第二十八話 決別
「なんて罰当たりな……」
清司が目の前の惨状を見ながら声を震わせていた。たしかにあの静謐とした内陣の空気は失われてしまった。
「忌子。早く儀式を元に戻さないと」
清司の呼びかけに対して、思わず体が動き腰を上げた自分に驚いた。さっき儀式が壊されていくのを見たとき秀俊の思いに共感した。だから頭ではこの儀式は拒否すべきだと思っている。それなのに清司の言葉に体が反応してしまっていた。忌子は立ち上がったまま清司を見つめる。脳内では秀俊の言葉が鳴り響いていた。
もう嫌だ。
その思いは忌子にとっても同じだった。しかし同時に、そんな思いを清司に対して抱いてしまう自分に罪悪感を覚えている。
自分が産まれたことによって母を死なせてしまったとしたら。もしそのせいで清司が儀式にのめり込んでいったのだとしたら。そして、それが穢れを持って産まれた自分のために取ってくれた行動だったとしたら。その思いをむげにすることに抵抗を感じている自分がいる。
「忌子。どうしたんだい。このままじゃ龍神様から天罰が下ってしまう」
徐々に落ち着きを取り戻したのか威厳のある声で忌子に声をかけてくる。忌子は葛藤のせいで身動きが取れなくなっていた。
儀式をやり直すのか、清司の元を離れるのか。
理性ではどうすればいいかわかっている。しかし理性を超えた何かが拒否していた。彼は自分のために儀式を用意してくれた。その考えによって自分の行動が縛られている。
これもある意味呪いだ。縁が深い人ほど自分に強い敵意を向ける。そんな外から与えられたものとは別の、自分自身が生み出している呪いが忌子を縛り付けていた。
清司がこちらに一歩ずつ近づいてくる。決断をくださないといけない。でも、この矛盾した気持ちから答えを導くのは不可能に思えた。
そのとき、忌子にある考えが浮かんだ。それは無意識に思考の外に置いていたのかもしれない。それが縛り付けられた自分の思考をすり抜けるかのように浮かんできた。その考えをとっさに振り払う。どうしても信じたくなかった。しかし身動きの取れない思考の中では、その考えがなんども浮かんでくる。それはもともと信じたくなかったから無意識に考えないようにしていただけで、ずっと心の中で漂っていたのかもしれない。
今の状況を見れば答えは明らかだった。しかしそれでも忌子は一縷の望みをかけることを決めた。
「父様」
忌子は居住まいを正して清司に声をかける。なるべく普段通りに。今の穢らわしいと思われた自分に対してではなく、呪いが起きる前の自分の姿に見えるように。その上で答えてほしかった。産まれたときからのこれまでの関係。その答えを知るために。
「父様は私のことを愛していますか?」
「当たり前じゃないか」
清司はうなずき、すぐに答える。その姿は今まで忌子が目にしてきた、いつも通りの姿だった。呪いの影響を受けていない、忌子が尊敬していた清司の姿だった。
その姿を見て視界がぼやける。抑えようとしても涙が後から後からこぼれ落ちてくる。呪いが自分の身に降りかかってからも彼は普段通り、いやむしろ病院に連れていくなど今まで以上に気づかってくれていた。しかしそれは儀式を滞りなく終えるため。それは決して自分の体を心配していたのではなくて、生贄として捧げるものに傷がついていないか、そのことを確認するために付き添っていただけなのだろう。
もし自分の身を本当に案じていたのであれば呪いがまっさきに発動するはずだから。伝承ではもともと家族が儀式に反対するのを防ぐために作られた呪いだ。それならば、まず清司の身に呪いが降りかかる。
清司と自分の間に深い縁が結ばれていたのであれば。
しかし彼はいまだに呪いがかかっている様子はない。なにひとつ変わらないいつも通りの清司が目の前にいる。
心の中の冷たさに身が引き裂かれそうな思いになる。自分の父親とはほんのわずかな縁すら結ばれていなかった。それは産まれたときから彼は自分のことを生贄として見ていたからだ。
忌子。神に奉仕する女。
自分に与えられた名前の意味が今まで以上に強くのしかかる。しかしそれは今までの誇りを持てるような心地いい重さではなかった。
忌子は秀俊たちのもとに駆け寄る。そして彼の手を取り内陣の外へと歩いていった。
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