるまでの四年間で癒した人の数は、たくさんいるけど何人かと聞かれると困る。

 すると、リヒャルト様が頭が痛そうにこめかみを指先でぐりぐりする。


「そんなにか……」

「ええっと、だって、四年間聖女だったので……」

「四年の経験があっても、いくら何でも無茶しすぎだろう」

「無茶ってほどじゃないと思いますよ? お仕事では一日に一人でしたし」


 まあ、わたしがこっそり癒していた人を入れると、それの限りではないのだが。

 リヒャルト様はわたしの言葉を聞くと、ぐっと眉を寄せる。


「一日に一人なはずがないだろう。君をこの邸に住まわせて二週間が経ったが、わたしが把握している限り三十人はいるぞ!」


 わたしがリヒャルト様の邸に滞在している期間と、これまで癒してきた人の人数には関係があるのだろうか。

 うーんと首をひねっていると、サリー夫人が見かねて口を挟んだ。


「リヒャルト様。おそらくですが、話しがかみ合っていません」

「……そうなのか?」

「もう少し詳しくご説明された方がいいと思います」


 うーんうーんと考え込んでいるわたしを見て、リヒャルト様はサリー夫人の判断が正しいと理解したらしい。

 はあ、と息を吐き出して、言いなおす。


「スカーレット。君がこの邸に来て二週間が経ったが、その間に、君は何人の人間の治癒を行った?」


 わたしはこてんと首を傾げた。


「ここに来てからですか? 誰も治癒していません」


 どうやらわたしのこの答えはリヒャルト様のお気に召さなかったらしい。怒った顔で片方の眉を跳ね上げる。


「怒らないから正直に言いなさい」


 すでに怒った顔で言われても、信用できない。

 でも神様の言葉は絶対なので、わたしはもう一度言う。


「誰も治癒していません」

「そんなはずはないだろう?」


 すると、おずおずとベティーナさんが話に入って来た。


「旦那様。わたくしは一日の大半をスカーレット様と共にすごしておりますが、スカーレット様が癒しの力を使ったところを一度も見ておりません」

「そんなはずは……」

「リヒャルト様。何があったのか、詳しくお聞かせくださいませ。スカーレット様が癒しの力を使ったと思われる出来事があったのでしょう?」


 サリー夫人に促されて、リヒャルトは「それもそうか」と頷く。

 そして話し出そうとしたとき、わたしのお腹の虫がくうと鳴った。

 リヒャルト様が苦笑して、クッキーを食べていいと言ったので、もぐもぐしながらお話を聞くことにする。


「私が違和感を覚えたのは、この邸の使用人たちの怪我が癒えていることに気が付いたからだ。例えばキッチンメイドは二日前に腕にやけどを負って包帯を巻いていた。庭師は十日前に木の枝から落ちて足首を骨折していた。それらなのに、キッチンメイドの火傷も庭師の骨折も治っている。普通ではあり得ない治癒の早さだ」


 確かに、治るにしては早すぎる。

 もぐもぐしながらこくこくと頷くと、「わかっているのか?」と軽くい睨まれた。だが、睨まれてもわたしが何かした記憶はない。


「疑問を持った私は、アルムに使用人たちを調べさせた。すると、新しい傷から古い傷、傷の大小に関係なく癒えている使用人とその家族が三十人ばかり見つかった。どう考えてもおかしい。……最初は君が作った薬の効果かと思ったが、マルクに聞くと、君が作った薬を使用人に渡していないと聞いた。薬はすべて、別室にて管理していて、一本たりとも欠けがない」

「え、せっかく作ったんだから売るなり使うなりしてください!」

「……聖女の薬は、神殿を通さずに販売するのが難しいんだ」


 ……そうなの⁉


 じゃあ、わたしは無意味に薬を作り続けていたってこと⁉


 わたしがショックを受けると、リヒャルト様がぽりぽりと頭をかきながら付け加えた。


「そのうち、兄上――国王を通して活用方法を考えるつもりではいる。君の好意を無駄にするようなことはしないので、そこは安心しなさい。聖女が作った薬は貴重だ。とても助かるよ」

 わたしはホッと息を吐き出した。とりあえず迷惑にはなっていないらしい。

「とにかく、使用人の怪我が癒えたのは薬の影響ではなかった。では、君が癒しの力を使ったとしか考えられない」

「ほかに聖女がいらっしゃるんじゃないですか?」

「この邸にか? いるはずがない。……本当に心当たりはないのか?」


 わたしは本当に心当たりがないので、こっくりと頷く。


「嘘をついていないな? 聖女の力は使いすぎるととても疲れるという。君が無茶な力の使い方をしていないのか心配なんだ。誤魔化したりしないでくれ」

「使ってません」

「……そうか」


 腑に落ちない顔をしながらも、リヒャルト様は首を縦に振ってくれる。


「あの」


 ベティーナさんが、顎に手を当てて考え込みながら口を開いた。


「……一つ、気になることがあります。もしかしたらの話ですが」

「なんだ、言ってみろ」


 少しでも手掛かりがほしいのか、リヒャルト様がベティーナさんに続きを促す。

 ベティーナさんはちらりと浴室の扉に視線を向けて、言った。


「浴室に張った湯は、メイドが浴室を掃除する際に、配管を通して外の下水に流されます。ですが、最近掃除に来るメイドは、何故か配管を通して流すのではなく、バケツに残り湯を組んで持ち去るのです。すべてではないのですが、毎回バケツに一杯か二杯持って行くので、不思議には思っていたのですが……」

「確かに妙だな。そのメイドに訊いてみるか」


 手掛かりがほかにないので、リヒャルト様は残り湯がどこに運ばれていくのかを確かめることにしたらしい。


「スカーレット、疑って悪かったな。あとでフリッツに言ってケーキを運ばせよう」

「ケーキ‼」


 ぱあっと瞳を輝かせると、リヒャルト様が小さく笑ってからぽんとわたしの頭に手を置いた。


「それから、あと三十分もしたら昼食だ。クッキーを食べすぎると入らなくなるぞ。……いや、君に限ってその心配はないか」


 ものすごい勢いで減っていくわたしの手元のクッキーに、「本当に、どこに入るんだろう」とリヒャルト様は呟いてから、部屋を出て行った。



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