第20話 温かさに抱かれています
「え……?」
地面に縫い付けられた『客人』の体は、駆けつけてきた和装束の集団によってしめ縄を素早く巻き付けられ、行列の中へと引き戻される。
一方、上空から落ちてくる形で強烈な一撃を加えた張本人――神職の衣を身に纏った鳥羽シータは、角のある白馬にまたがって少年を見下ろしていた。
「お、『托卵』の巫女様だ」
「ありがてぇ、拝んでおくか」
「御利益あるかなぁ!」
「投げ銭しちゃお!」
周囲の見物客は口々にそんなことを言いながら、手を合わせたり、小銭を投げたりしている。
そんな中で少年は、シータの放つ圧倒的な力に震え上がっていた。
あの人は、あんなに恐ろしくて強いものだったのか。
まるで太陽を至近距離で見ているかのようなまばゆさを受け、認知によって確立しつつあった存在の輪郭がぼやけていく。
直視することすら恐れ多く、少年は顔を伏せて、冷や汗を垂らしながら地面を見つめた。だが、次に聞こえてきた声にその緊張は揺らぐことになった。
「……わわっ」
間抜けな声とほぼ同時に、ドサッと何かが地面に落ちる音が聞こえ、少年は恐る恐る前を伺う。
そこには、馬から落ちた時にぶつけた腰をさすりながら、よたよたと起き上がるシータの姿があった。
シータは、離れた位置で職員に介抱されるタマキを確認した後、少年の前にやってくると、しゃがみ込んで彼の頭の上に手を置いた。
「いいこいいこ。タマキ後輩を守ってくれたんですね」
優しく語りかけてくるその声は、いつも通りのぼんやりとしたものだった。ぐりぐりと頭を撫でられ、少年は困惑の目をシータに向ける。
シータはふむと考えた後、両腕を使ってぎこちなく少年を抱きしめ、その背中をとんとんと叩いた。
「もう大丈夫ですよ。怖かったでしょう」
平坦な言い方ではあるがこちらを気遣う言葉をゆっくりとかけられ、少年はゆっくりと緊張を解いていく。
それと引き換えになるように、少年の目には再び涙が浮かんでいき、シータの肩に顔を押しつけてすすり泣き始める。
「ぼ、僕、タマキさんを、守りたいって思って……」
「はい」
「守れて、よかったぁ……」
「はい、よく頑張りましたね。君は、僕たちの自慢の息子ですよ」
何よりも嬉しい言葉をかけられ、少年の嗚咽はさらに大きくなっていく。
「ううっ、ぐすっ、うわああああん……!」
やがてシータの腕の中で、大きな声を上げて泣き始めた少年のもとに、介抱を受けて回復したタマキが歩み寄ってきた。
それに気づいた少年は顔を上げ、安堵と喜びから溢れる涙のままにタマキに抱きつく。
「タマキさんっ……」
「ありがとう、坊や。おかげで助かったよ」
タマキは泣きじゃくる少年を受け止めると、赤ん坊に対してするように抱き上げてあやしはじめた。
「よくやったな。偉いぞ」
「うん……!」
「言った通りだっただろう? 君の力は誰かを守ることだってできるって」
「うん、うんっ……!」
少年は、何度も頷きながらタマキの服の肩を涙で濡らす。
シータはぼんやりとした表情のまま立ち上がると、タマキに場違いな抗議を始めた。
「タマキ後輩、一人でパパ活なんてずるいです。羨ましいです。僕もさっさと仕事を終わらせて合流します」
「その言い方止めてください、語弊がありすぎます」
「そうですか。でもずるいです。僕もお父さんとしていいところを見せたいです」
「はいはい、仕事を終わらせてから来てくださいって」
自分を抱っこした状態で軽い掛け合いをするタマキとシータに、少年は胸の奥から溢れる衝動のまま口を開いた。
「――タマキパパ、シータお父さん」
タマキとシータは、驚きを含んだ目で少年を見る。
口に出してしまえばあっさりとした響きに、少年は緊張と高揚で胸を高鳴らせながら続けた。
「僕、二人の息子になりたい。お父さんたちに胸を張れるような、誰かを守れる子になりたい!」
涙の跡が残る顔で、決意に満ちた声ではっきりと少年は宣言する。
タマキとシータはほんの少しだけ瞠目した後、互いに目配せをして、少年に優しく微笑みかけた。
「そうか」
「何よりです。嬉しいです」
穏やかに肯定され、少年は自然と笑顔になる。
シータはふむと考えると、少年の体をタマキから受け取って地面に下ろした。
「そうと決まれば、ここで仮に済ませてしまいましょう。立会人は多い方が都合が良いですし」
「えっ?」
困惑する少年の前で、シータは自分の装束の一部を引きちぎり、そこに文字を書き付けた。
布きれに書かれた文字列は、『ムラサキ』。
それを手渡された少年は、戸惑いつつもそれを受け取った。
「これって……」
「君の名前だよ、坊や」
「えっ」
きょとんと目を丸くする少年に、シータは説明する。
「【舌禍】によって名前をつけられれば、存在の性質をある程度上書きして制御できますからね。これだけ立会人がいれば、その効果も大きくなります」
そう言われ、少年は周囲を見回す。少年たちの周りでは、興味本位の野次馬たちがこちらの動向を見守っている。
彼らが全員、自分のことをムラサキカガミではなく、ムラサキという存在として認知すれば、そういうものとして実体を得ることができるというのには納得できる。
「ムラサキという名前は、僕とタマキ後輩でたくさん話し合って考えたものです」
「君の目は綺麗な紫色だからな。シータさんが提案して俺が賛成したんだ。もちろん、気に入らなければ別の名前を考えるが……」
真剣にそう語る二人に、少年は目を白黒とさせながらも、心の中に温かいものが満ちていくのを感じていた。
自分という鏡が持つ紫色は、正直好きではない。
紫色でさえなければ自分はただの鏡で、存在するだけで不幸をまき散らすことはなかった。
でも――大好きな二人に褒められたと思うと、ほんの少し自分の紫色が好きになるような気がした。
「……うん。僕、ムラサキになりたい!」
希望に目を輝かせながら少年が答えるのを聞き届け、シータは喉を少し調整した後に、はっきりとした口調で彼に告げた。
「【――汝の名は『ムラサキ』。ウブメドリのミハネの孫、その
【舌禍】を用いたシータの言葉は、少年の中に一気に流れ込んでくる。体の中心に支柱ができたかのような安定感が彼の内側に現れ、少年は初めてまともに息ができたかのような解放感を感じる。
シータは辺りを見回しながら、声を張り上げた。
「お立ち会いの皆様、異議はありませんね?」
その言葉を受けた野次馬たちは、特に深く考えることもなく口々に返事をした。
「異議無し!」
「何なのかわからんがとりあえず異議無し!!」
「賛成さんせーい!」
彼らの言葉はその場の勢いによるものではあったが、少年の実体を確定させるのには十分なものだった。
ぶわりと風が吹き、己の中を埋めていくような感覚の後、少年は自分がただのムラサキカガミではなく、二人の息子の『ムラサキ』であるという確信を得る。
野次馬たちはその様子を固唾を呑んで見守った後、なんとなくめでたいことが起こったのだと理解したのか、浮かれた様子で喜び始めた。
「なんだかよく分からんがおめでとう!」
「良かったな!」
「めでたいから酒奢ってくれ!」
「かんぱーい!」
祝福の言葉とともに野次馬たちは紙コップをぶつけ合い、騒ぐ口実を見つけたとばかりに、ゲラゲラと笑いながら酒を飲み交わす。
「ムラサキ、お誕生日おめでとう」
「ハッピーバースデーです、僕たちの可愛いムラサキくん」
タマキとシータによって同時に抱擁され、二人の体温が生まれたばかりの少年に染みこんでいく。
少年――ムラサキは、嬉しさでまた泣いてしまいそうになりながら、二人の体温に身を任せて笑った。
「ありがとう、パパ、お父さん」
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