聖女の出汁は何の味? 3

「サリー夫人、貴族って、どうして偉いんですか?」


 数日、ずっとフリッツさんの娘さんのことを考えていたわたしは、思い切ってサリー夫人に訊ねてみた。

 貴族が優遇されて平民が満足に聖女の治療を受けられないのは何故なのか。

 お金の問題もあるのだろうが、どうしても納得いかなかった。

 するとサリー夫人はとっても困った顔をして頬に手を当てる。


 ……は! サリー夫人も、男爵夫人だった!


 サリー夫人の旦那様は男爵だが、貴族でも、子爵とか男爵はほとんど領地を持たないらしい。せいぜい高位貴族の領地の、町の一つとか、一部の地域とかの管理を任されるくらいで、子爵領、男爵領と名乗れるような領地を持っているのは、本当にごく一部なのだそうだ。なんでも、昔武勲を立てたるかなにかして封土してもらった人だけだという。


 そのため、サリー夫人の夫である男爵様も土地を持たない貴族だ。

 王都に小さな邸を構えていて、お城で働いているサリー夫人の夫は王都に住んでいる。

 ただ、サリー夫人の娘さんがここヴァイアーライヒ公爵領で役人をしている男爵様に嫁いで、去年子供が生まれたため、しばらく娘さんの産んだ子の面倒を見るためにこちらにいるそうだった。娘さんはすでに三人の子を産んでいて、去年生まれたのが四人目のため、娘さんと少ない使用人では手が回らなくて大変だからだという。


 ……わたし、貴族のご婦人相手になんてことを!


 大変失礼な質問をしてしまったと理解してわたしは青くなったけれど、サリー夫人は困った顔をしたまま、「なかなか難しい質問です」と言った。


「貴族は、国が国であるために重要な仕事をしています。そのため、特権階級……ええっと、国によって、一定の地位と権力が約束されているのです。でも、偉い、というのとは少し違うと思います」


 よくわからない。

 わたしが首をひねると、サリー夫人はますます困ったようだった。


「貴族は平民より優遇される立場です。国がそれを認めています。けれど、身分が約束されているから、人間は偉くなるわけではありません。……それを勘違いしている方は、大勢いらっしゃいますけどね」

「つまり?」

「貴族は貴族であるための義務を求められます。その義務を怠れば、貴族の身分を剥奪されることもあります。最近では義務を怠ったからと言ってすぐに身分を奪われるようなことはありませんが、相応の罰金などが科せられる場合があります」

「ええっと?」

「貴族は貴族だからではなく、貴族の義務を果たして、はじめてその権力が約束されるのです。わたくしはそう思っております。そのため、貴族が偉いのではなく、その義務を正しく果たされている方が偉いのです」

「……ふーん」

「わかっていませんね。では言い換えましょう。リヒャルト様は、大変偉い方です」


 それはわかったので、わたしは大きく頷いた。


 ……だって、わたしのご飯の神様だからね!



 行き倒れていたわたしを拾って食事と住む場所を与えてくれた優しくてとっても偉い人だ。


「リヒャルト様が偉いのは、リヒャルト様が貴族の義務をきちんと果たしていらっしゃるからです。さらに、そのお人柄もあります」


 うんうん、とわたしは頷く。


「リヒャルト様は公爵様で、王弟殿下でもいらっしゃるので、彼に貸せられる義務は大変重たいものです。けれどもリヒャルト様はその義務を怠ったことはございません」


 義務が何なのかはわからないが、リヒャルト様が素晴らしいというお話なのはわかったので、わたしは首振り人形のように首を縦に振り続ける。


「リヒャルト様がいなくなると、国が大変なことになります。そのため、リヒャルト様は平民よりも、そして他の貴族たちよりも優遇されています」

「わかりました!」


 なるほど、それならよくわかる。


「ただ、勘違いしてはならないのが、貴族が優遇されるからと言って、平民が冷遇されてはならないということです。平民がいなくなっても、やはり国は立ち行かないのですよ」


 また難しい話に戻って来た。

 サリー夫人は微笑んで「少し難しかったですね」と言う。

 聖女として世の中のことに疎い生活を送っていたわたしがサリー夫人の言うことを本当の意味で理解するには、まだまだ時間がかかるようだ。


「ところで、突然そのような質問をなさったのは何故ですか?」


 大体いつもサリー夫人の言うことを聞いて頷いているだけのわたしが、唐突に質問をしたことに、サリー夫人は疑問を持ったようだ。

 わたしがフリッツさんの娘さんが水疱瘡の治療を受けられなかった話をすると、サリー夫人はさっきよりも困った顔をした。


「そうですか。……そうですね。これはもっと難しい問題でしょうね」

「そうなんですか?」

「ええ。……わたくしは、聖女様のお力は貴賤問わずに使われるべきものだと、常々思っております。しかし、聖女様の数が減り、一日に使えるお力にも上限があるため、神殿は、寄付金で聖女様にお見せする患者を決めているのです。貴族が優遇されているというよりは、寄付金額で決められているのですよ。現に、多額の寄付ができない下級貴族は後回しにされる傾向にあるようです」


 なんと、貴族の中でも優劣が決められていたらしい。


「聖女様は、一日に一度しか癒しのお力を使えないのですから、どうしても……、患者に優劣をつけざるを得ないのですよ」


 ……うん?


 ほうほう、と頷きかけたわたしはそこで首をひねった。


「聖女は一日に一度しか癒しの力が使えないんですか?」

「そう聞いておりますが、違うのですか?」

「……んー?」


 確かに、思い出す限り癒しの力を求められるのは一日に一度だった。

 それ以外はせっせと薬作りをしていたのだ。


 ……でも、一日に一度しか使えないなんてことは、ないよね?


 お仕事で聖女の力を使ったあとで、わたしは個人的な理由で癒しの力を使ったことがある。

 神殿の裏庭に住み着いていた猫が怪我をしていたからだ。

 怪我をした野良猫はほかの野生動物に狙われやすくなるので、わたしは可愛がっていたその猫のために癒しの力を使った。

 ほかにも、神殿の下働きをしているおじさんやおばさんが怪我をしているのを見つけたら癒してあげていた。

 だから、一日に一度ということはないはずだ。


「ほかの聖女がどうかはわかりませんが、たぶん、一日に一度ということはないと思います。少なくともわたしは一日に何度でも使えたはずです」

「そうなのですか?」

「はい」


 わたしが首肯すると、サリー夫人が愕然と目を見開いてしまった。


「それは……知りませんでした。もしかしたら、聖女が無理をしないように、神殿側が決めたことかもしれませんね」

「なるほど?」


 だが、暇があったら薬を作れと言っていた神官たちが、そのような気づかいをするだろうか。

 まあ、無理はさせないようにはしていたと思うけれど、普通に薬は作らされていた。


 ……薬が、儲かるからかしら?


 聖女の仕事は無償奉仕。けれども聖女が作った薬は神殿の運営費にするために販売されていた。

 そして聖女の力を、お金持ち限定にして寄付をもらっていたのであれば――あれ? 聖女の無償奉仕の精神はどこにいったのかしら?

 聖女は確かにお金をもらっていないけれど、実際に治療を受けた人が寄付という名でお金を払っていたのなら、それはもう無償奉仕じゃないよね?


 ……だめだ。わたしの常識知らずの頭ではチンプンカンプンだよ。


 正解が知りたくても、よくわからずに頭の中がぐるぐるしているわたしでは、サリー夫人に的確な質問ができない気がした。

 よし、今度リヒャルト様に訊いてみよう。リヒャルト様はいつもわたしのとりとめのない話を聞いてくれるので、わけのわからない話をしても要点を理解してくれるかもしれない。

 ひとまず、リヒャルト様のような貴族が偉いというのはわかったので、今日のところはそれでいい。

 わたしの頭は一度にたくさんの知識を詰め込むことに向かないのだ。


 いろいろ考えてお腹がすいたわたしは、机の上に置いてあるクッキーに手を伸ばす。

 もしゃもしゃと食べていると、コンコンと部屋の扉を叩く音がした。

 部屋の中にいたベティーナさんが扉を開けてくれると、そこに怖い顔をしたリヒャルト様が――


「スカーレット、君はいったい、何をした」


 もぐもぐもぐごっくん、とクッキーを飲み込んだ後で、


「ほえ?」


 わたしは、間抜けな返事をした。




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