第16話 ぎこちなく楽しみ始めています

 ささやかではあるが冷房が効いていた市役所から一歩踏み出した途端、真夏の夜の蒸し暑さに全身が包み込まれる。


 その熱に一瞬怯んでしまいながらも、少年はタマキと繋いだ自分の右手を頼りに、前へと足を進めた。


 正門を過ぎた先にある表通りは夕焼けに赤く照らされており、祭り会場へと向かう人々の影を長く落としている。タマキと少年はその中の一人となって、祭り囃子が聞こえる方――市役所のすぐ近くに建築されたトコヨ神社へと歩いていった。


「『客人』の方々は大穴から出現した後、一斉に迎え火の焚かれたトコヨ神社へ向かうんだ。トコヨ神社の参道にはその行列の見物客のために、たくさん屋台が出てるらしいぞ」


「屋台?」


「ああ。シータさんはリンゴ飴をおすすめしていたからな。先に食べると拗ねてしまいそうだし、後でシータさんと合流してから食べようか」


 わくわくとした声色でタマキが言うのに対し、少年はまだ遠慮した態度が抜けきれずにいた。


 トコフェスの間だけとはいえ、タマキのそばにいることには危険が伴う。大好きな人を不幸な目に遭わせてしまうのではという懸念が、どうしても少年の頭の片隅にこびりついて離れない。


 タマキもそれに気づいているのか、あえて明るい声を作って前を指し示した。


「ほら、出店が見えてきたぞ。わたあめでも買おうか」


「わたあめ……?」


 疑問符を浮かべる少年を先導し、タマキはわたあめを出店で購入する。一昔前のキャラクターが描かれたビニール袋の口を開けると、割り箸に刺さったふわふわのわたあめが姿を現した。


「ほら、食べてごらん」


「う、うん」


 戸惑いつつも、少年は周囲の客と同様に大きく口を開けると、顔を突っ込むようにしてわたあめに噛みついた。


 しかし、口の中に入った瞬間、あんなにふわふわだったわたあめは一瞬で姿を消し、べたべたとした食感だけが残る。


 少年はわたあめから顔を離すと、しょんぼりと肩を落とす。


「口の中で消えちゃった……」


 悲壮感たっぷりに報告する少年を見て、タマキは思わず噴き出した。


「ふっ、くく……わたあめっていうのは、そういうものなんだよ。急がなくても自然と消えたりしないからゆっくり食べるといい」


 縁石に一緒に腰かけながら穏やかに促され、少年はこくりと頷いてもう一度わたあめに噛みつく。最初の一口は面食らったせいで味にまで意識が向かなかったが、落ち着いて何度も口の中に入れていくうちに、舌の上に長く残る味を楽しめるようになっていく。


「ジュースとは違うけれど、甘い味で合ってる……?」


「ああ、合っているよ。他にも色々な味があるから、食べ終わったら別の屋台も見に行こうな」


「うん……!」


 杞憂で落ち込んでいた気分が浮き上がり、少年は周囲の様子に目を向けられるようになる。


 道ばたの縁石に腰かける二人の前には、老若男女種族問わず、大勢の市民が浮かれた様子で行き交っていた。


 屋台の食べ物をほしがる親子連れ。普段とは違うお洒落を楽しむ若者。仲睦まじく寄り添う老いた夫婦。射的の店主に文句を言う子供たち。彼らの挑発に大人げなく反論する店主。


 どこを切り取っても、活気にあふれた光景ばかりだ。


 あの何もない部屋にいた頃に憧れていた暖かさ。


 今まさにそのただ中にいるのだと自覚し、不安を押しのけて嬉しいという気持ちがこみ上げてくる。


 トコフェスの間だけしか許されていない時間だけれど。このお祭りが終わったらあの寂しい場所に戻ってしまうけれど。それでも外に出ることができて良かったと思ってしまう。


 本当は、優しい人たちに迷惑をかけていることへの罪悪感を抱き続けるべきだと分かっている。


 それでも――


「というわけだから、ちょっとここで待っててくれ。すぐに戻るからな」


「えっ?」


 タマキはそう言い残すと、少年を置き去りに雑踏へと消えていった。


 きっと、少しの間どこに行くのか、タマキはちゃんと説明していたのだろう。自分が物思いにふけっていてそれを聞き逃してしまっただけだ。


「はぁ……」


 せめて迷惑をかけたくないと思っているのに、なかなか思い通りにならない。ここでタマキを追いかけようものなら、さらに彼に迷惑をかけることになってしまうだろう。


 少年は胸の奥に巣くった心細さを押し隠し、せわしなく周囲を見回す。


 その時、偶然通りすがった強面の厄獣と、少年は目を合わせてしまった。


「んあ? テメェは……」


 厄獣は少年を「認知」し、凄むように声をかけてくる。本能的な恐怖で、自分が抑えられなくなる。


 まずい。


 そう思ったときには、もう遅かった。

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