第四話 まじないと過干渉

 田島秀俊はみんなと解散した後、先ほどの出来事を思い出していた。最初に手助けに入った男性は医師だった。観光中にたまたま出くわしたと言っていたが、そんな突然でもあれだけ的確に動けるのは素直にすごいと思う。


 彼の指示では想像以上に強く胸を押す必要があった。普段晴雄がふざけて押してくるときだって、あんなに力を込めてきたりしない。相手にけがを負わせてしまうのではないか。そう思えるほどの力加減だったが、それだけの力を込めても倒れていた人の反応はなかった。もはや物体として感じられる体。それを人として生き返らせるには、あれだけの力を込める必要がある。だからこそ交代する人がいないと続けられない。疲れを感じる両腕をさすりながら家路についた。


 自宅が近づくに連れて足取りが少しずつ重くなっていく。予定外の事態が起きたせいで帰る時間は遅くなっていた。だからこその足取りの重さではあるわけだが帰らないわけにはいかない。角を曲がると通りの中央あたりに二階建ての自宅が見える。両隣の家よりも倍くらい広い間口は威圧感を放って秀俊を迎えていた。意を決して早足で玄関に向かい扉を開ける。


「遅かったじゃない」


 扉を開けた瞬間に母である田島たじま愛美まなみが立っていた。三和土の上で待っていたということはもしかしたら覗き穴から外を確認していたのかもしれない。家に入る決心をつけずに家の前でうろうろしていたらなにを言われたかわかったものじゃない。秀俊は心の中で安堵する。


「お祭りで急に人が血を吐いて倒れて、大騒ぎだったんだよ」


 先ほど、起きたことを正直に話す。


「そんな嘘ついて。どうせ勉強したくないからずっとお祭りに行っていたんでしょ」


 予想通り信じてもらえない。だったら、もっとましな嘘をつくんだけど。そう思いながらも想定通りの返答だった。


「まあ嘘にしか聞こえないけど本当だから。ほらズボンだって汚れちゃって」


 膝をついたときに血がついて汚れたズボンを指差す。


「やだ! けがでもしたの!?」


「だから自分の血じゃないって。倒れた人のやつ」


 言われるまで気がつかないなんてどういう神経してるんだ。それに人の話をまったく聞いていない。


「だったら汚いじゃない。捨てちゃうからさっさと脱いじゃって」


 クリーニングにでも出せばいいのにと思うものの、先ほどの倒れている人の姿を思い出すと決して気分のいいものではない。特に愛着のある服でもないし、なにより口答えする方が面倒なことになる。


「わかった。部屋で脱ぐからごみ袋ちょうだい」


「いやよ。そんな血がついたものを部屋の中に持ち込むなんて。今、袋を持ってくるからその場で脱いじゃって」


 こんな場所で下着姿を母親にさらしたくはないが、ここで言い返しても彼女が折れることは決してない。


「わかったよ」


 諦めてベルトに手をかける。その姿を確認して、愛美はリビングへと入っていった。


 三和土の上で下半身だけ下着姿になっているのは滑稽に見える。しばらく待っていると、リビングから戻ってきた愛美はごみ袋と着替えのズボンを手にしていた。


「ほら。ここに入れちゃって」


 言われた通りに血で汚れたズボンをごみ袋に入れて渡す。そして代わりに受け取ったズボンを履いてようやく家の中に入れた。


 リビングに入ると、目の前にダイニングテーブル、その向こうには南向きの窓がある。その窓の上には神棚が飾られている。床はフローリングだし和風の家ではない。その中に神棚が置いてあるのは少し異質なものを感じる。


「ほら。お祈り始めるわよ」


 愛美に促されて神棚の前に横並びで立つ。すると彼女は頭を垂れてぶつぶつとつぶやき始める。秀俊も愛美に習ってつぶやき始めるが、正直見よう見まねだ。最初に彼女から教わったときに祈りの言葉と言っていたが、とうの昔に忘れてしまった。それでも愛美が気づく様子はない。それくらいいつも真剣に祈りの言葉を唱えている。


「ちょっと真剣にやってよね。お父さんみたいに罰が当たっちゃうよ」


 つい祈りの言葉が途切れて母からしかられる。慌ててまた母が再開した祈りの言葉に合わせてつぶやき続けた。十五分ほどしてようやく祈りの言葉が終わる。


「じゃああんたは部屋に戻って勉強しなさい。遊んでいた分の時間を取り戻さないと。この街の人を見返すにはあんたが立派になるしかないんだから」


 いつも言われる言葉に辟易しながら秀俊は自分の部屋へと向かった。

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