燈火のあかり

「ただいまー」

 学校から帰ったあかりは玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ捨てて家に上がった。両親は共働きだからまだ当分は帰ってこない。鞄をリビングにぽいと放ると、手を洗って冷蔵庫で冷えている麦茶をグラスに注いだ。

 制服が皺になるのも構わずソファに座り、両足を投げ出して麦茶を一気飲みした。

「あー……」

 もう一杯淹れよ、とソファを立った所で、ふと棚の上に視線が向いた。何枚も置かれた写真立ての群れには、おばあちゃんの家から持って帰ってきた写真が何枚か追加されている。

「……」

 コップを机に置き、そのうちの一つを手に取る。幼いあかりを抱っこして満面の笑みを浮かべるおばあちゃんの写真だ。

 おばあちゃんの顔を見るとやはりあの夜の出来事を思い出す。おばあちゃんの葬式の前夜、巻き込まれた大騒動。

 あの夜、家の前で朽葉くちば檜皮ひわだ達と別れ、あかりは自分の布団で泥のように眠った。

 あかりを起こしに来た母親がパジャマの汚れを見て悲鳴を上げたこと、その言い訳に随分と苦労したことはあの騒動に比べれば随分と些細なことである。

 葬儀は何事も無く無事に終わり、こちらの家に帰ってもう三週間が経った。日常は驚くほど平穏に、当たり前に過ぎていく。――あの夜の事は全部夢だったのではないかと疑いたくなってしまうほど。

 夢ではない、ということはあかりが一番分かっている。あの騒動の中で出来た擦り傷やなんかはちょうど瘡蓋になっているし、汚れたパジャマのボタン二つも無いままだ。けれど記録はどんなに思い浮かべようとしてもあかりの意識に浮上する事はなく、記録の持つ気配どころかおばあちゃんの気配すらも感じる事はない。

「別に、いいけどさ……」

 元々後を継ぐ気なんてなかったし。そもそもなんも知らなかったし。

 自分にそう言い聞かせながらも、あかりは寂しさと、少しの悔しさが胸中にわだかまっているのを自覚していた。

 はあ、と溜息をついて写真立てをもとの場所に戻し、置いたコップを手に取ろうとした所で、コンコン、と窓の方から異音がした。あかりは身を強ばらせ、窓へ視線を向ける。

 大通りに面した一番大きな窓は、白い半透明のカーテンに遮られて外の様子を窺うことは出来ない。一人で留守番中に聞こえてくる窓をノックする音、というのは中々ホラーだ。あかりは緊張しながらもゆっくり窓から距離を取って、鞄の中の携帯を取り出した。

 気のせいならいいんだけど、と窓を凝視していると、また、コンコン、と固い音が響いた。残念ながら気のせいではないようだ。けれど、窓の外にはなんの影も見えず、何かが居る様子もない。窓の外に誰か居るならば、カーテン越しでも影は見える筈なんだけど。

 三度、コンコンと窓を叩く音がする。地面にほど近いところに、黒くて小さい影が動くのが見えた。続いてばさばさ、という鳥が羽ばたく音。

「まさか!」

 一気に緊張が解け、あかりは窓に駆け寄った。勢いよくカーテンを開けると、一羽の鴉があかりを見上げ、片方の翼をバッと上げた。

「気づくの遅いぜ、あかり」

つるばみ!」

 窓を開けてあかりは歓喜の声を上げる。

「本当に橡? でもなんでわたしの家を」

「正真正銘、霧館の橡だぜ。鴉ネットワーク舐めるなよ?」

 ……そういえば最近やたら近くに鴉が居ることが多く、友達に色々揶揄われたな、と思い出す。

「アンタの仕業か」

「何が?」

 橡は首を傾げ、

「まあともかく、居るのは俺だけじゃないぜ。おーい、あかり、気がついたぜ!」

 後ろを振り向きカアと鳴くと、

「あかりー!」

「あかりさん!」

 何もない空間から勢いよく朽葉と檜皮が飛び出してきて、あかりに飛びかかった。不意打ちを受け後ろに転がりながらあかりは二匹を抱きしめる。

「朽葉! 檜皮! 会いたかったー!」

「オレも! オレも寂しかった!」

「ぼくも……!」

「落ち着きがないのも大概にせぬか。あかり様が頭でも打ったら大事であるぞ」

 視界がもふもふに埋もれて見えないが、この声は間違いなく蘇芳すおうだ。……と、言うことは霧館であかりを助けてくれた四匹があかりの家に大集合している、ということである。

「でもなんで?」

 二匹を抱えたまま身体を起こし、あかりは蘇芳と橡に問い掛けた。

「なんでみんな霧館からここに? わたしに会うためだけに、ここまで来てくれたの?」

「俺は勝手が過ぎるいい加減にしろや、と一時的に真神に追い出されて」

「吾も今回の事により他の眷属達との溝が決定的になってしまってのう」

 二人は揃ってうなだれ、首を横に振る。

「じゃ、じゃあ行き場がなくて、ってこと……?」

「「そういう建前で」」

 蘇芳と橡が見事にハモった。二人はちらりと横目で視線を交わし、

「なんじゃ、おぬしもか」

「やーっぱお前もか」

 と呆れた声音で言い合うと、二匹声を揃えて、

「「燈火を継ぐ可能性が高いあかりに取り入って来い、と」」

「白銀に言われて」

「小葵様に命ぜられたのじゃ」

「……何それ、ていうかそれ、わたしに言ってよかったの?」

「ダメ」

「だろうの」

「それじゃなんで」

 仲良く分割して返事をする二人に、あかりは脱力して肩を落とした。

「俺は真神の言うこと聞く気はねーし?」

「吾は小葵様に従うべき眷属であるが、白樂様から頼まれたのでな」

「白樂様が?」

「どこから聞いたのかは知らぬが、あかり様の下へ向かう吾に『あかりを助けてやれ』と申された」

「……そっか」

 白樂が未だにあかりを気にかけてくれている、という事を知れたのは何となく嬉しい。口元が我知らず綻んだ。

「でも朽葉と檜皮はなんで?」

「あかりのとこ行くって伝えたらどうせ行きたいって言うだろうし、声かけた」

「ちゃんと天狗様のおゆるしもらってから来たの!」

「これ、天狗様からお手紙」

 檜皮が一枚の折りたたまれた和紙をあかりに差し出した。

「手紙?」

 天狗からの手紙ってなんだろう受け取って開く、が。

「……天狗様に今度会った時、読めなかったって言っといて」

 多分、これは書の世界では達筆だと絶賛されるものなのだろう。しかし流れるように崩された流暢な文字は、崩し字など読めるはずもないあかりにはただ墨がのたくっているようにしか見えない。

「読めないの? 天狗様、ちゃんと人の字で書いたって言ってたけど」

「人の字は人の字でも時代が多分違う……」

 言いながら、ふと手紙を橡と蘇芳に見せてみる。

「これ、読めたりする?」

「……こりゃあ俺でも無理だ。蘇芳もだろ?」

「吾はそもそも人の文字には明るくない」

 この二人でもダメか、とあかりは手紙をたたみ直して、少し迷って鞄のポケットにしまった。後で自室の引き出しに移動させよう。

「ところであかり、一つニュースがあるんだけど、聞きたい?」

「……それは悪いニュース? 良いニュース?」

「それはあかり次第かもな」

 橡は思わせぶりににやにやと笑う。あかりは溜息をついて、

「何?」

「どっから話が広がったかしらんが、燈火復活がもう話題になってる」

「燈火復活……って、え?」

 思わぬ言葉に素っ頓狂な声が出た。

「わたしおばあちゃんの後なんか継いでないよ! な、なんでそんな話に」

「おぬしのお仲間からであろ」

 蘇芳がじと、と橡を睨む。橡は気まずそうに、

「神に誓って俺は口外してねえが、……真神の他の眷属が話し広げたかもな。鴉ネットワークは凄ぇから」

「嘘でしょ!」

 言いながら、あかりは妙に心が浮き立ち、気分が高揚するのを感じていた。何故そんな感情が浮かぶのか、自分でも明確な答えが出せるわけではない。けれど、この胸のはやなる鼓動がマイナスな感情から齎されるものでない、という事だけは迷い無く確信できた。

「そんな、でも、私――」

「もうし」

 あかりの言葉を遮るように、声が頭上から降ってきた。場の五人が揃って視線を上向かせる。

「もうし」

 声は屋根の上から、人など絶対居るはずのない場所から聞こえてくる。

「こちらに、燈火のあかり様がいらっしゃるとお聞きしました」

 あかりは視線を下げ、朽葉、檜皮、蘇芳、橡と順番に目を合わせ、

「また、手伝ってくれる?」

「言われるまでもない!」

 被せ気味に橡が答え、蘇芳は鷹揚に頷き、

「「勿論!」」

 と、朽葉と檜皮が元気よく声を揃えた。

「ありがとう。よろしく頼むね」

 言って、あかりは立ち上がり窓の外に上半身を出し、

「わたしがあかりです。なんの御用ですか?」

 と声をかけた。

 ――どうやらあかりの日常は、これまでよりずっと賑やかに、そして楽しくなることとなりそうだ。

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あかり灯ってともしび揺れる ウヅキサク @aprilfoool

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